2025参議院選挙 各分野の政策
66、教育
世界最低水準の教育予算をふやして教育条件を改善し、競争と管理の教育を改め、子どもも教職員も保護者も希望のもてる教育へ
2025年6月
教育の主人公は子どもです。教育は、子どもの「人格の完成」をめざし、その尊厳を尊重しながら発達を支える個性豊かな営みです。教育は子どもの権利であり、教育の機会は平等に保障されるべきです。そして、主権者として育っていく子どもたちがこの国の未来をつくります。これが、憲法の求める教育のあり方です。
政治は、こうした教育に二つの責任をおっています。一つは、教育に予算を使って条件を整備することです。もう一つは、お金は出しても口は出さず、教育の自由と自主性を大切にすることです。
ところが、自民党の教育政策は二つともあべこべです。まず、日本の教育予算(公教育費の対GDP比)はOECD諸国でワースト2、OECD平均の7割しかありません。ヨーロッパでは大学まで無償で返済不要な奨学金まで支給される国があるのに、日本では国民が世界に例がないような高学費を負担し、少子化の大きな原因になっているほどです。社会問題になっている教員の長時間労働も、何より国が必要な教員数を配置していないためです。
さらに、「教育改革」と称して、「全国学力テスト」など政財界に都合のいい「人材」の育成のための政策を次々と押し付けてきました。そのもとで、型通りの、競争的で管理的な教育が広がり、学校が子どもにも教職員にも、いづらい場所になりつつあります。子どもの不登校と教員の精神性疾患による病休とが、この間にないペースで急増していることは偶然ではありません。このままでは学校はもちません。
日本共産党は、自民党の教育政策を転換し、子どもも教職員も保護者も希望のもてる教育へ、憲法と子どもの権利条約を生かして、以下の政策の実現に力をつくします。
OECD最低水準の教育予算を増やし、教育費無償の国をめざす
教育は憲法が国民に保障する基本的人権であり、どんな経済的環境に生まれてもお金の心配なく教育を受けられる国こそ豊かな国です。私たちは教育費の完全無償化をめざし教育予算をOECD水準に引き上げるなかで、当面、次の教育費負担の削減にとりくみます。
大学・短大・専門学校の学費を半額に。入学金は廃止ーー国の負担によって、すべての大学・短大・専門学校の学費を半額するとともに、入学金制度を廃止します。日本政府は2012年に〝高校教育と大学教育を段階的に無償にする〟という国際人権規約(A規約13条2項b及びc)を批准しました。しかしそれから13年、自公政権は〝段階的に無償にする〟どころか、国私立大の学費値上げラッシュを引き起こしています。その根底にある「受益者負担」論を改め、大学等の無償化への転換をはかります。
奨学金返済の半額免除ーー奨学金返済の半額免除を行います。返済不要の給付制奨学金を多数の学生が受けられるように拡充します。返済必要な貸付型奨学金はすべて無利子にします。
「高校無償化」の拡充ーー高校は准義務教育であり、早期に無償化すべき分野です。私立高校での負担の軽減をすすめ、「高校無償化」をすすめます(詳しくは「私立学校への公的助成の拡充」)。国公私立を問わず、教科書や授業に必要なタブレットを無償化します。通学費等の無償をめざします。
「高校無償化」とセットで高校全体の条件整備をーー「私立高が無償になれば生徒が私立高に流れ、公立高が衰退する」という不安の声があがっています。どんな地域でも質のいい高校教育が受けられるよう、公立高校の条件整備をすすめます。維新の会が大阪で行っている〝定員割れ3年で公立高校は募集停止する〟といった、無償化をテコに高校統廃合をすすめることに反対します。同時に、私立高校への私学助成の拡充も必要です。私学助成率は3割と低く、そのことが非正規の教員の割合の多さ、大きな学級サイズなどの「公私間格差」をもたらしています。私立学校振興助成法制定50年の今年、「二分の一助成」への抜本増額を求めます。
無償で質の高い給食、教材費の無償化ーー日本共産党は地方でのとりくみを進めるとともに、国会質問で〝現行法でも給食無償化は可能〟という答弁を引き出し、給食費無償化の波を全国に広げました。「義務教育無償」の憲法に基づき、国の制度として給食を無償化します。同時に、給食の質が大切です。物価高騰への国の経済支援を拡充し、質の維持・向上をはかります。給食の地産地消、自校方式、直営方式などをすすめます。中学校や高校での給食をひろげます。学校栄養職員・栄養教諭を一校に一名配置します。教材費、制服代、修学旅行費など〝隠れ教育費〟を公費負担として、義務教育の完全無償化をすすめます。
就学援助の拡充ーー就学援助制度は経済的な困難をかかえる子どもに義務教育を保障するための命綱です。ところが、「子どもの貧困」が深刻なときに、自公政権は制度への国庫負担を廃止し、各地で就学援助の縮小を引きおこしました。国庫負担制度をもとに戻し、対象を生活保護基準×1.5倍まで広げ、支給額も増額するとともに、利用しやすい制度にします。教育扶助(生活保護)の額も同様に引き上げます。
朝鮮学校への無償化措置の適用ーー自公政権は、「高校無償化」や「幼保無償化」の対象から朝鮮学校を排除してきました。しかしこれは、”内外人平等”の国際人権規約などに違反した差別的な施策です。2019年には国連・子どもの権利委員会からも是正勧告を受けています。朝鮮学校に無償化措置を適用します。
子どもが通いたくなるような学校改革⎯⎯過度の競争と管理の是正
この間、学校に過度の競争と管理がもちこまれ、学校が子どもにも教員にも窮屈な場になっています。この間の教育政策を転換し、子どもが通いたくなるような学校にしていきます。
〝忙しすぎる学校〟を生み出した学習指導要領の見直しーー「ゆとり見直し」と言って、学習の極端な詰め込みが進められましたが、子どもの消化不良をおこし、国の関係者も「カリキュラム・オーバーロード(過積載)だ」と指摘しています。特に2020年度から始まった学習指導要領では、小学校4年以上で毎日6時間授業です。一方、休み時間が削られ、給食もゆっくり食べられません。遠足など楽しい行事も削られています。学校は子どもにとって勉強とともに、遊びと生活の場です。〝忙しすぎる学校〟は改めなければなりません。学校で子どもにあったカリキュラムに変更できるよう、学習指導要領を弾力的に運用します。標準以上の「授業時数確保」を求めた文科省通知(2003年)を撤回させます。次期学習指導要領(2030年実施予定)を、学習内容を精選し授業時数をへらし、現場の創意工夫を大幅に認める方向で、抜本的に見直します。
