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- 2026.06.02
「スパイ防止法」 戦時中の歴史が教える恐怖
小樽商科大学名誉教授(日本近現代史) 荻野富士夫さん
「防諜」に国民を根こそぎ動員 耐乏生活への愚痴だけで逮捕

荻野富士夫さん
政府によるスパイ活動(諜報〈ちょうほう〉)と外国のスパイ活動への対処(防諜〈ぼうちょう〉)の司令塔として国家情報会議・国家情報局設置法を5月27日に成立させた高市早苗首相は「あくまで改革の第一歩」として、「スパイ防止関連法制」と「対外情報庁の創設」をめざしています。軍拡と一体で急速に進められるこの動きは、侵略戦争遂行のために「国民防諜」を推進した戦時中を想起させます。「日中戦争が全面化した1937年段階に相当する『新しい戦中』前夜というべき段階にある」と警鐘を鳴らす小樽商科大学名誉教授の荻野富士夫さん(日本近現代史)に聞きました。(伊藤紀夫)
―今回の法律は、内閣情報調査室を国家情報局に格上げし、その機能を強化します。戦前にも情報局がありましたが、どんな組織だったのでしょうか。
戦前の情報統制というと、情報局に行き着くわけです。36年に内閣に情報委員会ができ、37年から内閣情報部になり、40年から終戦の45年まで情報局でした。内閣情報部は部長がトップですが、情報局になると総裁がトップで、情報局総裁は閣議にも列席できる存在でした。朝日新聞社主筆・副社長を務めた緒方竹虎は国務大臣と情報局総裁を兼務しています。
当時、各省庁や軍の縄張り争いで政府情報の一元化が十分にできないなかで、情報局は国家にとって必要な情報を発信することに主力を注ぎました。内閣情報部、情報局は、最大150万部になる『週報』を出して「スパイは如何(いか)にして防ぐか」などの情報を発信し、隣組で回覧させたりしていました。『週報』は文字中心なので、ビジュアルで分かりやすい『写真週報』も出しました。
情報局の克明な日誌が資料として残っていますが、新聞社や出版社の幹部と定期的に会議や懇談会を開いています。新聞や雑誌の用紙の統制と両輪で、論調をコントロールする役割を果たしていたわけです。こうした報道統制のなかで、『改造』や『中央公論』が廃刊に追い込まれるなど、言論弾圧が進んでいきます。
今回の国家情報局も、人権侵害の情報収集の問題だけではなく、政府による情報発信・情報統制・世論誘導という役割を果たしていくのではないでしょうか。
―侵略戦争を推進する政府が「日本はスパイ天国」とあおり防諜を強化した歴史についてはどうですか。
大正デモクラシー期には影が薄かった軍機保護法が息を吹き返したのは、日中戦争が全面化した37年8月に適用範囲を拡大して刑罰を強化した法改定からでした。その前から意図的に新聞紙上でスパイ事件の摘発と処罰が報道されました。しかし、国民のなかでは「防諜」は浸透しておらず、「ボウチョウとはふくれること」と答えたエピソードもあるほどでした。
そこで、国民は防諜への心構えを持たなければならないと「国民防諜」が強調されます。41年、42年には政府総掛かりで「防諜週間」を設定し、講演会や防諜展覧会、地域や工場に防諜団という草の根の組織をつくりました。「一億が 一つ心で 防諜団」「洩(も)らすな機密 忘るな防諜」などの標語まで募集して浸透を図ったのです。
41年にアジア太平洋戦争が始まると、敵国である米国人や英国人は収容され、中立国の外国人も軽井沢や箱根などに抑留され、外国人そのものがほとんど存在しなくなる。このため、外国に情報を流す日本人がスパイ防止の対象になります。そこから「わたくし達は防諜の戦士」「国民こそ防諜の花形役者」「真の日本人たれ」という方向に持っていくわけです。
戦局が悪化してくると、不平・不満が募ってきますが、それを漏らせば敵国につけ込まれるから漏らすな、政府のやっていることを100%信頼せよというのが、「国民防諜」の流れになっていきます。
