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自由と民主主義の宣言

日本共産党 (1996年7月13日一部改定)

[English]


 (目次)


 人類の社会発展の歴史は、搾取と抑圧にたいする、さまざまな民衆のたたかいにいろどられている。そのなかで、自由と権利のためのたたかいは、つねに重要な位置をしめてきた。今日においても現代社会におけるあらゆる種類の抑圧に反対して、自由と民主主義を守りひろげることは、国民の願いであり、また日本共産党の中心的課題の一つである。日本共産党は、1961年の第8回大会以来発展させてきた路線と政策の当然の結実として、ここに、「自由と民主主義の宣言」を発表する。

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1、進行する自由と民主主義の危機

 現在、わが国では、対米従属と大資本奉仕の歴代反動政治のもとで、自由と民主主義をめぐる危機が進行している。

 国民が享受すべき自由は、3つの自由、すなわち生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由の全体にわたって完全に保障されなければならないが、今日の日本では、3つの自由のそれぞれにたいする重大な抑圧と侵害がおしすすめられている。

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 生存の自由の侵害

 人間の生きる自由、すなわち国民の「生存の自由」の社会的保障は、国民の生活と権利の最大の前提であり、国の政治の根本問題の1つである。憲法第25条も生存権、国の社会的使命として、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。

 ところが、日本の経済力が世界第2の水準に達し、国民の生存の自由を保障しうる条件が現実に存在しているにもかかわらず、対米追随、大企業奉仕の反動政治によって、国民の生存の自由はさまざまな形で圧迫されている。食糧や石油、原子力などエネルギーの異常な対外依存と自給率の深刻な低下が日本民族の生存の将来を不安におとしいれているだけでなく、現在、軍事費拡大による福祉・教育の切りすて、増税が国民大衆のいのちと暮らしをおびやかしている。

 わが国では、独占資本、大資本家などごく少数のものだけがばく大な富を自由にしている。その反面、低所得者層(年収300万円以下)は1000万世帯にのぼり、多数の国民が低所得のまま放置されている。障害者、病人、母子家庭、高齢者などにたいする福祉はつぎつぎと切りすてられ、生活苦からの悲惨な自殺や心中、餓死、家庭崩壊があとをたたない。被爆者をはじめとする戦争犠牲者への国の対策は、きわめて貧弱である。特有の低賃金にくわえて、長時間・超過密労働、物価上昇と不況、失業のため、多くの国民は、生活水準の引き下げさえ余儀なくされている。農産物輸入自由化による農業経営の危機、中小企業、零細企業の経営困難も増大するばかりである。国民の将来への不安はますますつよまっている。

 生活環境の悪化もはなはだしい。

 異常な高地価は、引き続き勤労者の前にたちふさがり、マイホームの実現を困難にしている。政府は、1988年、大気汚染による公害病患者の認定を打ち切ってしまったが、これまでの認定患者は、国と地方自治体の認定をあわせて10万人を大きくこえ、死者は年々2000人前後にのぼっている。もうけ本位のモータリゼーションと環境整備の遅れで交通事故も多発しており、毎年約1万人の死者をだし、負傷者も毎年7、80万人にのぼっている。大量の犠牲者を出した薬害エイズ問題は、製薬会社の利益を人命のうえにおいてきた反動行政の犯罪性を、明るみにだした。安全無視の操業による労働災害も続発し、年々死者は2000人前後、負傷者は20万人前後に達している。有害食品問題も重大な社会問題となっている。阪神・淡路大震災によりあらわにされた、震災・災害対策の貧困も重大である。

 反動政治は、すでに国民の生命を守り、「生存の自由」を保障するという責任を果たしえなくなっているといわなければならない。

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 市民的政治的自由の圧迫

 市民的政治的自由は、人間の尊厳と能力の全面的発揮のためにも、また社会の豊かな発展のためにも不可欠のものである。憲法は、その「第三章 国民の権利及び義務」のなかで思想および良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、学問の自由など、国民の市民的政治的自由の保障をきびしく定めている。

 ところが反動勢力は、その悪政への国民の批判の高まりを恐れ、反動政治の破綻とゆきづまりを強権的方向でのりきろうとし、国民の言論・思想・信条・政治活動の自由にたいする抑圧にのりだしている。

 公職選挙法改悪による言論抑圧や政治活動の規制にくわえ、「言論の府」である国会で反動政党の意に反する発言を会議録から削除するという言論抑圧は、その代表例である。公安警察、憲法違反の破防法による公安調査庁の日本共産党などにたいするしつようなスパイ工作、尾行、盗み撮りが、膨大な国家予算をもってつづけられており、党事務所、集会場、指導的幹部の住居などにしばしば盗聴器が発見された。公務員労働者のストライキ権否定などのように憲法の認める結社の自由、団体行動の自由さえうばわれたままである。

