日本共産党

しんぶん赤旗

政策

日本共産党のかかげる政策をご紹介します

2025年参議院選挙各分野政策

88、被爆者援護

被爆者に対する国家補償の実現を

2025年6月

アメリカの広島と長崎への原爆投下によって、1945年の末までに21万人の命が奪われました。かろうじて生き延びた被爆者も、放射線をはじめとする原爆の被害に苦しみ、家族をはじめ愛するものを奪われた心痛と、社会的差別、経済的苦難のもとに人生を送ってきまたました。

日本共産党は、被爆者の健康と生活を支えていくために、原爆症認定をはじめ、援護施策を抜本的に改善することを求めます。同時に、日本政府がヒロシマ・ナガサキにいたる戦争を起こしたことを反省し、「再び被爆者をつくらない」決意を込めた国家補償の実現を求めます。

ノーベル平和賞の受賞式での講演で、田中熙巳・日本被団協代表理事は「何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております」と訴えました。

被爆者の平均年齢は85歳を超えています。一刻も早く、被爆者行政を抜本的に改善し、国家補償を実現することを求めます。

国家補償とは何か

国家補償とは、国がその活動によって、国民にあたえた損害の責任を認め、補償をすることです。政府は人・軍属などには年金や給与金など、戦争被害への厚い補償をおこなってきました(「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(1952年))。その支給総額は60兆円を超えると言われます。しかし、被爆者や空襲被害者など民間人は、補償の対象にはなっていません。

米軍による広島と長崎への原爆投下は、民間人を無差別、大量に、しかも残虐なやりかたで殺りくするものであり、文民の保護をはじめ、武力紛争における人道的な取り扱いを定めた国際人道法に反するものです。したがって、本来なら米国政府に、被害者への補償責任があります。しかし、日本がサンフランシスコ平和条約で、賠償請求権を放棄している以上、この戦争をひきおこし、結果として国民に多大な犠牲をもたらした日本政府が、責任をもって補償にあたるべきです。

日本共産党は1973年、他党にさきがけて国家補償の被爆者援護法案を発表しました。1989年と92年に、日本共産党を含む野党が共同で提案した被爆者援護法案も、基本的に国家補償にもとづくものでした(いずれも自民党の反対で、衆議院で廃案)。日本共産党は、被爆者に対する国家補償の実現をつよく求めます。

戦争被害を合理化する「受任論」

政府が国家補償を拒む理由は、「受忍論」とよばれます。戦争は国家をあげての戦いだから、犠牲や損害が出ても、国民は耐え忍ぶ=「受忍」すべきだという理屈です。これは、日本の侵略戦争を肯定するものであり、憲法の平和原則と相いれません。

原爆被爆者対策基本問題懇談会(「基本懇」、厚生大臣の私的諮問機関)が1980年にとりまとめた意見書は、国家補償を否定し、死者への弔慰金や遺族年金の創設を拒む理由を次のように述べました。

「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、(中略)すべての国民がひとしく受忍しなければならないところであって、(中略)国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める途は開かれていないというほかはない」

日本被団協は1984年11月18日、「原爆被害者の基本要求」を発表し、「ふたたび被爆者をつくるな」という願いにたって、核兵器廃絶と国家補償の援護法制定という、二つの基本要求を明確にし、「受忍論」に対抗する運動の基本方向を打ち出しました。

被爆者援護策の抜本的改善を

政府が国家補償を拒みつづける一方、被爆者とそれを支える人々の粘り強い運動によって、被爆による疾病や健康不安に対する一定の援護施策を実現させてきました。1994年には「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(「被爆者援護法」)がつくられました。ただ、国が責任をもって被害を償うものではなく、放射線の被害を認めた者だけに手当を支給するなど、きわめて不十分なものです。「被爆者援護法」では、死没者対策の一部に改善(特別葬祭給付金)もありましたが、死没者への補償と弔意は否定しました。

国が原爆症と認定すれば、生活援護の意味もある月額約15万円の医療特別手当が支給されます。しかし、認定の範囲がきわめて狭いため、認定を求める訴訟がたたかわれてきました(原爆症認定集団訴訟)。国は訴訟で負け続けてきたにもかかわらず、抜本的な改善は行われていません。原爆症認定者は、被爆者(被爆者健康手帳保持者)約10万7千人のうちの約5千人と5%に満たないのが実態です(2024年3月、厚生労働省)。

「黒い雨」被害者を被爆者として救済せよ

広島、長崎の原爆投下直後の放射性物質を含んだ「黒い雨」や放射性降下物による健康被害について、国が被爆地域に指定しないために被爆者と認定されない「被爆体験者」全員の救済を求めます。

国は1976年、科学的根拠もなく、広島での雨域を「大雨地域」と 「小雨地域」に分断し、「大雨地域」だけを「健康診断特例区域」に決定し、年二回の健康診断と、国が指定する疾病と診断されれば被爆者健康手帳を交付し、手当を支給することにしました。しかし、特例区域とされなかった地域住民による運動がくりひろげられ、被害者は2015年に集団で提訴。2021年7月、内部被ばくの危険を認める広島高裁判決が確定し、原爆投下から76年を経て被爆者と認定されました。この裁判決をふまえ、2024年度末までに新たに7435人が原爆手帳の交付を受けました。

しかし、長崎ではこれが適用されていません。被爆者援護法に基づいた援護策を早急に施すよう求めます。

ビキニ被災の全容解明と被災者の援護を

1954年3月1日、アメリカが南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験は、操業中だった漁船員や現地住民に甚大な被害をもたらしました。

ヒロシマ・ナガサキに続く核兵器の犠牲者となったことにくわえ、太平洋で漁獲された魚の放射能汚染に対する社会不安がひろがり、原水爆の禁止を求める署名が3,200万筆をこえるなど、原水爆禁止運動が発展する歴史的な契機となりました。

米政府は反核世論をおさえるために、わずかな「見舞金」で、日本政府に事件の幕引きをさせました。アメリカの核戦略に追随して、第五福竜丸以外の船舶の被ばくを隠ぺいし、被災者を70年にわたって放置してきた政府の責任は重大です。

被災者の高齢化を考えれば、時間の猶予はありません。政府は被害の一刻もはやく全容を明らかにし、すみやかに救済と補償を行うべきです。

核実験被害者支援の国際協力を

核兵器禁止条約は被爆者と核実験被害者の「容認しがたい苦難と損害」(前文)を認識し、その支援と環境修復(第6条)と国際的な協力(第7条)を義務付けています。これらを実践する作業グループも設立され、被害者からの聞き取りや「国際信託基金設立」の検討もはじまっています。日本政府は条約参加以前にも、この国際的なとりくみに、被爆者、ビキニ被災者とともに協力すべきです。