全国学力テストの中止ーー全国学力テスト(小6・中3の全員対象、2013年に復活)は、今までなかった県同士の平均点競争を引き起こし、市町村と学校を点数競争に巻き込みました。学校での教育がテストの平均点に一喜一憂するようになり、地方独自の学力テストも広がり、多くの教員が「全国学力テストで学校の雰囲気が変わった」と訴えています。福井県議会は県下の中学生の自死(「指導死」)について、「『学力日本一』を維持することが本県全域において教育現場に無言のプレッシャーを与え、教員、生徒双方のストレスの要因となっていると考える」という意見書を全会一致で採択しました(2017年12月)。昨年の全国知事会でも「都道府県別の公表に意味があるのか」という声が相次ぎました。全国学力テストはただちに中止し、競争のともなわない抽出調査に戻します。
子どもを押さえつける過度の管理をやめるーー教育基本法改悪で、「教育を受ける者」が「規律を重んじる」(第6条)ことが強調されました。そのもとで、「ゼロトレランス(寛容ゼロ)」で学校の「決まり」の違反者を問答無用に罰したり、「学校スタンダード」などにより子どもの手の挙げ方などを細かくしばる学校が広がったり、子どもに威圧的に接する雰囲気が強まりました。校教育法で明確に禁じられているにもかかわらず、いまだに教員による暴力や暴言が絶えないことは、日本の教育の大きな問題です。「指導」の名のもとに暴力や暴言で子どもを追い詰め、死に至らしめる「指導死」もおきています。
教育の場は、個人の尊厳を大切にし、子どもが自由に意見を言える場であるべきです。ゼロトレランス(寛容ゼロの生徒指導)を容認する国の通知等は撤回させ、子どもの権利条約に基づき、「学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用される」(28条2項)よう学校のあり方を見直します。
小中高での30人以下学級をめざすーー日本共産党はコロナ危機に際して「子どもたちに少人数学級をプレゼントしよう」と提案し、国民のみなさんと力をあわせ、小学校35人学級を実現し、中学校35人学級への道も開きました。本格的な少人数学級は、子ども全員が主体的に参加するなど授業のありかたを変える、学級の雰囲気が落ちつき安心が広がる、インクルーシブ教育への可能性がうまれるなど、教育に新しい可能性をもたらします。当面、小中高での30人以下の学級をめざします。
教員の異常な長時間労働の是正、教育者としての自由の保障
教員の長時間労働は平均で一日11時間半に及び、土日も働いています。この異常な長時間労働は、教員の心身を壊し、授業準備や子どもと向き合う時間をうばい、ついには教員の成り手がみつからない「教員不足」を全国で引き起こすに至っています。その是正は、労働条件の改善として緊急であり、子どもの教育条件としてきわめて切実な、国民的課題です。
自公政権はこの間、多忙化を解消すると言いながら、事態を変えることができませんでした。お金をかけない小手先の「改革」では問題は解決しないのです。「先生をふやす以外にない」というのが立場を超えた学校関係者の一致した声です。私たちは学校現場の声にこたえ、以下のような政策で、教員の長時間労働を解決します。
教職員の基礎定数の抜本増ーー以前の残業時間は現在の十数分の一でした。当時は、教員の受け持ち授業は「1日4コマ」(小学校の場合)とされ、それに見合う教員の基礎定数が配置されていました。しかし今は1日5コマ、6コマが当たり前です。これでは授業準備などは退勤時間以降行わざるを得ず、長時間の残業が必至です。しかも、「道徳の教科化」「小学校英語」など新たな業務が次々増やされました。
「1日4コマ」の原則で教員の基礎定数を配置するよう、抜本的な定数改善計画をつくり、義務教育標準法、高校標準法を改定します。現業職員、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどを定数化して多様な教職員が学校を支えるようにします。自治体が教員を正規で確保できるよう、義務教育給与の国庫負担率を2分の1に戻します。
私立学校での働き方を改善するためには、私学助成を増やし、多くの正規教員を雇える財政基盤を保障することが必要です。そのために私学助成を抜本的に増やします。
「教員残業代ゼロ制度」の廃止ーー残業代制度は、残業に割高な賃金支給を義務付けることで、使用者のコスト意識に訴えて長時間労働にブレーキをかけようという、世界共通のルールです。ところが学校のなかでも公立学校だけ、給特法(公立学校教員給与特別措置法 1971年)によって、このブレーキが外されています。残業代がないため残業時間も計られず、行政はコスト意識ゼロで「小学校英語」「◯◯教育」など次々と仕事を増やし、〝定額働かせ放題〟の状態がもたらされました。裁判所も「給特法は教育現場の実情に適合していない」(田中まさお訴訟、さいたま地裁判決、2021年)と指摘するなど、給特法の矛盾は極点に達しています。
自公政権は「給特法の枠組みを見直す」と言っていたにもかかわらず、この春の国会に、教員給与のわずかな改善と引き換えに「残業代ゼロ制度」を続行させる法案を提出したことは、重大な問題です。維新の会・国民民主党・立憲民主党は〝1ヶ月の時間外在校等時間を平均30時間程度にする〟などの一部修正のうえ賛成にまわり、法案は成立しました。
法案を厳しく批判した政党として、給特法の〝公立学校の教員には残業代を支給しない〟〝公立学校の教員は労働基準法37条(残業代支給)を適用しない〟という条文の廃止まで、みなさんと力をあわせてたたかいます。
教育者としての自由の保障ーー教員が専門職として尊重され、子どもに責任をおって自律的に仕事にとりくんでこそ、豊かな教育が花開きます。ところが、この間、教員にも競争と管理が強化され、教育者としての自由が奪われてきました。
子どものことより管理職の評価を優先する傾向を強める教員評価制度、トップダウンを強めてきた職員会議の形骸化、教員が対等に意見を言い合って協力して教育をすすめることを阻害して教員を分断する主幹教諭や主務教諭の導入をやめさせ、官製研修の拡大を抜本的に改め、教育者に必要な自由を保障します。
業務削減は、行政が学校にもちこんだ業務からーー国は業務削減を働き方改革の目玉にしていますが、現在の教員業務は子どもに直接関係するものが大半で、業務削減による労働時間短縮には限界があります。しかも、遠足の廃止など子どもとの関係で削るべきでないものを無理に削っている場合が少なくありません。業務を削減するなら、全国学力テスト、教員評価制度、多すぎる官製研修、教育委員会に見せるための公開研究授業、過大な授業時間数など、国や地方行政などが押し付けている業務をいったん中止すべきです。(部活動については、別章の「部活動」を参照ください)