 とくに重視しなければならないのは、多くの職場、なかでも民間大企業で、「職場には憲法なし」として労働者の自由にたいする憲法違反の抑圧が日常化し、ひろがっていることである。日本共産党員や労働組合活動家にたいする会社側の尾行、監視や「職場八分」、変節の強要、昇格、昇給、賃金、資格の差別といった「会社監獄」といわれる事態がいたるところでつくりだされている。ある製薬会社は、1人の活動家から仕事をうばい、20年もただ机に座らせつづけた。「赤旗」を読む自由、ビラを受けとる自由も労働者からうばっている企業もある。企業側が第2組合をつくって、労働者の団結の自由に攻撃をくわえたり、職場や寮、社宅などで日本共産党、民主青年同盟の政治活動を禁止、制限したり、暴力組織をつかって暴力的専制をしくなど、前近代的な雇用制度と戦後の新しい労働者管理とを結合した形で、憲法違反の自由抑圧、おどろくべき人権無視が横行している。反共右翼やニセ「左翼」集団の暴力などもつづいている。これが反動的支配勢力のいう自由の実態である。

 企業における日本共産党員にたいする思想差別については、一連の裁判所の判決で、その違法性・違憲性が指摘された。とりわけ、1995年に、最高裁判所が、「思想・信条の自由」を侵害し職場において「自由な人間関係を形成する自由」を阻害するものとして、これを違法とする判決をくだしたことは、画期的な意味をもった。

 本来、自由と民主主義の推進者であるべき労働組合のなかでも、機関決定によって組合員に特定政党支持を義務づけ、それを強要するために不当な処分まで強行し、政治活動の自由と投票の自由までうばう事態が広くみられる。一部の農山漁村などでは、半封建的残存物と反動政党の支配とが結合して、政党支持の自由、投票の自由まで侵害されている。

 政治的自由の抑圧として、もっとも重大な問題は、反動的党派が国会の圧倒的多数を独占することをねらった小選挙区制導入が強行されたことである。小選挙区制は、政党法や国家機密法のたくらみとともに、政治反動の新たな重大な1歩をなすものであり、日本型ファシズムの憲法改悪陰謀に直結している。同時に導入された政党助成の制度は、自分が支持してもいない政党への政治献金を国民に強要するもので、国民の思想・信条の自由にたいする根本的な侵害となった。

 憲法改悪は、日米軍事同盟の侵略的強化の策動と結びついた、反動勢力の戦略的課題である。それは、憲法5原則〔(1)国民主権と国家主権、(2)恒久平和、(3)基本的人権、(4)議会制民主主義、(5)地方自治〕を否定し、日本の憲法体制を戦前に逆行させ、国民の自由と民主主義を全面的に抑圧しようというものである。年とともに強化されている天皇制礼賛や天皇主義的思想のおしつけも、憲法の主権在民の原則をおかすものである。

 反動政治のもとで、政・財・官の癒着と汚職、政治を金で動かす金権政治が横行している。反動勢力が「守る」と称している「自由」や「民主主義」は、「反動政党の独裁の自由」、「わいろ政治の自由」、大資本による「抑圧と搾取の自由」の別名であり、虚偽の自由である。それは対米従属、大資本奉仕の反動政治の正体をかくして国民をあざむくものにほかならない。

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 民族の自由の放棄

 国民の自由にとって、民族自決権、すなわち「民族の自由」もまた欠くことのできないものである。

 日本民族にとって重大な問題は、サンフランシスコ条約と日米安保条約にもとづく日米軍事同盟のもとで、国家主権が侵害され、アメリカ帝国主義が、日本の軍事と外交に、ひきつづき重要な支配力をおよぼしていることである。国民の意思に反して、日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争の拠点にされた。沖縄は27年間、日本からきりはなされ米軍の圧政のもとにおかれつづけた。施政権返還後の今日さえ、多くの米軍基地がおかれ、「治外法権」をもった米軍が住民のうえに君臨して、残虐な暴行事件が繰り返されるなど民族的尊厳を傷つけられている。いま大軍拡がおしつけられ、日米共同作戦の体制が、アジア・太平洋地域での戦争行動をめざして強化され、日本の核基地化の危険もひきつづき深刻である。こうして、アメリカ覇権主義の「世界の憲兵」戦略に、日本の基地と軍事力・経済力を動員するのが、日米軍事同盟なのである。進んだ資本主義国で、このような形で民族の自由をうばわれている国はほかにはない。同時に、日本が、アメリカ帝国主義の副官として、アジアの他民族抑圧のための同盟者の役割をになわされつつあることを、重視しなければならない。

 アメリカ帝国主義は、日米安保条約を軸とする多数の条約、協定、とりきめによってわが国の自由を抑圧している。

 MSA協定などにともなう秘密保護法、日米安保条約にもとづく刑事特別法などは、「秘密保護」を口実に日本国民の知る権利を制約している。ロッキード疑獄事件は、アメリカの多国籍企業、さらにはCIA(米中央情報局)が日本の政治に不当な介入と干渉をおこなってきたという重大な事実をあきらかにした。日米安保条約の「経済協力」条項などを根拠に、アメリカの利益と特権を日本に強要する経済的覇権主義も強まっている。軍事費の増強や海外諸国への戦略的援助の要求、農産物の輸入自由化のおしつけ、アメリカの基準にあわせた日本経済の「構造改革」の要求などは、その典型である。

