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日本共産党

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赤旗

大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する

――ソ連共産党の解体にさいして

一九九一年九月一日 日本共産党中央委員会常任幹部会


19910901-1面
2日付「赤旗」の紙面

 ゴルバチョフが八月二十四日、ソ連共産党書記長を辞任するとともに、「ソ連共産党中央委員会は解散という困難だが誠意ある決定を採択しなければならない」とのべ、二十五日に同党中央委員会書記局がこの声明を受け入れたことによって、ソ連共産党の解体は決定的なものとなった。

 ソ連共産党の解体は、犯罪的なクーデターにこの党の指導部が深く関与したことを直接の契機としたものであったが、長期にわたって世界の共産主義運動、平和と社会進歩の事業に巨大な害悪を流しつづけてきた大国主義、覇権主義の党が終焉(しゅうえん)をむかえたことは、これと三十年余にわたって党の生死をかけてたたかってきた日本共産党として、もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事である。

(一)

 ソ連共産党が、スターリン・ブレジネフ時代から世界に及ぼしてきた大国主義・覇権主義の誤りが、二十世紀の世界史にもたらした重大な否定的影響は、はかりしれないものがあった。一九四〇年のバルト三国併合、四五年の第二次世界大戦終結時における千島列島と歯舞・色丹の不法な占有、五六年のハンガリー軍事干渉、六八年のチェコスロバキア侵略、七九年のアフガニスタン侵略など、くりかえしおこなわれた野蛮な武力による民族自決権のじゅうりんは、ほんらい対外干渉と侵略には無縁である科学的社会主義の理念を傷つけ、平和と社会進歩のためのたたかいに大きな困難をもちこんだ。

 ソ連共産党の大国主義・覇権主義は、世界の共産主義運動や、平和・民主運動にたいして、自らの路線や行動を無条件におしつけるという点でも、きわめて有害な役割をはたした。ソ連共産党は各国の共産党にたいして、指導部を転覆して傀儡(かいらい)勢力をそれにとってかわらせたり、一国に複数の前衛党があってもよいとする「併党」論の立場から親ソ派を育成・援助するなど、手段をえらばない干渉をほしいままにした。そうした干渉と断固としてたたかわず、ソ連共産党に追従し、その路線と行動を無条件に支持・礼賛してきた党の多くは、自国で国民の支持を失い、泡まつ政党としてみじめな状態におちいり、あるいは東欧とソ連の激変をつうじて党そのものの解体という状況に直面した。

 一九八五年にソ連共産党書記長となったゴルバチョフも、従来の大国主義・覇権主義の立場を無反省のままひきついだ。とりわけ重大なのは、ゴルバチョフが「新しい思考」の名のもとに、人民のたたかいを否定し、帝国主義者に不当な期待をよせて無原則にそれを美化する態度をとり、それを世界の人民の運動におしつけたことであった。社会発展の原動力としての人民のたたかいの意義を否定する、「レーニン死後最大の誤り」というべきこの未曽有(みぞう)の謬論(びゅうろん)の大国主義的おしつけは、世界の平和と進歩の事業にたいして広範な破壊的影響をおよぼした。

 ソ連共産党は、七月末に開かれた中央委員会総会で決定された新綱領草案にもしめされているように、科学的社会主義の世界観を放棄して社会民主党化の宣言をおこなうなど、科学的社会主義の党としての実体を自ら否定していた党であった。しかも、こうして「転向」を宣言したソ連共産党は、新綱領草案にのべられているように、ソ連だけではなく世界中でもはや階級闘争や革命は不要だと主張し、世界の党にたいしても変節を事実上おしつける態度をとった。世界に大国主義の巨悪をふりまいてきたこの党は、自らの存在をやめる最後まで、それにふさわしい否定的な役割をはたそうとしたのである。

 二十世紀の歴史的巨悪に最後まで無反省だったソ連共産党が、大国主義的なソ連邦体制の護持を直接の動機とする無法なクーデターに深く関与し、そのことへのきびしい指弾をうけて自壊の道をたどったことは偶然ではない。エンゲルスの言葉に「他民族を抑圧する民族は自由ではあリえない」という有名な警句があるが、対外的な大国主義は、国内における官僚主義と民主主義抑圧と一体不可分のものであった。他民族にたいしてクーデター的なやり方で無法な抑圧をしいてきたこの党が、自国においても反民主主義的なクーデターの暴挙にはしリ、そのことが自らの墓穴をほることとなったことは、当然のむくいといわなければならない。ソ連共産党の解散は、そうした歴史に逆らう者の必然的・法則的な破綻(はたん)にほかならないのである。

(二)

