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2025年参議院選挙各分野政策

86、沖縄基地問題

米軍犯罪を許さず、辺野古新基地建設の中止・撤回、基地のない平和で豊かな沖縄の実現に全力をつくします

2025年6月

辺野古新基地建設を中止・撤回し、普天間基地をただちに閉鎖・撤去する

歴代自民党政権は、沖縄県民の民意をふみにじり、名護市辺野古への米軍新基地建設を強行してきました。とりわけ自民党が政権に復帰した12年以降、沖縄の米軍基地問題の歴史的経緯を無視した、きわめて卑劣で強権的なやり方がとられるようになっています。

石破首相は、自民党幹事長だった2013年11月、県選出の党国会議員5人を自民党本部に呼びつけ、「辺野古容認」へと屈服させました。記者会見を行う石破幹事長の脇で、うなだれる5人の姿に、「平成の琉球処分」だとの県民の激しい怒りの声が沸き起こりました。

石破氏は24年9月に那覇市で行われた自民党総裁選の演説会で、当時のことを詫びました。ところがその中身は、県民の総意を分断し、辺野古新基地建設を押し付けたことではなく、「沖縄選出の国会議員に大変な迷惑をかけた」ということでした。詫びるというなら沖縄県民に詫びるのが当然ではないでしょうか。詫びる相手が間違っています。

その後、13年末の仲井眞知事による埋め立て承認に県民の怒りが爆発し、翌年の県知事選挙で故翁長雄志知事が圧勝しました。ところが、安倍首相は、選挙で選ばれた知事に当初は会おうともしませんでした。

15年8月には、国と沖縄県との間で、辺野古の問題をめぐって集中協議が行われました。翁長知事が沖縄戦での悲惨な体験と戦後の米軍統治下で基地がつくられた経緯を振り返りながら、「県民には『魂の飢餓感』がある」と述べて、新基地建設の中止を訴えたのに対し、当時の菅官房長官は、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は分からない」「日米合意の辺野古が唯一というのがすべてだ」と言い放ちました。

県民が選挙や県民投票で新基地反対の民意を示しても、それをあざ笑うかのように投票日翌日から大量の機動隊員を動員して工事を推し進めてきました。国民の権利救済を目的とした行政不服審査制度の濫用を繰り返し、岸田政権が戦後初めて地方自治法に基づく代執行にふみきるなど、民意も法律も地方自治も無視して、日米合意ありきで基地建設を強行してきたのです。

この問題の出発点は、95年9月に沖縄県内で発生した3人の米兵による少女暴行事件です。復帰後も変わらぬ基地の現状に県民の怒りが爆発し、その年の10月21日には、8万5000人が結集して、事件に抗議する「沖縄県民総決起大会」が開かれました。

慌てた日米両政府が翌年4月の橋本・モンデール会談で突如打ち出したのが、普天間基地の全面返還でした。ところが、そこには、県内に代わりの基地を建設するという条件がつけられていました。合意から29年以上がたった今も、返還は実現していません。

沖縄は、戦後27年間に及ぶ米軍の直接統治下で、憲法が適用されない無権利状態に置かれました。米軍基地に土地を奪われ、米軍関係者による殺人、強盗、レイプ、米軍機の墜落、爆音、軍事演習に伴う流弾や原野火災、環境汚染などに苦しめられてきました。基地の重圧に苦しめられてきた沖縄で新たな基地の建設を受け入れられるはずがありません。

沖縄県民は、辺野古新基地建設に明確に反対の意思を示してきました。97年の名護市民投票では、基地建設に「反対」が52.6%、条件付き反対を含めて53.8%に上り、過半数を占めました。

13年1月には、県内の全41市町村・議会、県議会、経済・労働・婦人団体の代表らが、オスプレイ配備の撤回と普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念を求める「建白書」を安倍首相に提出しました。ところが、安倍政権は同年3月、辺野古の埋め立て承認申請を県に提出し、12月に仲井眞知事が県外移設の公約をくつがえし、毎年3000億円台の沖縄関係予算と引き換えに承認したのです。「これでいい正月を迎えられる」という仲井眞知事の発言に、県民の怒りが頂点に達しました。