 しかも、反動勢力とその政府は屈辱的な対米従属路線をとりつづけ、日米安保条約の廃棄による日本の独立、中立をめざす国民の運動に敵対している。対米従属政治は、民族の自由の回復にとって最大の障害となっている。

 また力をつよめた日本独占資本は、新植民地主義的対外進出をすすめ、アメリカ帝国主義の目したの同盟者の役割をあらゆる面で能動的に果たしつつ、他民族の搾取、抑圧をつよめている。

 こうして、今日、大資本、アメリカ帝国主義、反動政治による3つの自由の抑圧、侵害とたたかうことなしには、日本国民の自由と民主主義をまもり、拡大することはできなくなっている。

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2、日本の民主主義の過去と現在

 (イ)わが国における自由と民主主義の問題は、明治以来、ヨーロッパの資本主義諸国とも多くの違いをもつ複雑な経過をたどり、独自な特徴と性格をもっている。

 その第1は、西ヨーロッパ諸国と違って、日本の支配的ブルジョアジーが、民主主義的要求のにない手とならず、初期から絶対主義的天皇制のもとで自由と民主主義の抑圧推進者となってきたことである。

 明治維新(1868年)によって徳川封建幕府が倒れ、上からの急速な資本主義的発展がはじまり、営業の自由、土地売買の自由、職業選択の自由など、一連のブルジョア的自由が導入されはじめたが、絶対主義的天皇制の確立によって、国民の自由と民主主義を圧殺する野蛮な軍事的警察的支配が強化されていった。1889年(明治22年)の「大日本帝国憲法」は、第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とし、第三条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とうたっていた。主権は天皇にあり、議会はあっても天皇統治への「協賛」機関にすぎず、国民は天皇の「臣民」とされていた。なかでも女性はとくに隷属的地位におかれ、ながいあいだ政談演説会への参加も禁止され、選挙権はまったくうばわれていた。

 「言論、著作、印行、集会及結社ノ自由」も「法律ノ範囲内ニ於テ」(帝国憲法第二九条)と限定され、治安警察法その他の弾圧法、とくに1920年代以降は治安維持法が思想・信条の自由、言論、集会、結社などの自由を無慈悲に抑圧した。

 そして、財閥=大ブルジョアジーは、労働者にたいするはげしい搾取と収奪に狂奔しつつ、寄生地主制とともに絶対主義的天皇制と癒着し、「富国強兵」の軍国主義と侵略戦争の推進者となり、自由と民主主義にたいする抑圧者となったのである。

 第2の特徴は、こうした歴史的状況のなかで、日本では自由と民主主義を実現するたたかいが、最初から人民の進歩と革命の陣営、とくに労働者階級とその党の肩にになわれるにいたったことである。

 明治10年前後から、農民の重税や徴兵反対のたたかいとも結んで、自由民権運動が国会開設、人民による憲法制定、人民の思想・集会・結社の自由の保障などを要求してひろがった。ブルジョア民主主義運動として歴史的意義をもったこの運動は、天皇制政府の凶暴な弾圧と迫害によって挫折させられた。

 新しく、自由と民主主義の主なにない手となったのは、社会主義運動であり、また階級的な労働組合運動と農民運動であった。1898年(明治31年)に片山潜らの手で「社会主義研究会」がつくられ、1901年(明治34年)にはわが国最初の社会主義政党「社会民主党」が生まれた。社会主義運動は、平等の原則の実現、治安警察法や新聞紙条例など弾圧法の廃止による言論・出版・集会・結社の自由、労働者の団結の自由、普通選挙と貴族院の廃止、8時間労働の実行、小作人保護など、自由民権運動でかかげられた自由と民主主義の要求をさらに充実、発展させていった。明治以来おこなわれてきた進歩的知識人を中心とする民主的な運動は、いわゆる「大正デモクラシー」に発展していった。

 (ロ)1922年(大正11年)に結成された日本共産党は、近代日本の自由と民主主義の伝統を継承するものであった。日本共産党は、国民主権の立場から君主制廃止、貴族院の廃止を大胆にかかげ、はじめて男女平等、18歳以上の男女の普通選挙権を要求し、労働者の団結、出版、集会、ストライキの自由、8時間労働、小作人への土地の引きわたしなどをかかげた。

 日本共産党の鮮明な国民主権の立場は、当時の主権在君主義の「国体」とは真っ向から対立した。その侵略戦争反対、諸民族の自由、平等、植民地支配反対の立場も、好戦的軍国主義とは真っ向から対立するものであった。

 そうしたことのゆえに、日本共産党は公然活動の自由をいっさいうばわれ、「国賊」と非難され、治安維持法と特高警察によって世界に類例をみないほど過酷な弾圧をうけた。うむをいわさぬ逮捕、しばしば虐殺にまでいたった拷問、脅迫、長期勾留、特高の筋書きによる予審と暗黒裁判――これらが日本共産党員にたいして常用された。中国東北地方の侵略以来15年間の侵略戦争、とくに日・独・伊反共軍事同盟による太平洋戦争への拡大とともに、気骨ある自由主義者、宗教者にいたるまで弾圧しながら、天皇制権力はファッショ的暗黒体制を極限にまですすめた。治安維持法による犠牲者は、記録されているだけでも死者1682人、逮捕・送検者7万5681人、未送検の逮捕者は数10万人にのぼった。