各学校で話し合いと労働安全衛生体制の確立を通じ、不要不急の業務を削減・中止することを奨励します。
非正規雇用の教員の待遇改善と正規採用ーー小泉政権時代の規制緩和(「定数崩し」の法改悪)により、これまで正規雇用が当たり前だった本務採用に、多くの非正規教員をあてるようになりました。しかし、その待遇はあまりにひどすぎます。給与、休暇、健康診断、職場環境などを抜本的に改善します。同時に、事実上の3年間の有期雇用で無期雇用への転換する、経験豊かな非正規雇用の教員を優先的に正規教員に任用するなどの正規雇用への道を広げます。「定数崩し」を改めるとともに、義務教育国庫負担金を二分の一負担に戻します。
その他の施策ーー①国に全国勤務実態調査をきちんと行わせます。②若い先生たちの育児短時間勤務を保障するため、代替教員を配置します。③定年後の教員がフルタイムで働いた場合、60歳時の賃金(給与)の7割でなく、100%を支給するようにし、教員を続けやすくします。④臨時免許や特別免許の濫用はすでに教育の質の低下をもたらしており、やめるべきです。免許授与の条件がある場合は、手続き費用の負担軽減、収入減とならないような給与や手当の配慮をおこないます。⑤教員不足が埋まらない学校に、教育委員会事務局に配属されている定数内の教員を、期限をきめて派遣するようにします。⑥教員の奨学金返還免除制度を復活し、学生が希望をもって教職をめざせるようにします。⑦もともと教員の働き方の前提とされていた、夏休み期間などの自宅研修をきちんと保障します。⑧一部の教員の誤りをもとに教員全体をバッシングし統制する手法をやめさせます。「不適格教員」のレッテル貼りや「密室に座らせ続ける」などの「指導力改善研修」も、抜本的に見直します。子どもを傷つける言動を行う教員には、子どもの安全と人間の尊厳を優先する立場から毅然と対処するとともに、問題をかかえる教員の人間的な立ち直りを促す支援を重視します。
教職員の長時間労働への政策の詳細はこちら⇩
このままでは学校がもたない⎯⎯「教員残業代ゼロ制度」の廃止、授業にみあった教員定数を
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2025/01/post-1003.html
教職員の働き方を変えたい(パンフ、2018年版)
https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/12/post-536.html
急増する不登校⎯⎯子どもも保護者も安心できる対応を
子どもの不登校はこの10年で3倍と急激に増加し、35万人近くになりました(小・中学校)。不登校は、子どものせいではありません。親の甘やかしのせいでもありません。不登校の子どもの多くは、様々な理由で心が折れた状態にあります。行けば具合の悪くなるような学校に行く義務はありません。子どもには安心して休む権利があります。
支援の基本を、子どもの心の傷の理解と休息・回復の保障にすえるーー不登校は子どもの「いのち」の問題です。ところが国の不登校対策は「学習活動」への支援が中心で、不登校気味の子どもの「早期発見」や行き渋りの子どもをあの手この手で登校させることに重点がおかれ、子どもの気持ちを追い詰めかねません。子どもの心の傷の理解と休息・回復の保障を中心にすえ、子どもに寄り添う学校の対応を大切にします。
親(保護者)への支援を手厚くし、親の安心を増やすーー子どもの休息と回復を支えるには、親への支援が必要です。親は子どもの不登校にとまどい、「育て方に問題があるのでは」という自己責任論に傷つくこともあります。子どもの見守りや相談などの負担、経済負担も大変です。①安心できる情報提供と相談の体制をととのえます。②学校との連絡などの関係の負担を減らします。③フリースクール費用などの軽減を行います。④子どもの不登校に対応した休業制度(通算93日まで、賃金補償あり)などを拡充し活用しやすくします。⑤親たちのつながりを支援します。
子どもの居場所、学びの場の条件整備、フリースクール等への公的助成ーー校内別室(校内教育支援センター)・教育支援センター(旧適応指導教室)、不登校特例校(学びの多様化学校)をすべての自治体におきます。勉強しなければ入れないなどの制約をなくし、常駐のフタッフを充実させ、子どもの居心地の良い場所にします。高校進学での不利をなくすための支援を行います。児童館など子どもが無料で過ごせる施設を増やすとともに、学童保育の予算を拡充し、不登校児童を受け入れやすくします。
フリースクールやフリースペースがとりくんでいる心の傷やケアや養育への公的助成を行います。
不登校についての提言はこちら⇩
不登校についての提言⎯⎯子どもの権利を尊重し、子どもも保護者も安心できる支援を/過度の競争と管理をやめ、子どもを人間として大切にする学校を
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2025-05-teigen.html
校則を子どもの尊厳と権利の視点から見直す
「下着や靴下の色は白」「ツーブロック禁止」などの校則のあり方が社会問題となりました。子どもの尊厳と権利にかかわる問題であり、教育に必要な子どもと教職員の信頼関係を損なうことも憂慮されます。
日本共産党は2021年の春に校則アンケートを実施し、中高生・保護者・教職員・市民約3000人の声を聞いてきました。多くの中高生は、頭髪や服装などを細かく指定する校則に「監視されているようで窮屈」と答え、人間として深く傷つけられていることを訴えています。保護者・教職員・市民の90数%が校則の見直しに賛成でした。
私たちはその結果を国に届け、国の「生徒指導提要」に子どもの権利条約を盛り込むことを求めました。多くの人々の要望とも相まって、「生徒指導提要」にはじめて子どもの権利条約が盛り込まれました。校則の見直しを以下の観点からすすめます。
校則は各学校で子ども、教職員、保護者が話し合って決めるようにするーー校則は子どもの人権にかかわる性格を有すると同時に、教育活動の一環です。各学校で教職員・子ども・保護者が話し合ってすすめることを大切にします。
話し合いの共通の土台として憲法と子どもの権利条約をすえるーー同時に、話し合えば何をきめていいわけではなく、憲法や子どもの権利条約で一人ひとりに保障されている権利を脅かすことは基本的に避けるべきことです。憲法上、子どももおとなも、頭髪や服装を自分で決める自由をもっています。子どもの権利条約は学校の規律について「学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる」(28条2)と定めています。