翌14年は、一連の選挙で、埋め立て承認を許さず、新基地建設を絶対に認めないという県民の圧倒的民意が示された怒涛の一年になりました。1月の名護市長選挙で稲嶺進市長が大差で再選を果たし、11月の県知事選挙で翁長知事が10万票差で圧勝し、12月の衆院選挙では、沖縄1区から4区まですべての小選挙区で、オール沖縄の候補者が勝利しました。

それでも「選挙は様々な施策で各候補の主張が行われた結果である」などとごまかす政府に対し、19年2月には辺野古の埋め立ての是非を問う県民投票が行われ、投票総数の71.7%が反対票を投じ、県民の圧倒的な民意を突き付けたのです。これほど明確に民意が示されている以上、民主主義の国の政府として、辺野古新基地建設を中止・撤回するのが当然です。

政府は「辺野古が唯一の解決策」と言いますが、大浦湾側の施工区域には、最深90メートルに及ぶマヨネーズ並みの超軟弱地盤が確認され、地盤改良のために約7万1千本もの砂杭(すなぐい)を打ち込む計画です。現在の作業船で改良できるのは70メートルまでで、施工できない部分が残り、沈み続ける基地になります。投入できる作業船も限られています。いつ完成するのか、本当に完成できるのかさえわからなくなっているのが実態です。

政府は、代執行後に大浦湾側の関連工事に着手した24年1月を起点に12年間で完成するとしていますが、水深が浅く、地盤改良の必要もなかった辺野古側の埋め立て工事でさえ、当初は半年で終わる計画が、実際には10倍の5年間を要しています。広範囲に軟弱地盤が広がる大浦湾側で、工事がさらに長期化するのは必至です。2000年代に韓国で行われた海底トンネルの地盤改良工事では、砂杭を打ち込むための設備が突風や高波で折れ曲がるなどの事故やトラブルが多発しています。

予算の点でも、政府は当初、新基地の総工費の見積もりを約3500億円と説明していましたが、軟弱地盤の改良工事に伴い、19年に約9300億円に引き上げました。ところが、25年度末の時点で、予算は8割を使ってしまう一方で、埋め立ては全体の17.5%(計画土量2020万㎥に対し約354万㎥)にとどまる見込みです(中谷防衛相/25年2月5日衆院予算委員会、赤嶺政賢衆院議員への答弁)。見積もりをはるかに上回る莫大な予算を投じることになるのは明らかです。

在日米軍再編に関わった米軍関係者からも、「工事に巨額のコストをかけるが、悪い投資だと思う」「マヨネーズ並みといわれる軟弱地盤など不明点が多く、工期もはっきりしない。本当に完成するのかさえ誰も自信が持てないのではないか。工事が長引くほど、普天間は維持され続け、不満が募るばかりだ」(元米海兵隊当局者で米ジョンズ・ホプキンス大高等国際関係大学院(SAIS)博士課程のショーン・ハーディング氏/24年8月26日「朝日」デジタル版)と疑問視する声が上がっています。

辺野古新基地建設は、政治的にも技術的にも破綻しています。「辺野古が唯一の解決策」という固定観念から抜け出さない限り、普天間基地の返還は実現できません。

04年には、普天間基地所属の大型ヘリCH53Dが沖縄国際大学に墜落しました。17年には、基地周辺の保育園や学校にヘリの部品や窓枠を落下させる事故を起こしています。政府は、住民の命や安全よりも米軍の運用を優先する姿勢を改め、危険な普天間基地の即時運用停止、閉鎖・撤去にふみきるべきです。

12年には、住宅地のど真ん中にある普天間基地に、開発段階から墜落事故を繰り返してきた米海兵隊のMV22オスプレイが配備されました。同基地所属のオスプレイは配備以降、16年12月に名護市安部の海岸付近に、17年8月にはオーストラリア沖で墜落事故を引き起こしています。23年11月には、横田基地所属の米空軍CV22オスプレイが、嘉手納基地に向けて飛行中に屋久島沖で墜落しました。緊急着陸や部品落下も各地で日常的に繰り返しています。