 そして、まさに国民の自由や権利の最後の一片までの圧殺こそ、アジアと日本の国民にいいようのない苦悩と犠牲を強いることと表裏一体であった。いわゆる15年戦争で戦死・戦病死したものだけで230万人、戦災死亡者50万人以上、海外死亡の民間人30万人、被災者880万人にのぼり、そのほか国民各層の被害と困苦ははかり知れなかった。中国人民をはじめアジア諸国民2000万人以上が犠牲となった。この事実は国民の自由と民主的権利の1つひとつをかちとり、守りぬくことの大切さを、いまもわれわれに痛切に教えている。

 (ハ)第2次世界大戦の結果は、この暗黒の歴史に大きな転換をもたらし、自由と民主主義をめぐる状況も一転することとなった。1948年の国連総会では世界人権宣言が採択された。

 反ファッショ連合勢力に敗北した日本の支配層は、「民主化」への同意を余儀なくされた。降伏条件となったポツダム宣言は、民主主義の復活・強化をはばむいっさいの障害の除去、言論、思想、宗教の自由、基本的人権の確立、軍国主義の一掃と平和的、民主的な日本の建設などを要求していた。

 戦前戦中、天皇の神格化と絶対主義支配を「国体」として強要され、ながい無権利状態で圧制に苦しんでいた国民も、日本の民主化と自由の実現を要求する運動に参加し、はじめて公然活動の自由を得た日本共産党はその先頭に立った。

 日本の反動的支配層は、大きな制約をもった占領下の民主主義にさえさまざまの抵抗をこころみた。にもかかわらず、1947年には主権在民をうたった新憲法が生まれた。この憲法は、その成立の経過や当時の複雑な状況を反映して、「象徴」天皇の条項など、国民主権の民主主義とは矛盾するものを残しているものの、積極的な平和的、民主的な条項をもっている。その精神は、さきにのべた憲法五原則に集約することができる。

 憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると、とくにのべている。自由民権運動や日本共産党をふくめ、進歩的国民の自由と民主主義のための苦難のたたかいもまた、この「自由獲得の努力」の一翼であった。

 (ニ)今日、自由と民主主義をめぐる対決は、戦前の日本とは異なった新しい展開をみせている。

 その第1は、日本国民の自由と民主主義の抑圧者として、戦前の絶対主義的天皇制にかわって、戦後、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟する日本独占資本が登場したことである。

 戦後の日本を占領した連合軍の主力となったアメリカ帝国主義は、日本をアジア侵略の拠点とするために、ポツダム宣言をふみにじって、日本を事実上の従属国とするサンフランシスコ体制をつくり上げた。アメリカ帝国主義と日本独占資本こそ、日本国民の自由と民主主義の侵害と抑圧を生み出す根源となっている。

 第2は、自由と民主主義の課題の内容として、主として封建的、前近代的抑圧に抗して生存の自由、市民的政治的自由をかちとることにあった戦前と異なり、さらに独占資本の横暴や抑圧に抗して生存の自由、市民的政治的自由をかちとるための新しい多面的な課題がくわわり、そしてまた対米従属を一掃して、民族の自由をかちとるという課題がくわわったことである。

 戦後半世紀のあいだに自由と民主主義をめざす国民の運動は、さまざまな流れを合流させて、1つの巨大な潮流に成長しつつある。戦後の憲法の平和的、民主的条項は国民のあいだに広く定着し、日本の民主勢力のたたかいは反動勢力の憲法改悪の策謀をいくたびか挫折させてきた。いのちと暮らしを守る住民運動も底深く発展し、真の住民自治をめざす革新自治体は、1970年代には人口の4割をおおう地域に樹立されるにいたった。明治以来80年近い暗黒政治、事実上数10年にわたる侵略戦争、戦後の占領と日米軍事同盟、大資本奉仕の「高度成長」政策の諸結果など、大きな国民的体験をへて、生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由を求める国民のエネルギーは、大きな潜在力をもっている。そのたたかいは、近代民主主義の伝統をひきついでいるだけでなく、横暴きわまる独占資本の社会的規制を求めるもっとも現代的な反独占民主主義の諸要求や、さらに民族の独立を求める反帝国主義的な民族的要求をむすびつけつつ、力づよく発展する可能性と展望をもっている。女性の社会的政治的自覚と運動もめざましく、社会進歩の大きな力に成長している。

 1922年の党創立以来、一貫して自由と民主主義のために不屈にたたかってきた日本共産党は、この国民的運動の先頭に立って奮闘するものである。

 わが党のこの立場は、自由と民主主義の問題にたいする科学的社会主義の本来の立場を自主的、創造的に発展させたものであって、たんなる一時期の戦術ではなく、現在から将来にわたる日本共産党の政策と活動の一貫した特徴をなすものである。

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3、科学的社会主義と自由の問題

 (イ)マルクス、エンゲルスが創設者となった科学的社会主義の学説と運動は、あらゆる搾取から解放された、真に平等で自由な人間関係の社会――共産主義社会の建設を、根本目標としているが、それは、人類が生み出したすべての価値ある遺産を正当にうけついでおり、民主主義と自由の問題でも、近代民主主義のもっとも発展的な継承者、国民の主権と自由の全面的で徹底した擁護者として、歴史に登場した。