 日本共産党は、この三十年来、こうしたソ連共産党の大国主義・覇権主義の歴史的巨悪にたいして、党の生死をかけてたたかってきた。

 わが党は、チェコ侵略やアフガン侵略など、民族自決権をじゅうりんしたソ連の犯罪的行為にたいして、「社会主義の立場とは無縁」ともっともきびしい批判をくわえてきたことをはじめ、ソ連共産党の大国主義・覇権主義のあらゆるあらわれにたいする断固たる批判者であった。日ソ領土問題にたいしても、民主主義と国際法の道理にたって、不当なスターリンの大国主義的な領土併合をきびしく批判し、千島列島、歯舞・色丹の返還をつよくもとめてきた。

 一九六〇年代前半以降に、ソ連共産党によってくわえられた大国主義的干渉とのたたかいは、わが党にとってその存亡をかけたたたかいとなった。ソ連指導部は、駐日ソ連大使館も活用して対ソ盲従の反党分派を育成し、それに激励と支持をあたえた。この反党分派によって日本共産党指導部を転覆し、党をのっとるというのが彼らのくわだてであった。これにたいして、わが党がもしも屈していたり、妥協的な態度をとったとしたならば、日本共産党にとって破滅的な事態になっていたことは明らかであった。しかし、わが党はこの干渉と徹底的にたたかいぬき、断絶をふくむ十五年間の不正常な両党関係ののちに、一九七九年、ついにソ連共産党に干渉の誤りを認めさせた。

 しかし、その後も、アフガン侵略問題、ポーランドへの干渉問題、世界平和と核兵器廃絶の問題、日ソ領土問題、日本社会党美化問題、ゴルバチョフ「新思考」路線の問題などをめぐって、わが党とソ連共産党とのきびしい論争はつづいた。アフガニスタン問題などで、民族自決権擁護の立場からソ連の対外政策や行動にたいして批判的な態度をあきらかにした日本共産党にたいして、「反ソ主義=反共主義」と非科学的に断定した集中攻撃がくわえられた。

 ソ連の覇権主義的な宣伝機関に堕した『平和と社会主義の諸問題』誌上では、系統的に「反ソ主義との闘争」なるキャンペーンがくりひろげられた。日本共産党は一九八一年十二月以降、この雑誌の廃刊と編集機関の解散を要求してたたかいつづけた。そのため、一時は、同誌の代表者会議などでソ連派の諸党から総攻撃をうけ、きびしい孤軍奮闘をしいられたこともあった。この時のわが党の態度表明にたいしては、「自主的」といわれた若干の諸党ですら、「行き過ぎ」ではないかとのべた。これらの党は、チェコ侵略やアフガン侵略のさい、言葉では反対や不同意を表明したが、それは一時的、眼定的なものであり、ソ連の大国主義・覇権主義克服を、世界の共産主義運動の恨本問題としてとらえて、このたたかいに正面からとりくむということをしなかった。しかし歴史の進行は、この問題でもわが党の勇気ある態度の正しさを証明した。『平社』誌は、九〇年、東欧とソ連の激変をつうじて大国主義・覇権主義の破綻が明りょうになるなかで、廃刊においこまれることになった。

 このように、大国主義・覇権主義にたいするわが日本共産党の立場は、この歴史的巨悪をただ座視していたという歴史の傍観者の立場ではなく、それと文字どおり生死をかけてたたかいつづけてきた歴史の変革者としての立場につらぬかれている。世界の共産党、労働者党のなかでも、日本共産党の断固としたたたかいを明確に支持したものはない状況のもとで、そういう闘争をおこないえたというのは、わが党が共産主義運動の未来にたいする深い確信をもっていたからにはかならない。そして今日、その立場の正しさは、国際的にも認められ、東欧とソ連の激動をつうじての大国主義・覇権主義の破綻という事実によって、世界史のなかに確定しつつある。長年にわたる困難な闘争ののちに、ソ連共産党の解体という事実によって、この巨悪に反対をつらぬいた科学的社会主義の党としての値打ちが歴史によって証明されたことを、われわれは誇りに思う。

 世界の社会主義の代表者のような顔をしながら、社会主義の立場とはまったく無縁の大国主義・覇権主義の害悪を流しつづけてきたソ連共産党が解体するということは、世界で科学的社会主義の立場を堅持してすすもうとする勢力への妨害物がなくなるという点で、世界の平和と社会進歩の勢力にとっても、日本共産党のたたかいにとっても、巨大なプラスをもたらすものである。これは、世界の共産主義運動の前途にとって、大国主義・覇権主義とそれへの追従の誤りから解放されて、大局的には新しい発展をかちとる条件と可能性をきりひらく歴史的画期となりうるものである。そして、科学的社会主義の学説・運動は、ソ連、東欧などでの覇権主義と非科学的な場あたり主義の破綻によっていささかも否定されるべきものではない。世界の科学的社会主義の運動が今日の時代を、これまでの運動の主体性を検討して運動の再検討をはかる絶好の機会となることをわれわれは希望する。