オスプレイは、オートローテーション(自動回転)機能の欠如、クラッチや防氷装置の欠陥などさまざまな構造上の問題が指摘され、根本的な対策が講じられないまま飛行を続けています。屋久島沖の墜落の事故調査報告書も、「ギアボックス」(変速装置)内で特定のギアが破断したことで事故につながったとする一方、破断の根本的な原因を特定することはできませんでした。

危険きわまりない欠陥機オスプレイはただちに撤去すべきです。同機を撤去すれば、辺野古の新基地も不要になります。

そもそも沖縄の米軍基地は、沖縄戦で上陸した米軍が、県民を収容所に入れている間に、民公有地を問わず一方的に囲い込んでつくったものです。沖縄を本土から切り離し、米軍の施政権下に置き去りにした1952年のサンフランシスコ講和条約以降は、銃剣とブルドーザーで反対する住民を強制的に排除し、基地をさらに拡張しました。私有財産の没収や略奪は、占領下においても最低限守るべき基準を定めたハーグ陸戦法規に明白に違反するものです。国際法に違反して、住民の土地を強奪してつくった基地は無条件で返還するのが当然です。

辺野古・大浦湾の一帯には、世界的にも貴重な生物多様性に恵まれた自然環境が残されています。世界有数の巨大サンゴ群落が広がり、ジュゴンやウミガメなど約260の絶滅危惧種を含む5300種以上の生物が生息しています。沖縄県の自然環境保全指針で「厳正な自然保護を図る区域」であるランクⅠに指定されている海域で、19年には、世界的な海洋学者として知られるシルビア・アール博士が率いる環境NGO「ミッション・ブルー」が「ホープスポット」(Hope Spot:希望の海)に認定しています。多くの県民が辺野古の美しい海を子や孫の世代に引き継ぎたいと願っています。

――辺野古新基地建設を中止・撤回し、普天間基地をただちに閉鎖・撤去します。

――欠陥機オスプレイを撤去します。

米軍犯罪の根絶へ、日米地位協定の抜本的な改正と米軍基地の縮小・撤去を進める

2023年12月、米軍嘉手納基地所属の米兵が16歳に満たない少女を誘拐し、性的暴行を加えるという重大事件が発生し、しかも24年6月末に沖縄のメディアが報道するまで半年間、政府が事実を公表せず、沖縄県にさえ通報していなかったことが明らかになりました。3月には起訴され、外務省の岡野正敬事務次官がエマニュエル駐日米国大使に綱紀粛正と再発防止を申し入れていました。政府は23年以降24年9月までに、この事件を含めて県内で計6件の性的暴行事件を隠蔽していたことが明らかになっています。

日米間には、在日米軍による事件・事故が発生したときの通報手続が存在しています。1995年の少女暴行事件に県民の怒りが爆発したのを受け、日米地位協定の運用改善の一環として、97年の日米合同委員会で合意したものです。そこでは、現地レベルでは、米軍の司令官が迅速に沖縄防衛局(当時は那覇防衛施設局)に通報し、中央レベルでも、米軍から情報を得た在日米国大使館が速やかに外務省経由で、防衛省、沖縄防衛局へと通報し、通報を受けた同局が県や関係市町村に伝達する仕組みが構築されています。

ところが、今回、通報手続は全く無視され、沖縄県はおろか防衛省でさえ蚊帳の外に置かれていました。沖縄県や被害者支援団体は被害者への生活支援や精神的ケアを、防衛省は日米地位協定18条に基づく損害賠償の請求手続きを所掌しています。被害者が受けられるはずの支援を受けられなかった可能性があります。

再発防止の点でも、沖縄県は、通報がなされなかったために、米側への抗議や申し入れを行うことさえできませんでした。米軍は、08年の米海兵隊員による女子中学生暴行事件や16年の米軍属による女性殺害事件の際には、基地からの外出や飲酒を禁止・制限するなどの措置をとりましたが、今回はそれも行っていませんでした。こうしたもとで、県民には何も知らされないまま、あってはならない事件が立て続けに起きていたのです。政府の責任はきわめて重大です。