 近代民主主義の諸原則を、世界史のうえで最初に宣言した文書は、アメリカの独立戦争にさいして発表された「独立宣言」(1776年)であった。マルクスはその民主的な意義を高く評価し、1864年、リンカーン大統領にあてた国際労働者協会中央評議会の祝辞のなかで、当時のアメリカを、「まだ1世紀もたたぬ昔に一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言が発せられ、18世紀のヨーロッパの諸革命に最初の衝撃があたえられたほかならぬその土地」と、特徴づけた。

 マルクス、エンゲルスら科学的社会主義の学説と事業の創始者たちにとっては、国民の主権と自由の宣言を核心的な内容とする近代民主主義の諸原則は、社会主義への使命をもつ労働者階級にとっても、擁護し、また未来にひきつがれるべき人類社会の貴重な遺産であった。マルクス、エンゲルスは、普通選挙権とそれにもとづく民主共和制が、地球上でまだアメリカなどでの例外的な現象でしかなかった当時から、ヨーロッパ各国で、普通選挙権運動を推進する先頭に立ち、人民主権の民主共和制の旗をつねに高くかかげ、これらの民主的獲得物を破壊しようとする反動の攻撃には、断固とした反撃をくわえた。かれらは、民主共和制を、資本主義国家のもっとも民主的な形態として擁護すると同時に、それが、社会主義の国家にもひきつがれるべき政治形態であることを、しばしば指摘した。

 自由の問題でも、かれらは、出版・結社・集会の自由のための闘争を、労働運動の中心的な政治課題として、一貫して重視した。これらの自由の要求は、資本主義社会の発展とむすびついて生まれたものではあるが、エンゲルスは、それが労働者階級にとっていっそう切実な死活の要求であり、労働者党にとって、「自分自身の本来の生存条件、彼らが息をするのに必要な空気」だとまでのべて、その意義を強調した(「プロイセンの軍事問題と労働者党」1865年)。

 (ロ)もちろん、科学的社会主義の事業は、自由と民主主義の問題でも、近代民主主義のたんなる継承者の立場にとどまるものではない。この学説と事業の人類史的な意義は、それが、近代民主主義による国民の政治的解放とその徹底を重視しながらも、それだけに満足せず、搾取制度の廃止による国民の経済的、社会的解放にまで前進することによって、真の人間解放に到達する道を、あきらかにしたところにあった。この問題での、その先進的な特徴は、なによりもまず、つぎの4つの点にある。

 第1は、科学的社会主義が、国民の政治的解放――市民的政治的自由の確立だけでは、労働者階級と人民の貧困や窮乏の問題を解決することができないことを、明確に指摘し、労働者階級をはじめ圧倒的多数の人民を社会的な貧困から解放すること、いいかえれば、すべての人民の「生存の自由」を保障することを、解放運動の根本目標として提起したことである。

 この目標は、人類社会が到達した生産力の全面的な活用を基礎に、資本主義的搾取を廃止し、階級的な差別も対立もない社会主義・共産主義の社会を建設することによって達成される。近代民主主義の最大のブルジョア的限界は、なによりも「搾取の自由」を絶対視しているところにある。この「搾取の自由」の制限と廃止が、人間の生存権の保障をふくむ人間的自由の回復と発展の道であることを発見したのは、科学的社会主義の偉大な功績であった。社会主義段階における「能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる」原則の実現、ついで共産主義段階における「能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる」原則の実現は、「生存の自由」の全面的な開花の中心的な内容である。

 第2は、科学的社会主義が、市民的政治的自由の擁護と拡大の点でも、もっとも徹底した、もっとも首尾一貫した立場に立っていることである。

 もともと成長期の資本主義の政治的要求として生まれた近代民主主義は、最初から多くのブルジョア的制約と限界をもっていた。アメリカの「独立宣言」(1776年)やフランスの「人権宣言」(1789年)で、国民主権が宣言されたが、選挙権ひとつとっても、女性もふくめてすべての国民に参政権を保障する普通選挙権が、主要な資本主義国に確立するまでには、それ以後、百数十年にわたる各国人民の努力が必要だった。国民の自由と人権の問題でも、フランス革命当時は、労働者の団結やストライキは、革命政府自体によって、「自由と人権宣言」を犯す犯罪として禁圧された。労働者の団結権やストライキ権が、近代国家における当然の民主的権利として一般的に確認されるまでには、政府とブルジョアジーの暴圧に抗しての、労働者階級の長期にわたる不屈の闘争が必要だったし、この闘争は、今日の日本においても、なお継続されている。

 19世紀40年代に科学的社会主義者として活動をはじめたマルクス、エンゲルスは、国民の自由と民主主義にたいする、封建的あるいはブルジョア的ないっさいの制限に反対し、人民主権の国家、すべての国民への普通選挙権、出版・結社・集会の自由などを、もっとも徹底した形で実現することを、民主主義の根本問題として主張しつづけた。ブルジョアジーが、人民勢力を恐れて自由と民主主義の旗を捨てた場合でも、労働者階級は、これを自分自身の旗として、その擁護と拡大の闘争に立つべきだ、というのが、各国の社会主義運動にたいするかれらの変わらない忠告であった。