いじめ問題の解決、訴えの無視や隠ぺいの根絶
いじめは相手に恥辱や恐怖を与え、思い通りに支配しようとするもので、ときに子どもを死ぬまで追いつめます。多くのいじめ被害者は、その後の人生を変えてしまうような心の傷をうけます。いじめはいかなる形をとろうとも人権侵害であり、暴力です。社会全体の問題として重視し、以下の方向で学校関係者、国民と力をあわせます。
ーー学校の対応として、①いじめへの対応をぜったいに後回しにしない命最優先の原則の確立(安全配慮義務)、②ささいなことでも様子見せずに対応するため、教職員・保護者の情報共有を重視する、③子どもの自主的活動の比重を高め、いじめをとめる人間関係をつくる、④被害者の安全を確保し、加害者にはいじめをやめるまでしっかり対応する、⑤被害者家族の真相を「知る権利」を尊重し、学校側がつかんだ情報をかくさない、を提案します。自民党は懲戒強化を主張していますが、いじめを陰湿かつ深刻にするだけです。いじめに走らざるをえない子どもの苦しみや悩みを理解し、いじめをしなくなるまでしっかりケアしてこそ、いじめをとめることができます。
ーー行政側の条件整備や対応として、①教員の「多忙化」解消、少人数学級推進、養護教諭・カウンセラーの増員、いじめ問題の研修、②深刻なケースに対応できる全国的なセンターとして「いじめ防止センター」の設立、③「いじめ対策法」は厳罰主義などいじめ解決に逆行する方向でなく、子どもの安全に生きる権利を保障する方向で運用する、④いじめ解決に逆行する、「いじめ半減」などの数値目標化、教職員をバラバラにする上からの教職員評価など競争と管理の教育政策をあらためる、を提案します。
ーー被害者側が訴えても無視したり、あとになって事実関係を隠ぺいするなど、被害者の尊厳を二重三重に傷つけることがあとをたたないことは、本当に許されないことです。関係者の意見もふまえ、再発させないための措置を講じます。
詳しくはこちらを→ (「いじめ」のない学校と社会を 日本共産党 の提案 2012年11月28日)
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/post-501.html
(いじめ問題に関わる法制化についての日本共産党の見解 2013 年6月3日)
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2013/06/post-515.html
部活動――子どもを真ん中に部活動のあり方を検討し、必要な予算と体制を
中学や高校の部活動は、子どもたちの文化やスポーツへの権利にこたえるとともに、自発的で自治的な活動であることによって思春期の人間形成を豊かにする積極的な意義があります。
しかし、いま部活動はその存続が危ぶまれる事態に直面しています。
その大本には、部活動指導には人が必要なのに、その固有な人的配置をおこなわず、授業等のために配置されている教員に頼ってきた問題があります。加えて、誰でも参加できる自発的活動のはずなのに競技選手を育てるかのような練習時間や対外試合が雪だるま式に増えてきた問題があります。この「部活動の過熱化」には、自民党の政治的圧力のもとで対外試合が緩和され、中学部活の全国大会も解禁された(1979年)などの経緯があります。
固有の人を配置せず、「過熱化」で活動時間が大幅に増えた結果、教員の負担は限界を超えました。部活動はこのままの形では存続できないことは明らかです。この問題を解決するために、以下のことを提案します。
部活動の基本的な性格と予算・体制についての国民的合意をつくるーースポーツ庁は運動部活動を学校から切り離す「部活動の地域移行」をめざし、当面、土日の部活動を学校から地域に移行する方針を打ち出しました(2022年6月6日「運動部活動の地域移行に関する検討会議提言」)。しかし、そのための予算措置や体制の保障はなく、関係者から、民営化による部活動の有料化・自己負担増などの混乱と破綻についての懸念が表明されています。
問題の解決には、部活動はそもそも何を行うところなのかという基本的性格の整理が必要です。そこには、自主的で自治的な活動としての意義の確認とともに、「過熱化」や体罰・暴言への反省などが欠かせません。その整理のうえに、部活動を支えるための予算・体制を明確にします。そのため、様々な立場の関係者の検討をへて国民的な合意の形成を獣医師します。その際、主人公の子どもたちの意見に耳を傾けることを重視します。
部活動顧問の強要をなくす・「部活動指導員」の待遇を改善するーーやったこともない競技の顧問になり、授業準備や気になる子どものケアや自身の生活を犠牲にするなど、部活動指導の負担はあまりに深刻です。教員には部活動顧問をする義務はありません。共産党の国会質問に文科大臣は「顧問の決定にあたってパワハラをすることはあってはならないし、絶対に許せない」と答弁せざるをえませんでした。教員への部活動顧問の強要を一掃するとともに、教員外の「部活動指導員」の待遇を改善して確保します。少なくない地域で残っている小学校部活は、子どもの発達段階からいって無理があり、教員の負担もきわめて深刻です。関係者で話し合い、廃止をふくむ決断を行えるようにします。
中学校での全国大会の中止・縮小、科学的な練習方法ーーさまざまにある中学校部活の全国大会を中止・縮小し、各種試合を大幅に減らします。科学的な練習方法の普及などによって子どもの身体にダメージを与える非合理的な練習をなくし、部活動の時間を短くします。
「部活ガイドライン」の遵守ーースポーツ庁の「部活動ガイドライン」(2018年3月)は「週二日以上・土日どちらか休み」を定めましたが、少なくない地域で形骸化しています。子ども、顧問などが、運動生理学と子どもの休息・余暇の権利から休息が合理的かつ必要なことを話し合い、納得の上で守られるようにします。
高校入試、教員採用や教員評価から部活動を切り離すーー「過熱化」の背景には、部活動の実績が内申書に書かれる、部活動への意欲や実績が教員の採用や評価を左右するなどの問題もあります。高校入試や教員人事と部活動を基本的に切り離すようにします。
命令・服従でないフラットな人間関係、体罰・暴言・ハラスメントの一掃ーー顧問や先輩に絶対服従などの封建的な人間関係は、スポーツや文化の精神に反し、子どもの人間形成にも悪影響を与えます。ましてや子どもへの罰や暴言、ハラスメントは許されものではありません。人間の尊厳と子どもの権利の尊重を教員、「部活動指導員」の共通の土台とします。