米軍は24年10月から、再発防止策の一環として、すべての軍種で午前1時から5時までの基地の外での飲酒を禁止しました。しかし、このような小手先の対応で、事件をなくすことはできません。坂井学国家公安委員長は、その後25年2月12日までに、刑法犯18件、交通人身事故2件、道路交通法違反20件、特別法違反3件、計43件の事件・事故が起こっていることを明らかにしています(2月26日衆院予算委員会)。3月には、海兵隊員が米軍基地内で基地従業員の日本人女性に性的暴行を加え、助けに入った女性にまで怪我を負わす事件も起きました。

25年4月には、嘉手納基地周辺のゲート通りなどで、日米合同パトロールも行われました。もともと米軍占領下の沖縄で行われていたもので、本土復帰後に県警が中止を求め、1974年以降、実施されていなかったものです。県警が中止を求めたのは、米軍の憲兵隊と県警が犯罪の現場に居合わせた場合、米軍が逮捕し身柄を拘束するという日米間の取り決めがあり、米軍の警察権の拡大につながるためです。米軍はこれを再び持ち出し、沖縄市が主催する防犯パトロールに相乗りする形で実現させたのです。米軍犯罪の根絶を求める県民の願いを逆手にとった許し難い対応です。

米兵による性暴力事件は、沖縄戦で米軍が上陸した直後から始まりました。55年の由美子ちゃん事件、95年の少女暴行事件をはじめ、少女の人権と尊厳をふみにじる重大事件が繰り返されてきました。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめている米兵による性犯罪の年表には、沖縄の女性たちが受けてきた暴力の数々が連綿と書き綴られています。それも記録が残っているものだけで、訴え出ることもできなかった無数の事件があることを忘れてはなりません。

軍隊と人権は本質的に両立しません。上官の命令絶対で、人を殺傷する訓練を日々行いながら、その暴力性を基地の中に置いてくることなどできません。加えて、米軍の治外法権的な特権を保障した日米地位協定が犯罪の温床になっています。政府は県民の人権蹂躙の根源にある日米地位協定の抜本的な改正と米軍基地の縮小・撤去に正面から取り組むべきです。

石破首相は24年9月の自民党総裁選の演説会で、日米地位協定の見直しに着手すると述べました。ところが、その後は、「一朝一夕でできる課題ではない」などと繰り返すだけで、米側に提起すらしようとしません。アメリカ言いなりにどっぷりつかった自民党では、改定は実現できません。

――日米両政府と関係自治体、被害者支援団体が連携し、被害者の保護とケア、完全な補償に万全をつくすことを求めます。

――米軍による事件・事故発生時の通報手続の遵守と関係自治体への迅速な通報を徹底させます。

――日米地位協定の抜本的な改正、米軍基地の縮小・撤去を進めます。

沖縄の軍事要塞化を中止・撤回し、憲法9条を生かした平和外交を

自民党政権は16年に与那国島に陸上自衛隊の沿岸監視隊を配備して以降、宮古島(19年)、石垣島(23年)、沖縄本島のうるま市勝連(24年)に自衛隊のミサイル部隊などを次々と配備してきました。先島諸島の住民など12万人を九州各県や山口県に避難させる計画の具体化まで進めており、沖縄が再び戦場になることへの不安が広がっています。

安倍政権は14年7月、歴代政府自身が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使を可能とする憲法違反の安保法制を強行し、日本が攻撃を受けていないもとでも他国の紛争に参戦することを可能にしました。このもとで、岸田政権は22年、安保法制を実践面から具体化する安保3文書を閣議決定し、敵基地攻撃可能の保有と大軍拡を推し進めてきました。沖縄では、陸上自衛隊の抜本的な増強、弾薬庫の増設、司令部の地下化などの軍事要塞化が進行し、敵基地攻撃可能な長射程ミサイルの配備もねらわれています。

24年10月の日米共同統合演習「キーン・ソード25」では、自衛隊と米軍のミサイル部隊が那覇駐屯地、那覇基地、勝連分屯地、南与座分屯地、石垣駐屯地、宮古島駐屯地、久米島分屯基地など県内各地に展開し、与那国駐屯地や石垣駐屯地からは負傷兵を日米のオスプレイなどで後方に輸送する訓練も行われました。まさに、沖縄全域が戦場になることを想定した訓練です。