 今日、近代社会でそれぞれの形態と内容で実現されている市民的政治的自由や政治的民主主義の諸制度は、過去のブルジョア革命の所産に単純に還元できるものではない。それはすでにみたように、長期にわたる人民の闘争の成果として今日的な展開をかちとったものである。そしてこの面でも、国民主権と自由の旗を一貫してかかげてきた科学的社会主義の事業は、もっとも重要な先進的貢献をおこなってきたのである。

 第3は、各国の進路と運命は、その国の人民が決定するものであり、他のいかなる国家、いかなる民族も、これに干渉することは許されないという、民族自決の権利――「民族の自由」が、社会発展の不可欠の前提であって、これを全面的に擁護することは、科学的社会主義の本来の原則的立場だ、ということである。

 マルクス、エンゲルスは、すでに「共産党宣言」(1848年)で、社会主義革命がまずそれぞれの国民の民族的事業としておこなわれることを指摘していたし、民族の主権と独立の確保が、それぞれの国民の社会的前進および諸国間の国際的協力の、欠くことのできない前提条件であることを、くりかえし強調し、いっさいの民族的抑圧に反対した。エンゲルスは「全民族の自由な発展と個々の民族の自由な発展」なしには、各国で社会革命について考えることもできないし、相互援助によって、それを完遂することもできない、と強調した(ナデジデへの手紙、1888年1月4日)。かれはまた、人類の社会主義的未来を展望しつつ、「社会主義」の利益を名とする民族の自由の侵犯につよく反対し、さきに社会主義の道にふみだした国ぐにが、他民族に外部から社会主義を押しつけるようなことがもしもあったならば、それは社会主義の国際的事業全体を台なしにする結果になると、きびしく警告した。「勝利をえたプロレタリアートは、ほかの民族に対してどんな恩恵をも、それによって自分自身の勝利を台なしにすることなしには、押しつけることはできない」(エンゲルスのカウツキーへの手紙、1882年9月12日)

 第4は、科学的社会主義の展望する共産主義社会自体が、人間の自由の全面的な実現を本来の特徴とする共同社会だということである。

 共産主義社会は、原始共産制の崩壊以来人類社会を特徴づけてきた社会の階級分裂に終止符をうち、生産力のすばらしい発展と社会生活の新しい内容がうちたてられる社会である。それは、(1)階級的な対立と抑圧の社会にかわって、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる」真に平等で自由な人間関係の社会が生まれるという意味でも、(2)組織的かつ系統的な暴力、一般に人間にたいするあらゆる暴力が廃絶され、戦争も消滅し、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会という意味でも、(3)最後に、人間が、いままで人間を支配してきた自然的、社会的な生活諸条件を、その支配と統制のもとにおき、自然と社会の意識的な主人公になるという意味でも、人間的自由が、階級社会では考えられなかった全面性と高度な形態とをもって、実現される。

 マルクスは、共産主義社会を、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする高度な社会形態」(『資本論』)と特徴づけ、エンゲルスはこの社会の成立を「必然の国から自由の国への人類の飛躍」(『反デューリング論』)と意義づけたが、それはまさに、人類史上はじめて、科学的基礎に立ち壮大な世界史的スケールで展望された、真の自由社会なのである。

 (ハ)レーニンは、マルクス、エンゲルスが展開した科学的社会主義のこの精神を基本的にうけついで、帝国主義段階をむかえた世界資本主義の政治的、経済的諸条件を全面的に分析し、帝国主義の支配的傾向である政治的反動と民主主義の否定、他民族の併合と抑圧、軍国主義と侵略戦争などをするどく告発した。そして、労働者階級と人民は、終局的には社会主義をめざすその闘争において、民主主義と政治的自由、民族自決などの旗を、いちだんと高くかかげるべきだと主張した。レーニンによれば、労働者階級は、解放闘争の途上で民主主義のための闘争を重視するにとどまらず、社会主義革命の勝利の後にも、民主主義や民族自決の完全な実現をめざすべきであった。

 「勝利をえた社会主義が完全に民主主義を実現しないということがありえないのと同様に、民主主義のための全面的な、一貫した革命的闘争を行なわないようなプロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする勝利の準備を整えることはできない」(「社会主義革命と民族自決権〈テーゼ〉」1916年)

 実際、世界の自由と民主主義が重大な脅威にさらされた第2次世界大戦の前夜および大戦中の状況をみても、天皇制軍国主義の暗黒政治と侵略戦争に反対した日本共産党の闘争をはじめ、民主主義と自由、独立と平和の旗をかかげて各国人民の闘争の先頭に立ったのは、共産主義者とその党だった。ヨーロッパの反ファッショの人民戦線の闘争や反ナチ抵抗闘争においても、中国人民その他アジア諸国人民の抗日闘争においても、民主主義と民族解放の事業に無数の共産党員が生命をささげた。これらの闘争は、科学的社会主義の党こそが、民主主義と自由の先進的な闘士であることを、ファシズムや軍国主義との闘争の世界的規模での経験によって実証するものとなった。