部活動強制加入の全廃ーー部活動は子どもの自発的な活動であり、子どもに参加の義務はありません。一部に残っている部活動強制加入を全廃させます。
部活動の自己負担の軽減ーー大会の遠征費用、指導者への謝礼、ユニフォームや用具購入などの自己負担を軽減します。
「地域移行」は拙速に行わないーー予算も体制も不確実な中学部活動の「地域移行」は、費用負担増や新たな保険料の発生、「地域」が教員に委任して実態は変わらない可能性、子どもの自発性を大切する、悩みに寄り添うなどの教育的側面の欠落の可能性など問題が少なくありません。子ども・保護者・教職員・受け皿となる民間団体・行政の合意を前提とし、期限をきって機械的にすすめるべきでありません。地域移行する際は、費用負担増とならないようにするなど予算・体制の裏付けを伴ったものにします。
ICTと教育ーー機器の使用優先でなく、子どもの成長発達と健康を優先させる
ICTをどう教育にとりいれるかの探求は始まったばかりです。ところが、政府のGIGAスクール構想は、ICTさえ使えば教育がバラ色になるといわんばかりの短絡した発想で、子どもの成長や発達をまともに考えていません。また、費用負担や安全面などでも問題をかかえています。子どもの成長発達と健康を第一に考え、以下の点を重視して、ICTに対応します。
どう使うかは教員にゆだねるーーICTを使えば必ずいい授業になるわけではありません。ところが、タブレット使用が自己目的化し、授業が画一化するなどの弊害が各地でおき、子どもの学習が貧しくなっています。授業の質は、教員自身の深い教材研究や、子ども同士や子どもたちと教員との生きたやりとりにあります。ICTはあくまでその補助です。どう使うか・使わないことを含め、個々の教員に判断に委ねるべきです。
ICTによる子どもの健康や発達への悪影響の研究と対策ーー多くの専門家がICTによる近視やネット依存症などの健康被害を指摘しています。「家庭で話し合って小学校低学年のうちはゲームなしにしていたのに、タブレットの持ち帰りで崩されてしまった」などの例もあります。さらに、ICTの使用によって深く考えるということがかえって阻害されることを指摘する研究者も少なくありません。ICTが子どもの健康や発達に及ぼす影響の研究と対策を重視します。
子どもの個人情報の保護ーー子どもがタブレットを使えば、成績、日々の生活などが「学習ログ」としてクラウド上に蓄積されることになります。こうした保護されるべき個人情報が教育産業に流出することを防ぐ有効な手立てを進めます。
デジタル教科書は慎重に検討するーーデジタル教科書は、思考力を阻害したり、健康被害の危険がある懸念があります。海外では、いったん導入しても健康被害と教育効果から紙の教科書に戻すケースもうまれています。日本共産党は導入を可能とする法案に、 視力障害のある子どもに見やすいなどの点から反対しませんでしたが、全体的な導入には、多くの関係者による慎重な検討が必要です。
保護者負担の解消ーータブレットは義務教育段階では無償ですが、壊れた時や自宅で使う場合の通信費は対応がさまざまです。破損時の保障をはじめ保護者負担を生まないようにします。また、高校でも無償とすべきです。
ICT支援員の増員ーー教員の多忙化は、「教師のバトン」の「炎上」にもみられるように限界に達しています。コロナ対策に加えICT導入の実務まで教員の負担となればいっそう深刻な事態となります。国の方針は二校に一人の支援員の配置ですが、一校に一人の配置を求めます。
少人数学級などICTを教育に生かせる条件整備ーーもともと学校へのタブレットの性急な普及は経済産業省が推進してきたものです。そこでは「生徒達は自分の好きな学習塾の先生などのオンライン講義動画をタブレットで見て、自分の進度に合わせて個別に学ぶのが一般的になる」(「未来の教室」第一次提言)と明け透けに教員不要の安価な教育が構想されていました。これに対し、文科省はICTを双方向型の「協働的な学び」に活用する方向を打ち出しましたが、「協働的な学び」を本当に行おうとすれば、教員の教授の自由と、20~30人程度の少人数学級が必要です。
「デジタル・シチズンシップ教育」の重視ーー国の「情報モラル教育」は、依存防止などインターネットの使い方への注意にとどまっています。「ネットで心ない攻撃にあった」「動画の世界はヘイトや暴力的なコメントが多い場所になっている」など、子どもが直面している問題から出発し、基本的人権を基軸とした、「デジタルシチズンシップ教育」を重視します。
学校統廃合、公立一貫校などについて
一方的な学校統廃合反対ーー学校統廃合にたいしは、子どものたちの成長・発達にとってどうなのか、その地域にとってどうなのかを基準にして、判断します。住民合意のない一方的な統廃合に反対します。
この間、自公政権は学校統廃合を進めてきましたが、その目的は教育予算の削減、公共施設の延べ床面積の削減であり、豊かな教育とは無縁の発想です。国や教育委員会がふりまく「小規模校では教育がうまくいかない」という「適正規模」論は、何の道理もありません。小規模な学校は子ども一人ひとりに目が行き届くなどの優れた面があるとともに、地域の維持と発展にとってもかけがえのない役割があります。統廃合には、地域の教育力の衰退、子どもの長時間通学、いざという時の安全面の不安などデメリットが少なくありません。子どもの教育を後退させ、地域の存続を危うくする一方的な統廃合に反対するとともに、小規模校を地域に残して充実させ、地域づくりを進めるとりくみを支援します。
小中一貫校、中高一貫校についてーー小中一貫校、中高一貫校導入は様々なケースがあり、子どもの成長・発達にとってどうかから、その是非を判断します。自公政権の「小中一貫校」構想は、それによって学校統廃合をすすめることが最大のねらいです。しかも、小学校高学年の自覚などこれまであった子どもの成長に有益なものが失われる、学校がマンモス化する、中学のテスト体制や厳しい管理が小学校に拡大するなど多くの問題が噴出しています。「中高一貫校」は、その学校を特別の受験校にすれば、中学受験などの競争を助長することになります。「スーパーハイスクール」なども含め、同じ公立学校なのに一部だけに破格の予算をつけるやり方は、行政の側から教育格差を広げるものとして問題が大きすぎます。すべての学校の教育条件の向上を重視します。
