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日本の廃線 今尾恵介
(1) 国鉄のローカル線廃止

2026年5月5日【くらし】

今年3月22日、北海道の北部で「音中(おとなか)道路」が開通した。道路の名称は音威子府(おといねっぷ)村と中川町を結ぶことに由来する。

2007年度に着工された片側1車線、全長19キロの自動車専用道路で、トンネルが44%を占めることもあって総事業費は1452億円。これまでは、天塩川にぴったり沿う国道40号が29キロ(東京~横浜間にほぼ相当)で結んでいたが、その遠回りをトンネルでショートカットして大幅な時間短縮を遂げた。もちろん、自動車を日常の足とする地元の住民としては、歓迎ムード一色である。

鉄道の建設に積極的だった

それとは対照的なのが鉄道だ。この地域で並走する宗谷本線の列車は、1990年の時点で普通列車5往復、急行が4往復(合計9往復)あったのが、現在は特急3往復・普通3往復のわずか6往復に過ぎない。駅の数(起点・終点を含む)も90年の59から、2026年には34と4割も減少した。

北海道では、明治以来の政府による植民政策で、政策的な先行投資として鉄道建設を積極的に進めてきた。ところが、第2次世界大戦後の急激なモータリゼーションの影響で、鉄道の旅客はバスや自家用車、貨物はトラックに移って利用者は減少の一途をたどる。全国の自動車台数は、1960年の290万台から、60年後の2020年には8185万台と約28倍に激増した。もはや「別の国」になったと形容すべきかもしれない。

そんな中で「赤字の元凶」とやり玉に挙げられたのが、国鉄のローカル線である。

赤字線に焦点が当てられ、中曽根内閣で断行されたいわゆる「国鉄改革」で、多くの地方交通線は第三セクター会社への移管、または廃止・バス転換が進められた。85年からJR発足後の89年までのピーク時には、道内だけで実に1400キロを超えるローカル線が廃止されている。中には名寄(なよろ)本線のような「亜幹線」ともいうべき路線さえ姿を消した。図は1963年の旅行案内図だが、青く着色した区間がその後の廃線である。(後に新設された石勝線、北海道新幹線は茶色太線で追加)

 

かつては大雪が降ると、道路が閉鎖されても国鉄だけは強力な除雪態勢で走る頼もしい存在だったが、民営化後はその余力もなく、今では大雪の予報でいち早く計画運休するのは、JRの方である。自然条件が厳しく、昨今では土砂災害の多発で被災する鉄道路線も増えた。これらを民営会社任せでよいのか、問われるべきだろう。

左に並べた2図は1965年と2026年の鉄道網で、下図の黄色区間は「JRが単独で維持するのが困難」として地元負担を伴う「上下分離方式」が検討されている区間だ。この区間の2024年度の「赤字」は148億円に上る。

独立採算では維持できない

ヨーロッパでは、そもそも鉄道事業を単独で黒字にしようとする発想がない。今から35年前の1991年に発出された「EU指令440号」では、各国有鉄道の上下分離が求められた。線路や駅などの施設は国が責任をもって整備し、上を走る列車の運行は国際的な自由参入で価格競争を促す。

周回遅れの日本は今なお独立採算を強いているため、ローカル線の維持は構造的に困難だ。ギリギリ骨組みだけが残る現状をさらに削り込めば、北海道における公共交通としての鉄道の役割は、きわめて限定的なものとなってしまう。

考えてみれば「黄色線区」の年間赤字額の合計は、冒頭でご紹介した「音中道路」の2年分の総事業費にすぎない。北海道の道路関係予算は、年間約2200億円にのぼる。どこかバランスを欠いていないだろうか。

(火曜掲載)

いまお・けいすけ 地図研究家、フリーライター。一般財団法人日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査。『地図で読む戦争の時代』(白水社)、『地名散歩 地図に隠された歴史をたどる』(角川新書)、『ぶらり鉄道廃線跡を歩く』(PHP研究所)など著書多数。