 第2次世界大戦後においても、アメリカ帝国主義の侵略戦争を打ち破って、民族の独立と統一をかちとったベトナム人民の抗米救国闘争の勝利は、そのことの新たな証明となった。

 (ニ)世界の資本主義は、20世紀とともに、独占資本主義、帝国主義の段階にはいったが、それ以来1世紀のあいだに、世界の人民の自由と民主主義をめざす闘争は、多くの激動と曲折をへながらも、世界史的な前進をかちとってきた。

 20世紀の初めには、実質的な独立国は地球上に20カ国ほどしか存在せず、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの圧倒的多数の諸民族は、植民地・半植民地・従属国として、民族的な抑圧に苦しめられていた。それらの諸民族のほとんどが、今日までに独立をかちとった。1960年代には、国連総会決議などで、植民地領有そのものが国際法違反の不法行為として非難されるようになった。現在国連に加盟している世界185カ国(1996年7月現在)のうち、その大部分が、旧植民地・従属諸国である。

 政治体制の面では、20世紀初頭には、君主制が優勢で、主権在民を原則とした共和制を名実ともに達成している国は、数カ国を数えるにすぎなかった。今日では、国連加盟国の大多数が共和制をとっており、君主制の国は29カ国にすぎない。20世紀のあいだに、世界政治の主流は、主権在君の君主制から主権在民の共和制に完全に転換した。

 人権の保障の問題では、人民の生存権――生活権などの社会的権利の保障が、憲法上の人権の規定の重要な部分をなすようになったことは、20世紀に実現した重要な進歩である。それは、「世界人権宣言」(1948年)や「国際人権規約」(1966年)などの国際条約にも明記された。

 自由と民主主義のこれらの前進と達成に、科学的社会主義の事業が重大な貢献をおこなったことは、誰も否定することのできない明白な歴史の事実である。1917年にロシアでおこった社会主義革命は、レーニンが指導にあたった時期には、おくれた社会・経済状態からの発足という歴史的な制約にもかかわらず、またすくなくない試行錯誤をともないながら、科学的社会主義の真価を発揮した業績によって世界の進歩に貢献した。とくに新しい政権が、植民地をふくむ民族自決を世界的な原則として宣言し、旧ロシア帝国の領域内にあった諸民族の自決を実際に実現したこと、男女同権、8時間労働制や有給休暇制、社会保障制度などの宣言と実行によって、人民の生存の自由を基本的人権の内容として前面におしだしたことは、世界の勤労大衆と被抑圧諸民族をはげまし、資本主義諸国にも大きな影響をあたえた。その人類史的な意義は、スターリンらその後の歴代指導者の誤りの累積やその結果おこったソ連の崩壊によっても、失われるものではない。

 スターリン以後のソ連におこった、民族自決権をふくむ自由と民主主義の侵犯は、科学的社会主義の原則をなげすて、レーニン時代にしかれた社会主義への過渡期の路線をくつがえしたものであり、ソ連社会を、社会主義とは無縁な、人民抑圧的な体制に決定的に変質・転落させた。1989年〜91年に起こったソ連とそれへの従属下にあった東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、こうした体制的な変質と転落の帰結である。

 日本共産党は、ソ連などの覇権主義が重大化するなかで、覇権主義のいかなるあらわれにたいしても断固としてたたかう立場を早くからあきらかにし、各国の革命運動、民主運動の自主性と科学的社会主義の原則的立場を擁護し、日本の運動にたいする干渉を打ち破り、チェコスロバキアやアフガニスタンへの侵略に反対するたたかいをすすめてきた。そして、いかなる外国の経験もモデルとせず、高度に発達した資本主義国である日本の条件のもとで、3つの自由を将来ともに擁護、発展させる方向と政策を明確にしてきた。

 日本共産党は、今後とも、自由と民主主義の一貫した擁護者としての科学的社会主義の本来の立場をひきつぎ、発展させながら、国民とともに、独立・民主日本および社会主義日本への独自の道をひきつづき追求するものである。

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4、自由と民主主義の確立と発展・開花をめざして

 日本共産党は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義への従属下にあるわが国で、社会進歩の今後の方向として、当面、民主連合政府によって日本の民主的革新をはかることを、めざしている。そして、さらにすすんでは、反帝反独占の民主主義革命による独立・民主日本の建設、社会主義革命による社会主義日本への前進および共産主義社会への発展を、展望している。これらの諸段階は、それぞれ、日本国民の生活と福祉、権利と自由を拡大向上させる、社会発展の前進的な諸段階をなすものであるが、社会進歩のどのような道をすすむか、そしてその道を、いつどこまで前進するかは、主権者である国民の意思、選挙で表明される国民自身の選択によって決定される問題である。

 日本では、戦後の改革によって国民主権と議会制民主主義の政治制度、一定の市民的政治的自由などが、憲法上確立され、これらはいろいろの反動的攻撃にさらされながらも、民主主義のための闘争における日本国民の重要な獲得物となっている。この日本の条件下で、今後の社会進歩の道を探求するとき、国民の生活上の問題や、主権の完全回復など民族的課題の解決を重視すると同時に、国民の自由と民主主義の問題で、これを侵犯破壊している反動勢力のあらゆる攻撃とたたかい、これまでの民主主義的獲得物を擁護すること、さらに、各種の不当な制約を打破して、国民の民主的な権利と自由、政治的民主主義の制度をいっそう拡大、発展させることが、もっとも重大な方向の1つとなる。