学校の耐震化、老朽校舎の整備などーー学校施設は、子どもたちの安全や健康はもとより、地域の避難所、防災拠点ともなることからも、①非構造部材を含む耐震化、 ②遅れている体育館や特別教室などのクーラー設置、③トイレの洋式化、④老朽化校舎の整備、⑤避難所・防災拠点として必要な水や燃料、毛布などの整備、⑥エレベーター設置などのバリアフリー化などをすすめます。そのために、学校施設整備の予算を増額し、補助率と補助単価を引き上げます。
特別支援教育の拡充、インクルーシブ教育をすすめる
障害のある子どもの教育は、その子どもの成長し発達する権利を保障し、障害のある人々の「社会への完全かつ効果的な参加」を実現するものでなければなりません。日本共産党は、特別支援学校だけ学校設置基準がなく、教室をカーテンで仕切って2学級で使用、図書室も音楽室もないなどの過大過密が放置されている問題を取り上げ続け、2021年に学校設置基準の制定を実現させました。その到達をふまえ、次の政策の実現に力をそそぎます。
特別支援「調整額」の削減に反対するーー文科省は2027年から障害のある子どもを担当している教員のための手当を引き下げるとし、保護者をふくめ強い批判の声があがっています。国の特別支援教育への差別的な扱いの表れであり、劣悪な教育条件のもとで障害のある子どもを懸命に支えている教員への冷たい仕打ちは許されるものではありません。
特別支援学校の増設ーー運動で制定をかちとった学校設置基準を生かし、既存校にもきちんと適用させるなどして、特別支援学校を増設し、狭隘化・大規模化の解消を本格的にすすめます。そのために学校建設への国の補助率を大幅に引き上げ、建設を促進します。
障害の重度重複化の実態に応じた教員増員ーー子どもの障害の重度化重複化に対応するため、重度重複学級が制度化されていますが、この間、重度重複なのにそうでないと認定し、その分教員を目減りさせるという問題が起きています。その結果、学校現場では子どもへの支援が十分にできなくなるなど深刻な問題がおきています。重度重複の認定をきちんと行い、教員を増員します。スクールバスを増車し通学の負担をへらします。必要なすべての子どもへの寄宿舎の保障をすすめます。医療・福祉など専門機関とのネットワーク、巡回相談など地域全体の支援体制をつよめます。
特別支援学級の定数の改善と教員増ーー特別支援学級に在籍する子どもたちの障害の複雑化に対応するように、教員定数を増やします。学級編制基準を現在の8人から6人に改善するとともに、学級編制を通常の小中学校の複式学級のように 2 学年以内で行って、子どもの実情に応じた教員配置が行えるようにします。 教員が特別支援教育についての専門性をもてるように採用や異動のあり方などを改善します。
通級指導教室の条件整備ーー通級指導教室は、数十万人と推定されている通常学級に在籍する発達障害の子ども、その他さまざまな事情から支援が必要な子どもの教育にかけがえのない役割をはたしています。ところがその整備が遅れ「希望しても入れない」などの事態が広がっています。通級指導教室の潜在的ニーズを明らかにし、それに基づいた整備計画を立て、教室を増やします。「生徒 10 名に教員1人を配置」とするよう教員定数を改善します。
高等部卒業後の学びの保障ーー学校教育法の中に、学びの継続を希望する特別支援学校高等部の生徒や障害のある高校生に開かれた、専攻科の設置を位置づけます。
高校、大学などでの特別支援教育の体制の確立ーー高校や大学、専門学校などでも特別な支援を必要とする子どもや学生が増えています。そのために必要な教員や専門的支援員の配置などの条件を整備します。
過度の競争と管理を改善し、どの子も包摂できる学校にーー特別支援の学校や学級の在籍数がふえ続けている背景には、子どもにあった専門的な教育を受けさせたいという保護者らの願いもありますが、「学力テストの平均点アップに汲々とする」「子どもを力で押さえつける」など過度の競争と管理によって、子どもたちが通常学級にいづらい状態が広がっている問題があります。過度の競争と管理を改善し、学校をどんな子どもでも排除されない、ゆったりとした人間的な雰囲気のある場にします。
インクルーシブ教育にふさわしい教育制度の検討ーー国連の「障害者権利条約」(08年5月発効)は、障害のある人が障害のない人と分け隔てなく人権を保障され、豊かに生きられる社会を実現するために、教育の分野で「インクルーシブ教育」(障害のある子どもが一般の教育制度から排除されず参加を保障される教育)を提唱しています。そのためには、子どもの「最大限の発達」と「社会への完全かつ効果的な参加」とが大切にされなければなりません。日本の教育制度がインクルーシブ教育にふさわしいものとなるよう、国民的な合意形成をはかり改善を進めます。そのなかで小規模分散・地域密着型の特別支援学校などを検討します。
私立学校への公的支援の拡充
私学は憲法が保障する公教育のひとつです。そして、建学の精神や独自の教育理念によって多様な教育を求める国民の要求にこたえるというかけがえのない役割があります。その立場から、日本共産党は私学を応援し、その豊かな発展をささえます。
私立高校の学費無償化ーー自公維「3党合意」による、収入要件の撤廃、私立高授業料補助の上限45万7000円(平均授業料)引き上げは、「高校無償化」を前に進めるものです。それをふまえ、①入学金、施設整備費も無償化の対象とすること、②国の高校生への給付制奨学金を通学費や生活費まで保障するよう拡充すること、③私立中学生への経済的支援を拡充すること、を求めます。
常勤講師・非常勤講師を専任教諭にーー卒業後何年たっても先生に会えるのが私学の魅力です。ところが非正規の教員の割合は増えるばかりで、その割合は約4割にものぼります。専任教諭と同様に働きながら、身分は不安定で年収も低く、退職金もないという教員の使い捨ては許されるものでなく、私学にとってもマイナスです。私学助成の拡充で専任化を促し、非正規の教員を専任化します。
私学助成を早期に「二分の一助成」にーー生徒一人当たりの財政支出を比べると、私立高校は公立高校のたった約三分の一です。しかも、この数字は人件費など経常支出に関する比較で、校舎や施設は経常費助成の対象でないことを考えると、実際の公私間格差はこれ以上です。私学も公教育である以上、ヨーロッパのように、大半の経費を公財政でまかなうべきです。経常費への1/2助成を早期に実現するとともに、校舎などへの助成を実現させ、私学助成を抜本的に拡充します。また、耐震化補助など私立学校の施設整備への公的助成を拡充します。
私立学校の少人数学級化ーー多様な子どもの個性を支えるためにも、私学にも少人数学級を保障すべきです。私学助成を抜本的に増やし、私学も少人数学級に移行できるようにします。
