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陸軍登戸研究所に見る秘密戦

スパイ兵器開発で人体実験

真相伝え戦前回帰の策動阻もう

「秘密戦兵器と第二科」の展示室で説明する山田朗館長=川崎市の明治大学平和教育登戸研究所資料館(撮影・橋爪拓治)

旧日本陸軍が開設した登戸研究所は、防諜(ぼうちょう)(スパイ活動防止)、諜報(ちょうほう)(スパイ活動)、謀略(破壊・暗殺・かく乱活動)、宣伝(人心誘導)のための秘密戦兵器を研究開発していました。高市早苗政権が国家情報会議・国家情報局設置法に続き、「スパイ防止法」、米中央情報局(CIA)に倣った対外情報庁の設置を狙ういま、明治大学平和教育登戸研究所資料館を訪ね、秘密戦の真相を探りました。(伊藤紀夫)

 

 

「動物慰霊碑」の裏側には、建立した「陸軍登戸研究所」の文字が刻まれている

夏草が茂る中に立つ高さ約3メートルの碑。実験で使った動物の「慰霊碑」で、裏には「陸軍登戸研究所」の文字が刻まれています。

資料館がある明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)の敷地には、かつて登戸研究所がありました。資料館は農作物を枯らす細菌兵器を開発していた建物です。陸軍の星マークがある消火栓、薬品庫と推定される倉庫跡もあります。

 登戸研究所は外部に知られないための秘匿名で、正式名称は第九陸軍技術研究所です。その研究は全国の優秀な科学者を動員して行われました。天皇直属の参謀本部直轄で、研究内容を明らかにしなくても「臨時軍事費」で資金を得ることもできました。

 スパイが使用する秘密インキ、ライター型カメラ、破壊工作用の時限爆弾、暗殺用毒物・生物兵器、番犬を無力化する薬剤、風船爆弾、経済かく乱を狙った中国紙幣の偽札…。資料館は実物や部材、模型、図説などを展示しています。その中には、東条英機陸相が研究成果を認めて授与した「陸軍技術有功章賞状」も。

 

 

東条英機陸相に研究成果が認められて授与された「陸軍技術有効章」の表彰状(手前)と表彰を報じる新聞記事(奥)

「実は登戸研究所で開発された遅効性の毒薬・青酸ニトリルなどがハルピン特務機関に送られて使われ、戦果が上がったので、表彰されたのです」。そう解説する資料館館長で明治大学教授(日本近現代史)の山田朗さんは続けます。

 「開発する過程では南京に出張し、捕虜・死刑囚15~16人を使った人体実験が行われました。致死量とか、効いてくる時間など、飲ませるだけではなく、注射も含めて、いろんなパターンで実験しています。この実験は731部隊(関東軍防疫給水部)の姉妹部隊と言える1644部隊(中支那防疫給水部)の軍医とともに行ったものです。1941年、アジア太平洋戦争が始まる直前でした」

 この毒薬は、19年発足の陸軍科学研究所時代から秘密戦関係兵器の研究開発・運用に携わった伴繁雄さん(44年、陸軍技術少佐)らが開発したもので、伴さんは人体実験にも立ち会いました。

 米軍協力し免訴

これらの秘密兵器・資材は、憲兵、特務機関員、諜報工作員を養成する陸軍中野学校出身者などが使用しました。伴さんは中国、仏領インドシナ・サイゴン、シンガポール、マレー、スマトラ、ジャワ、フィリピンなどに派遣され、秘密戦兵器の使い方の指導や実験などをしていたのです。

 山田さんは「戦前、この秘密戦の部分が膨張し、暴走しました。日本軍の謀略による満州事変(31年)、その前の張作霖爆殺(28年)など、まさに謀略を軸に戦争の歴史は動いていたのです。秘密戦は、戦争の前の平時から行われるもので、必ず非合法な部分を含んでいます。秘密の見えない分野なので、歯止めをかけにくい構造があり、正義の名のもとで人体実験という非人道的な国際法違反まで行ってしまうわけです。その意味では、戦争の本質を示していると言えます」と指摘します。

 登戸研究所と731部隊の関係者は戦後、一人も戦犯になりませんでした。米軍に秘密資料を提供して協力したことで免訴され、日本軍の秘密戦の構造は、米軍に引き継がれたのです。そこにも秘密のベールに包まれて暗躍するスパイ活動の姿が示されています。

 監視し合う社会

資料館の入り口には、「スパイ御用心」と書いた「防諜紙芝居」や、「一杯機嫌で漏らすな機密」「一億一心 防諜報國(ほうこく)」などの当時の標語も展示されています。山田さんは語ります。

 「日中戦争が始まる37年には、軍機保護法が強化され、外国に秘密を漏らした場合には死刑を科す規定もできます。秘密保護や防諜というのは、歯止めなく進み、国民への抑圧を強めることが、戦前の教訓です。当時、最大の仮想敵だったソ連に通じているからと言って、社会主義者、共産主義者がまず弾圧され、英国や米国も敵になってくると、自由主義者も弾圧される。『防諜週間』が宣伝され、国民がお互いに監視し合い、密告する暗い社会になっていくわけです」

 高市政権が大軍拡、ミサイル列島化と軌を一にして、「スパイ防止関連法制」「対外情報庁の創設」への動きを強めていることを、山田さんは批判します。

 「今、スパイ防止法ができれば、法律による取り締まりとともに、それに追随する情報が必ずSNSでぱっと流され、政権や戦争に反対する人たちを異端分子として排斥することが正当化される。過去の教訓とともに、今のネット社会でそれが拡大される危険をよく見て、反対の運動を広げていく必要があります」

 明治大学では「登戸研究所から考える戦争と平和」という全学共通総合講座の授業があり、山田さんら3人の教員が受け持っています。その授業で資料館のボランティアを呼びかけられ、参加する学生もいます。館内の案内やガイド、資料整理などの手伝いです。昨年2人だったボランティアは今年5人に増えました。

 昨年4月から週1回参加している理工学部の学生(23)は「祖父が爆弾を運ぶ仕事をしていたことを父から聞き、地元には調布飛行場の掩体壕(えんたいごう)があったことから、戦争が身近で関心がありました」と話します。

 「終戦からもう80年たち、私たちの世代では戦争の歴史に関心が薄い。これだけ貴重な情報が資料館に集まっているのに、次の世代に受け継がれないのは、あまり良くない気がする。ボランティアに参加したからには、自分が語り継いでいくべきじゃないか」

 軍拡や「スパイ防止法」制定の動きについては「国際緊張の中で、まったく不要なものとは断定はできないと思います。ただ、日本はかつてスパイ活動をし、毒物とかやってはいけない兵器を開発してきたことも事実ですから、一度立ち止まって考える姿勢が必要です。大急ぎでどんどんあれもこれもと法律を制定する上っ面のパフォーマンスでは、本当に自分たちの身を守ることにつながらないんじゃないかと思います」。

 資料館の展示の多くは、伴さんが2001年に著した『陸軍登戸研究所の真実』をベースにしています。伴さんが登戸研究所の真実を伝えるきっかけをつくったのは、高校生の平和ゼミナールなどによる伴さんへの熱心な聞き取りでした。

 「戦争の暗黒面としてこれまで闇の中に葬り去られてきたが、いまこのいまわしい事実を明らかにしたい」。伴さんが平和を願い痛恨の思いで書いた秘密戦の真相を伝え、戦前と同じ道を歩む高市政権の策動を阻む運動を広げる時です。