 これまでわが党は、ソ連共産党によってくりかえし犯された大国主義・覇権主義の誤りとそれを利用した反共攻撃とたたかいつつ、日本の社会進歩の事業を前進させなければならなかったが、その巨悪が終焉をむかえたことは、日本の社会発展の事業の前途をおおいに有利にするものでもある。日本共産党は、こうした大局的展望からも、ソ連共産党の解体という事態を心から歓迎するとともに、世界的な帝国主義、覇権主義の害悪の全面的な清算をめざして、ひきつづき力をつくすものである。

(三)

 ソ連の事態は、科学的社会主義の立場とは縁もゆかりもない大国主義・覇権主義の破綻としておおいに歓迎すべきことであるが、同時に、そういう破綻につづく現在のソ連の事態は、大国主義の遺産が継続していることにくわえて、資本主義待望論の傾向がますます勢いをましているなど、社会発展の法則的な進路から逆行する複雑な様相をていしていることを、リアルにみる必要がある。ソ連のさまざまな政治的潮流も、大国主義への無反省と、資本主義待望論という点では、問題点を共有している。したがって、これを「十月革命につづく第二の革命」などと、社会の法則的発展の必然的段階のようにみることは、正しい見方とはいえない。

 こうした混乱と方向喪失は、スターリン、ブレジネフからゴルパチョフにいたる、長期にわたる科学的社会主義からの重大な逸脱の継続の結果としてうまれているものであり、この混迷を脱して大国主義の誤りと無縁な科学的社会主義の立場に立った有力な潮流がうまれるのは、多くの紆余曲折(うよきょくせつ)と長期にわたる展望をともなうものとなるだろう。しかしいずれは、ソ連社会の矛盾と人民の要求そのものが、そういう潮流を生みだすことになることも法則的であるという展望を、われわれはもっている。

 こうしたもとで、発達した資本主義国で活動する日本共産党の世界的役割は、いよいよ重大なものとなっている。ソ連共産党が犯したさまざまな誤りも、根本的には、この国が第一次世界大戦のさなかに資本主義的発展の遅れた段階から、歴史のくみあわせによって社会主義の道にふみださざるをえなかったことと、むすびついたものであった。もちろん、われわれはこの誤りを不可避だったとみなすことはできないし、レーニンの指導のもとでソ連がしめした無併合・無賠償の平和、民族自決権の確固たる尊重、勤労者の生活と権利の抜本的拡充など、体制としての社会主義の先駆性をしめした画期的な事業の世界史的意義は、その継承者たちの誤りの破綻があらわになったからといって、清算主義的に否定されるべきでない。同時に、発達した資本主義国である日本における革命の事業は、文化・情報・組織の網の目がはりめぐらされているもとでの非常に緻密(ちみつ)な忍耐をもとめられる困難な事業であるが、高度な生産力の発展という点でも、民主主義の一定の経験の蓄積という点でも、人間の民主的な個性の発展という点でも、人類史の新しい未来をひらくはかりしれない新しい可能性をもった事業である。日本共産党は、世界の中でも大国主義の誤りとたたかいつづけてきた党として、この雄大な事業をきりひらく先頭にたって奮闘する国際的責務をおっている。

 反動勢力やブルジョア・マスコミは、ソ連の事態を利用して、「社会主義の実例がなくなった以上、日本共産党のいうことには説得力がない」といった、新しい装いでの「社会主義・共産主義崩壊」論を氾濫(はんらん)させている。しかし、科学的社会主義の生命力をしめす「実例」は、外国のあれこれの国にあるのではない。日本において科学的社会主義の党が、戦前、戦後の六十九年、日本の社会発展の法則的な促進者としてどういう役割をはたしてきたかという中にこそ、わが党の存在意義をもっとも雄弁に語る「実例」が確固として存在しているのである。とりわけ、戦前の絶対主義的天皇制の暗黒政治のもとで、日本共産党がどんな弾圧にも屈せず、侵略戦争反対、国民主権の旗をかかげつづけ、その正しさが歴史の現実の進行によって確定したものとなっていることは、日本共産党の存在意義を不滅のものとしている。どのような反共攻撃も、こうした歴史の事実の前には、まったく無力なものであり、恐れるにたらないものである。

 大国主義・覇権主義の党の歴史的終焉という事態にさいして、その歴史的巨悪とたたかいつづけてきた党として、そして国民とともに日本の社会発展を促進してきた輝かしい歴史をになってきた党として、日本共産党は、世界の発展、日本の社会進歩の事業の前進のために、全力をかたむける決意を新たにするものである。

(「赤旗」一九九一年九月二日)

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