「私学の自由」の擁護ーー私学は、建学の精神やより自由な発想で教育をすすめることで日本の教育全体を豊かにする点に大切な役割があります。こうした観点から、私学を公教育の一つとして位置付け、公財政で手厚く支援するとともに、「私学の自由」を保障し、私学の自主性を守ります。2007年に自公政権が強行した「教育三法」改悪は、私学にたいする権力統制に道をひらく危険があります。日本共産党の国会質問にたいして、政府は「私学の建学の精神尊重」を認めるとともに、教職員評価・学校評価を私学助成の交付要件にすることを「考えていない」と答弁しました。こうしたこともふまえ、私学の自主性を守るために力をつくします。
夜間中学の充実、外国籍の子どもへの支援
公立夜間中学の開設の推進ーー夜間中学は、戦争の混乱や経済的な理由により教育を受けられなかった多くの人、不登校の子ども、障害者、「中国帰国者」や在日外国人らにとってかけがえのない義務教育の場となっています。ところが公立夜間中学は全国に62校しかありません。2016年12月に成立した教育機会確保法を生かし、全県での協議会設置と公立夜間中学開設を急ぎます。また、就学援助の年齢撤廃、夜間中学の教員配置と研修保障、在校生の八割を占める外国籍の生徒に対応した日本語指導教員等の配置、バリアフリー化、自主夜間中学への公的支援をすすめます。
外国籍の子どもへの教育条件の整備ーー外国籍の義務教育年齢にあたる子どものうち、学校に通っていない子どもは8600人にのぼります(文科省推計)。”内外人平等”を保障した国際人権規約、子どもの権利条約にもとづき、公立学校への受け入れ体制の整備、外国人学校への支援、日本語教室設置、公立高校への入学資格の改善など在日外国人の子どもの教育を保障します。子どもの生活のためにも、外国人の賃金未払いや劣悪な労働条件を改善します。福祉・医療を受けやすくするとともに、地域での共生をすすめます。インタナショナルスクールに通う子どもの就学支援、日本語学習、発達障害などへの公的支援を、〝制度の隙間〟ができないよう拡充します。
被災地の子どもと教育への支援
能登地震・豪雨災害、東日本大震災をはじめ、被災地では教育の面でも解決すべき問題が今なお残されています。子どもは復興の希望です。その子どもたちの成長や安全が保障されるよう全力をつくします。
被災者の教育費や生活への支援ーー災害による保護者の生活基盤の破壊は、進学の断念、生活の困窮によるネグレクトなど子どもに深刻な影響をあたえます。復興の大原則として生活基盤の再建を求めるとともに、被災者への①「給付型奨学金」(程度に応じて月数万円から 10 万円)の創設、②私立高校、専修学校・各種学校、大学等の授業料減免の拡充、③給食費、教材費等を復興まで不徴収とするための国庫補助、④保護者の生活を支援するスクールソーシャルワーカーの中学校区に最低一名以上配置、⑤震災によって親を失い、孤児となった子どもへの支援の体制の拡充を求めます。
学校再建・教育条件整備の全額国負担ーー震災・津波など大規模な災害の場合、学校再建を全額国の負担ですすめるようにします。また、機械的に「原状復帰」という法令に固執せず、地元の要望にもとづいた再建を可能にします。震災に乗じた学校統廃合の強行に反対します。私立学校や専修学校・各種学校の再建や修繕も公立学校と同様の措置をとるようにします。
被災地教員加配、被災児童生徒就学援助支援事業の継続ーー災害公営住宅への転居など住環境や家庭の経済状況の変化は子どもの心に大きな影響を与え、不登校の増加もふくめ、困難を抱える子どもが増えています。原発事故のあった福島県では、多数の子どもが他県に避難するなどより困難な状態が続いています。被災地の教員加配、就学支援事業を、実際に復興が終わるまで継続、拡充します。子どもの「学力テスト」の点数アップを「教育上の震災復興」とすることは間違っています。深く傷ついた子どもの心に寄り添った教育とケア、そして震災体験をくぐりぬけた豊かな学びこそが震災復興の教育です。
原発と被曝についての科学的な教育の保障ーー自公政権は 2002 年から、原子力発電所立地を目的とするエネルギー特別会計を使っての偏った原発推進教育をすすめていました。すでに「原発安全神話」が書かれた副教材「わくわく原子力ランド」等はわが党の追及で「見直し」となりましたが、それにかわって発行された副教材も、原発事故や安全神話への反省がなく、放射能や被曝の過小評価を子どもに与えるような内容となっています。こうした原発推進教育の影響を一掃して、原発や被曝に関する科学的な教育が自主的にとりくめるようにします。
社会教育の拡充
社会教育施設の増設と人員の増員ーー公民館、児童館、博物館、図書館などの社会教育は住民の学習権を保障するとともに、地域のコミュニティーの形成、子どもや親への支援など多くの役割をはたしています。ところが自公政権の下で、社会教育予算は削られ、施設の廃止や人員の削減がすすめられてきました、施設の有料化、公共施設再編計画の下での社会教育施設の廃止再編をやめさせ、公民館、児童館などを増やし、社会教育主事など職員の増員をはかります。
首長部局への移管に反対し、表現・学習の自由を守るーー社会教育施設は、教育の中立性、継続性、安定性の確保の観点から教育委員会が所管してきました。ところが2019 年 5 月、地方自治体が条例を制定すれば、図書館などの所管を首長部局が所管できるよう地方教育行政法が改悪されました。これでは政治的中立性を保つことができません。社会教育施設の首長部局への移管を許しません。住民の学習の場である社会教育には表現の自由、学習の自由が不可欠であり、その侵害に強く反対します。
公立図書館、学校図書館→別項の分野別政策「67、 図書館」
人権と平和を尊重する教育を重視する
道徳の教科化をやめ、市民的モラルの教育をーー安倍政権による「道徳の教科化」は、上から目線で「いい子になれ、ルールに従え」と子どもに教え込むもので、基本的人権や個人の尊厳、多様性にもとづく市民道徳のあり方に反しています。「道徳の教科化」をやめ、学校生活全体が基本的人権や子どもの権利を基盤としたものとなり、そのなかで子ども一人ひとりが自分らしい価値観を形成していく市民道徳の教育にきりかえます。
侵略戦争の美化をやめるーー「従軍慰安婦」など教科書記述への政府の不当な介入をやめ、侵略戦争と植民地支配の事実を知り、そうしたことを再び繰り返さないための教育を保障します。愛国心に関する教育も、戦前の偏狭な愛国心をかかげてすすめられた植民地支配と侵略戦争の歴史の問題を伝えてこそ、世界の人々と共生できるものとなりえます。戦前の教育勅語の美化に強く反対します。