21年12月、米軍と自衛隊が台湾有事を想定した新たな日米共同作戦計画の原案を作成したことが報じられました(共同通信)。台湾海峡をめぐって軍事衝突が起こったときに、米軍が南西諸島の約40カ所の島々を拠点に中国艦艇へのミサイル攻撃を繰り返し、自衛隊が安保法制に基づいて後方支援を行うという内容です。県民の知らないところで、日米一体の戦争計画を策定し、それに基づく訓練や準備を着々と進めているのです。

米軍と自衛隊が南西諸島の島々に部隊を展開させるためには、空港・港湾の軍事利用が必要不可欠になります。「キーン・ソード25」では、日米の輸送機などで米海兵隊の高機動ロケット砲システム(HIMARS=ハイマース)を新石垣空港に輸送し、防衛省・自衛隊がPFIで契約している民間船舶で中城港湾や平良港に部隊を輸送する訓練も行われました。

空港・港湾の軍事利用を円滑に進めるための公共インフラの整備も具体化が進んでいます。政府が空港・港湾の整備費用を補助するのと引き換えに、地方自治体に確認書を結ばせ、米軍や自衛隊の使用を安定的に確保する仕組みをつくろうとするものです。25年4月までに全国で11空港・25港湾を指定し、新たに道路も対象に追加しました(北海道の5港湾、沖縄の1空港にアクセスするための11道路を指定)。このうち沖縄では、那覇空港と石垣港、平良港、3道路(那覇北、小禄、豊見城東)が指定されています。

その上、24年の通常国会では、地方自治法を改定し、政府が「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と判断すれば、国が地方自治体に指示権を発動できるようにしました。軍事利用を拒否する自治体を国の指示に従わせ、強制的に戦争に協力させるものにほかなりません。

軍事活動に使用される空港・港湾は、国際法上の軍事目標として取り扱われ、戦争の際には攻撃が正当化されます。1944年の10・10空襲で、那覇港は、軍事物資の主要な積み揚げ港となっていたために真っ先に攻撃の対象とされました。離島住民の避難に必要不可欠な空港・港湾は民生利用に限るのが当然で、政府の言う住民避難は、大軍拡と空港・港湾の軍事利用を受け入れさせるための口実にすぎません。

台湾有事を想定した南西諸島の軍事要塞化が進められるもとで、沖縄戦の歴史を歪曲する動きが起こっていることも重大です。24年6月、沖縄県那覇市に司令部を置く陸上自衛隊第15旅団が、沖縄戦を率いた旧日本軍・第32軍の牛島満司令官の辞世の句をホームページに掲載していたことが沖縄の地元紙で報じられました。「旧軍の精神を受け継いでいるのではないか」という批判の声が相次ぎ、同旅団は10月にいったん削除しましたが、年明けの1月1日に再掲載しました。赤嶺議員が25年4月の衆院安全保障委員会で取り上げ、削除を指示するよう求めたのに対し、中谷防衛相は「平和を願う歌だ」などと答弁し、驚きの声が上がりました。

さらに、自民党の西田昌司参院議員が5月3日に那覇市で行われた憲法シンポジウムで、ひめゆりの塔の記述を「歴史の書き換え」などと発言しました。地方議会が相次いで抗議の意見書を可決するもとで、西田氏は「TPOをわきまえるべきだった」などと謝罪しましたが、「発言自体は間違っていなかった」と開き直っています。

陸上自衛隊の幹部候補生学校が、本土決戦を遅らせるための捨て石作戦を「偉大な貢献をなした」などと美化する教材を使用していたことも報じられました。火箱芳文・元陸上幕僚長は、陸上自衛隊は旧陸軍の思想や戦術を継いでおり、一命を賭して国を守るのは同じだとし、そのうえで、靖国神社を国家の慰霊顕彰施設に復活し、一命を捧げた自衛官をまつるようにすべきだと主張しています(毎日新聞ウェブサイト)。台湾有事を想定した戦争準備が進むもとで、過去の戦争を美化し、旧軍の精神に立ち返ろうとする動きが強まっていることを示すものです。