―国民を物言えぬ状況に追い込むうえで防諜法が果たす役割は大きかった…。
その点は、「国体の変革」を目的とする結社の組織を弾圧した治安維持法とは違います。軍機保護法などの防諜法は、たまたま港で艦隊が出航するのを目撃したり、兵隊を乗せた列車を目にしたりして、ぽろっと話したことでも逮捕され、処罰されるわけです。食料配給の遅れに愚痴を言ったことが密告され、警察に引っ張られるケースもありました。だから、国民にとって日常的な脅威は、防諜法令だったのです。
戦後、治安維持法が悪法だという認識は国民のなかで一定共有されています。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の活動や横浜事件の再審請求などが大きな役割を果たしたと思います。しかし、防諜法令に関しては、その恐怖が比較的早く、60年ころには忘れ去られてしまいました。
45年10月、GHQ(連合国軍総司令部)の「人権指令」を受け、治安維持法など15の法令が廃止されました。そのうち七つが軍機保護法などの防諜法令でした。これらの法令が国民を抑圧した弾圧法だと連合国側が認識していたからです。
しかし、その防諜法を復活させることが、自民党の宿願でした。何度も「日本はスパイ天国」という宣伝とセットでプランを立て、ついに中曽根康弘内閣の85年に国家秘密法として国会に提出しますが、国民世論の反撃にあって廃案になります。その後、長い間浮上しませんでしたが、安倍晋三内閣から特定秘密保護法、共謀罪法、経済安保法、能動的サイバー防御法など一連の治安立法が強行され、その総仕上げとして今、「スパイ防止法」を制定しようとしています。
―参政党の神谷宗幣代表は、戦時中の「防諜講演資料」を宣伝する『情報戦の教科書』を出版し、国会で国民への防諜教育を求めています。高市政権や参政党は米中央情報局(CIA)に倣った対外情報庁の創設も狙っています。暗黒の時代をよみがえらせようという動きに、どう対峙(たいじ)すればよいでしょうか。

「スパイ防止法反対」「国家情報局反対」を訴える人たち=4月17日夜、国会前
神谷代表は昨年の参院選で、公務員を対象に「極端な思想の人たちはやめてもらわないといけない。これを洗い出すのがスパイ防止法だ」と演説しています。思想で選別して排除するやり方は、戦後民主化の反動として猛威を振るったレッドパージを想起させます。
対外情報庁は、スパイ養成機関をつくって海外に日本がスパイを送り込むことです。パスポートやマイナンバーカードの偽造などで、身分を偽装するなんてことは、戦前、諜報や謀略などの秘密戦を担った特務機関、それを教育・訓練する陸軍中野学校の再来です。
今日の平和憲法のもとで、こんなことを公然とやるのはおかしいだろう。私たちはそういう社会を望んでいない。そういう声をあげていく時です。
「スパイ防止法」に反対する仙台の集会で5月24日に講演した際、SNSの発信を見て山形から参加した若い女性もいて、希望を感じました。こうした反対運動を広げることが、戦前回帰の動きにブレーキをかける力になると思います。
■戦後に廃止された防諜法令
・国防保安法
・国防保安法施行令
・軍用資源秘密保護法
・軍用資源秘密保護法施行令
・軍用資源秘密保護法施行規則
・軍機保護法
・軍機保護法施行規則
■安倍政権以来の治安立法
・特定秘密保護法
・共謀罪法
・経済安保法
・能動的サイバー防御法
■高市政権が推進する治安立法
・諜報と防諜の司令塔・国家情報会議と国家情報局を設置
・スパイ防止関連法制(基本法、外国代理人登録法など)
・独立した対外情報庁、情報要員養成機関を創設
おぎの・ふじお 1953年埼玉県生まれ。小樽商科大学名誉教授。日本近現代史。著書に『思想検事』『特高警察』『よみがえる戦時体制―治安体制の歴史と現在』『検証 治安維持法―なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』『治安維持法と「国体」』など多数。