包括的性教育、ジェンダー平等の視点の重視、LGBTなど多様性の尊重ーージェンダー平等、リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)に基づく科学的な性教育、互いを尊重し合う人間関係を築くための考え方やスキルなどの包括的な性教育を学校教育で発達段階に即して一貫して行われるようにします。男女別制服の強制の解消、生理用品の無償配布など学校生活の全体をジェンダー平等の視点で見直すとりくみを奨励します。
同性愛や性同一性障害などを含む性的マイノリティ(LGBT)の子どもへの適切な配慮を求める国の通知(「児童生徒が自認する性別の制服・体操着などの着用を認める」「標準より長い髪型を一定の範囲で認める(戸籍上男性)」「着替えの際に皆とは別に保健室の利用を認める」「修学旅行で1人部屋の使用を認め、入浴時間をずらす」)をさらに多様性尊重の見地から発展させます。教職員や子どもたちが理解をすすめることを重視します。
安全配慮義務の徹底ーー学校での子どもの事故が絶えず、命を落としたり、後遺症に苦しむ子どもがあとをたちません。その大本に、学校では子どもの命を守ることがどんな教育活動よりも優先されるという「安全配慮義務」が教育行政、学校、教職員に十分浸透していない問題があります。「安全配慮義務」を明記するなど、子どもの「安全に教育を受ける権利」を保障する「学校安全法」「学校安全条例」の制定を支持します。
主権者教育の重視ーー主権者教育、政治教育は、子どもの成長と日本の民主主義にとってとても大切な教育です。戦前の教育は政府や政治についての批判を封じ、むしろ時の政権への従属を説き、そのことが軍国主義の支柱の一つになりました。その反省にたって1947年の教育基本法が政治教育を定めたことを、主権者教育の立脚点として重視します。主権者教育のあり方としては、国民主権・基本的人権と個人の尊厳についての基本的な理解、政治の諸制度の学習だけでなく現実の政治についての自由闊達な議論、そして学校などの実生活で子どもたちが権利の主体として扱われること、などが重要だと考えます。
高校生などの子どもの政治活動の自由ーー憲法はすべての国民に政治活動の自由を保障しており、高校生にもとうぜん政治活動の自由があります。実際、高校生たちは、平和や環境問題など様々な政治課題について、多彩なとりくみに参加しています。ところが国は、高校生だけ政治活動を禁止・制限する通知(2016年10月)を出し、集会参加や演説会を聞くことすら届け出制にしている高校まであります。このような憲法違反の制限に反対し、高校生などの政治活動の自由を一般市民と同様に保障します。
競争と管理の教育の見直しの検討
入試制度の改革ーー世界に例のないような、基本的に全員に受験を課す、高校入試制度の抜本的な改革を検討します。大学入試を、ヨーロッパなどの資格試験制度を参考にしつつ、競争的性格の改善を検討します。
学習指導要領を助言の文書にーー学習指導要領の一字一句どおりに授業を行わせるような法的拘束力をなくし、戦後直後のように、あくまで指導助言のための参考資料として、学校現場での教育課程の自主編成、子どもが深く理解できるような自由闊達な授業づくりを奨励します。学習指導要領作成にあたっては、子どもの参加も含め、広範な関係者の意見を反映させるようにします。
過度の管理を改め、子どもの人間の尊厳を大切にするーー過度な子どもへの管理や教員の統制の土台には、学校の運営の権限が基本的に校長のみに属している学校制度の問題があります。その制度のもとでも、校長が教育のリーダーとして、自由で人間的な雰囲気を維持する役割を果たし、教職員、子ども、保護者らの話し合いと合意に基づく学校運営をすすめることを重視します。同時に、学校制度を教職員・子ども・保護者が運営の主体となる方向で、そのあり方を検討します。
憲法と子どもの権利条約に基づく法制度の確立
改悪教育基本法の見直しーー改悪前の、1947年制定の教育基本法は、戦前の教育が侵略戦争の手段となったことを深く反省し、教育の目的を「人格の完成」にすえ、「憲法の理想の実現」を教育に託しました。ところが自公政権は2006年、同法を改悪し、「愛国心」などを教育の目標にいれ、国家権力が教育内容を統制するための「教育振興基本計画」を制度かするなどしました。改悪された教育基本法を、憲法と子どもの権利条約に基づいて改めます。
子どもたちのすこやかな成長を願うみんなの声と運動で、教育基本法改悪をやめさせよう 2006年5月15日
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2006/05/post-604.html
改悪教育基本法から子どもを守る新たなたたかいを 抗議集会への 志位委員長の報告(大要)2006年12月15日
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2006/12/post-603.html
子どもの権利条約の法制度への反映ーー日本の教育に関する法制度は、子どもの権利条約以前のままで、子どもの権利を反映していません。条約の批准時に自民党政権が、法制度の見直しを不要としたためです。教育に関する法制度を見直し、子どもの参加をふくめ、子どもの権利を反映させます。子どもの権利の擁護を、学校と教育行政の重要課題に位置付け、子どもの権利条約を子ども、教職員、保護者に周知します。子どもの権利委員会からの「極度な競争的教育制度」の是正など教育制度に関する勧告をきちんと受け止め、改革をすすめます。
教科書制度の改革ーー教科書検定を廃止し、学問の最新の到達と執筆者の創意が生かされるようにします。教科書採択制度は、もっとも教えやすいように、教育委員会の採択でなく、学校現場の権限で採択できるようします。教育委員会採択の続く間は、採択は子どもの学習にとって最適なものを選ぶという精神から、学校現場の意見をきちんとふまえるようにします。多様な教科書の発行を保障するため、教科書単価を引き上げます。
教育委員会制度の改革ーー教育委員会制度も、安倍政権によって住民代表の教育委員の力を弱める方向で改悪されました。その結果、東京都では教育委員会を構成する6名中4名が東京パラリンピッ クの子ども動員に反対したにも関わらず、動員が実施されるという事態までおきました。教育委員会が子どものために政治から独立して職権が行えるよう、制度の見直しにとりくみます。
安倍政権の「教育委員会改悪法」に反対する国民的共同をよびかけます。 2014年4月18日
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2014/04/post-679.html