沖縄は、先の大戦で凄惨な地上戦を体験し、県民の4人に1人が犠牲になりました。沖縄戦に動員された県内21校の旧制師範学校・中等学校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」は25年6月、「全学徒戦没者追悼・平和祈念祭」を那覇市で行い、参列した元学徒や同窓生から批判と県の声が相次ぎました。同会は23年1月、「沖縄を戦場にすることに断固反対する声明」を発表し、「日本政府がすべきことは、非戦の日本国憲法を前面に、近隣の国々や地域と直接対話し、外交で平和を築く努力である。いかに戦争するかの準備ではない」と訴えています。

いま必要なことは、地域の緊張を高める軍事力の強化ではありません。戦争の心配のない東アジアをつくるための憲法9条を生かした平和外交です。

沖縄県の玉城デニー知事は22年5月、本土復帰50年にあたって政府に提出した「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」で、平和的な外交・対話によって地域の緊張緩和と信頼醸成を図るよう政府に求め、県自ら積極的に地域外交を推進しています。

政府は、対米追従の大軍拡と沖縄の軍事要塞化を中止し、東アジアに平和的な環境をつくるための外交努力に全力をあげるべきです。

――沖縄の軍事要塞化を中止・撤回し、戦争の心配のない東アジアをつくるための憲法9条を生かした平和外交を進めます。

――憲法違反の安保法制と安保3文書を廃止します。

――沖縄戦の歴史を歪曲する動きを許しません。

基地と経済のリンクを許さず、平和で誇りある豊かな沖縄をつくります

第二次安倍政権発足以降、沖縄の経済振興をめぐる政府の対応で特徴的なのは、1972年の沖縄の本土復帰の際に政府自身が強調した沖縄振興の原点を忘れ、基地と経済を露骨にリンクさせるようになったことです。

住民を巻き込み、県土が焦土と化した沖縄戦、その後の27年間に及ぶ米軍占領統治という、戦後の沖縄が背負わされた苦難の歴史への「償いの心」が、政府の沖縄振興の原点でした。

1971年11月6日の参議院本会議で、当時の山中貞則総務庁長官は、「多年にわたる忍耐と苦難の中で生き抜いてこられた沖縄県民の方々の心情に深く思いをいたし、県民への償いの心をもって事に当たるべきと考えます」と述べています。

ところが、今この原点は全く忘れ去られています。2014年度の沖縄関係予算は、3501億円でしたが、25年度は2642億円で、859億円の減額になっています。とりわけ県が自主的な選択に基づいて実施できる一括交付金は、1759億円から721億円へと1000億円以上も減らされています(一括交付金から外出しし、別項目としたものもある)。辺野古新基地建設に反対してきた翁長、玉城両県政への“見せしめ”“嫌がらせ”にほかなりません。こうしたもとで、学校や河川の改修、生活道路の整備など、県民の生活に関わるさまざまな事業に遅れが生じるなどの影響も出ています。

県民生活向上のための予算を私物化し、基地押し付けに利用するような自民党政権には、きっぱりノーの審判を突き付け、退場させなければなりません。不当に減らされた予算を増額し、沖縄の自主性を尊重しながら、必要な予算を国の責任でしっかりと確保する経済政策に転換する必要があります。昨年の総選挙で与党を過半数割れに追い込んだもとで、今度の参議院選挙でどのような審判を下すのかがきわめて重要です。

県民総所得に占める米軍基地関連収入の割合(基地依存度)は、県経済の発展に伴い、復帰当時の15%台から5%台に大幅に低下しています。米軍基地が返還された那覇新都心地区、小禄金城地区、桑江・北前地区などでは、返還前と比べて直接経済効果は約28倍、雇用者数は約72倍となっています。経済発展の最大の阻害要因となっている基地の返還を進めてこそ、沖縄の経済も発展します。

――基地と経済のリンクを許さず、沖縄関係予算を増額します

――経済発展の最大の阻害要因となっている米軍基地の返還を進めます