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日本の廃線 今尾恵介
(2) のと鉄道能登線の軌跡
2026年5月12日【くらし】
2024年の元日早々に起きた能登半島地震。激甚な被害からの復興がなかなか進まない中、その後の2年間で奥能登地域にあたる4市町―珠洲(すず)市、輪島市、能登町、穴水(あなみず)町の人口は、約14%も減少した。
この地震では、半島の中央部を走る「のと鉄道」も被災。完全復旧まで3カ月あまりを要しているが、今世紀初めまでは現在の終点である穴水駅から、2本の鉄道が伸びていた。ひとつは北側の輪島に至る七尾線の一部区間20・4キロ、もうひとつは東へ向かう能登線の61・0キロである。
もともとは両者とも国鉄路線であったが、自動車の普及に伴って道路の整備が進み、全国の多くのローカル線と同様に収支が悪化した。1980年代の「国鉄改革」の中で廃止候補がリストアップされて、次々と第三セクター線またはバスへの転換が行われた。能登線も88年に「のと鉄道」に移管されている。
ところが、人口の減少や自動車保有台数の増加(92年から2002年に2割増)によって、さらに利用者が減少。92年に16・5往復あった列車本数は、2004年には9往復まで減便が進んだ。
「お得意さん」高校生減少で
地域全体の人口減少の中で特に若年層はこれが顕著で、同じ22年間で高校生の数は38%も減少。ローカル線最大の「お得意さん」は運転免許を持っていない高校生であり、その減少は鉄道経営に直接響く。奥能登4市町の高齢者比率は、現在ほぼ50%に達している。
のと鉄道はその後、JRから七尾線の和倉温泉~輪島間を引き受けることとなり、その部分の赤字も背負うことで経営はさらに悪化した。この中で乗車率の低い穴水~輪島間を01年に廃止したが、金沢から輪島へ鉄道で直接行けなくなった七尾線は、乗客をさらに減らしていく。まさに悪循環である。
これが先に三セクへ移管された能登線にも影響を及ぼし、05年にはこちらも廃止。毎年の経常赤字は2億~3億円であったが、有効な手立(てだ)てを打てないまま奥能登の鉄路は姿を消した。
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のと鉄道能登線の波並駅跡(2017年7月撮影)
改めて1990年の時刻表を調べてみると、金沢―輪島間は急行「奥能登」で最速2時間18分。現在の特急バス(2時間49分)より30分ほども速かった。この急行は、かつて大阪方面へ直通していたこともある。
穴水―珠洲間を現在のバスでたどるなら、途中の能登町役場前で乗り換えて2時間30分~50分。鉄道時代の1時間40分前後よりずっと遅い。これにより、能登町の中心地である宇出津(うしつ)からたとえば七尾高校へ通うには、90年の時刻表によれば6時23分発に乗ればよかった。しかし今では朝一番のバスでも始業には間に合わない。進学しても、七尾市内に下宿するか長い距離を親が送迎せざるを得ないのが現状である。能登随一の進学校へ通うことができるかどうかは、地域にとって重大な問題ではないだろうか。
建設費かけた公共交通が…
旧国鉄能登線は59年から64年にかけて開通した比較的新しい路線のため、他のローカル線に比べればカーブが比較的緩いなど線路条件は良く、その代わりにトンネルの数は49と多く全線の19%に及ぶ。それだけ建設費をかけて造ったインフラである。駅の数も29(起点を除く)と多く、津々浦々を結ぶわりには比較的短時間で走破していた。そのため廃止後の代替バスでは所要時間で太刀打ちできない。
晩年の「赤字額」は前述のように年間2億~3億円に及んだ。一方で、石川県予算に見る「道路橋りょう費」は、能登半島地震より前の2022年度に約377億円だった。(補正を含む)
能登半島北部全体の交通に大きな影響を及ぼす能登線の廃止に至る前に、重要な公共交通を担うこの路線に、少しでも手当てをすることはできなかったのだろうか。
(地図研究家、フリーライター)(火曜掲載)