 日本共産党は、1961年第8回党大会で党綱領を採択して以来、一貫してこの見地から自由と民主主義の擁護、発展を最大の特質とする日本の社会進歩の方向を主張し、それを具体化した諸政策を積極的に探求し、提起してきた。

 とくに、自由の問題では、わが党は、日本国民が守りかちとらなければならない自由には、生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由という「3つの自由」があることを指摘し、この3つの分野で国民の自由が侵されている日本の現状をきびしく告発するとともに、わが党の展望している社会進歩の方向こそ、この「3つの自由」を確立し、擁護し、充実、拡大する道、文字どおり国民の自由を発展的に開花させる道であることを、あきらかにした。

 自由と民主主義の問題が、日本の進路と国政の方向をめぐる対決のますます大きな焦点の1つとなっている今日、日本共産党は、ここにあらためて、国民の自由の3つの分野のそれぞれについて、現在と将来における自由と民主主義の発展方向とそれにかんする日本共産党の政策・見解をあきらかにし、そのための共同の努力を国民によびかけるものである。

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(1)生存の自由――健康で豊かな国民生活の保障

 今日、歴代の反動政治のもとで、より根本的には、大企業による経済支配と対米従属の結果、国民の生存と生活の諸条件は、軍拡の財源づくりなどのための消費税導入による大増税、物価高、低賃金、長時間・超過密労働、労働災害、公害、住宅難、社会保障の貧困など多面的に抑圧、破壊されている。国民の生活条件にたいするこれらの圧迫や侵害をとりのぞいて、すべての国民が健康で文化的な、人間らしい生活をいとなめる条件を確保すること、すなわち国民の「生存の自由」を現実に保障することは、われわれのめざす自由のもっとも重要な内容の1つである。

 民主連合政府による国政の革新は、これまでの大企業本位の経済政策にかわって、国民本位の経済民主主義を国の経済政策の基本にすえ、大企業にたいする民主的規制をつうじてその横暴な経済活動を抑制し、これによって、資本主義経済のわく内ではあるが、国民の「生存の自由」の保障への大きな前進となる。

 独立・民主日本では、この経済民主主義をいっそう拡大し、世界第2の高い経済力を、国民の生活と福祉に有効に役立てるうえで、いちだんと大きな発展がかちとられる。

 社会主義日本では、大企業の手中にある主要な生産手段は、社会全体の所有にうつされ、私的な利潤のためではなく、社会と国民のための生産が経済活動の原理となる。労働者は企業管理、運営への参加で積極的役割を果たす。こうして、生産力をむだなく効果的に活用する社会主義的計画経済によって、すべての国民にこれまでになく高い物質的繁栄と精神的開花が保障されるようになる。

 (イ)インフレと物価高、不況と失業、公害による生活環境の破壊などは、本来、資本主義固有の現象であり、とくに大企業による経済支配の産物である。経済民主主義の方向への経済政策の転換と前進は、これらの被害を最小限にくいとめ、国民生活の安定と向上を可能にする。とくに社会主義日本では、物価を安定させるだけでなく、生産力の発展におうじて物価引下げをおこなう条件がつくりだされるし、不況や失業を一掃して、各人の資質、能力におうじた職業選択の自由を保障しつつ、失業のない社会を実現することができる。公害・環境問題でも、社会主義日本では、公害の予防と発生源での除去、生活環境、自然環境の保護と改善が、全国的に確実に実施される。地球の環境保全にも積極的に貢献できる。

 日本における経済民主主義とその拡大、社会主義への前進のなかでは、人間尊重の立場にたって、国民を老後や病気の不安から解放する総合的な社会保障制度の確立が、最優先の国策となる。社会主義日本では、医療費は全額国庫の負担ですべての人に無料化され、年金も老後の生活を十分保障するものに充実し、教育費は大学まですべて無料とされる。

 また、住宅、学校、病院をはじめ国民が健康で文化的な生活をいとなむのに必要な公共施設は、国と地方自治体の責任で計画的に建設され、この分野での国民生活の困難は、急速に解消される。

 (ロ)独立・民主日本はもちろん、社会主義日本に移行した段階でも、勤労者の私有財産は保障される。経済の社会主義化にあたって、国有化が必要となる場合にも、その対象となるのは、大企業の手にある主な生産手段だけで、勤労者個人の生活に使う財産――生活手段の私有は、否定されるどころか、家屋や生活に必要な土地をふくめて保障され、社会の発展とともに、すべての国民が生活手段をより豊かにもてるようになる。

 日本のように高度に発達した資本主義国では、大企業の手にある主要な生産手段の社会化が、経済の社会主義化への決定的な歩みとなる。中小商工業や農業、中小漁業などの部門では、私的所有と私的経営が広く残され、国民経済におけるその積極的役割が尊重される。これらの部門での社会主義化の主要な形態としては、協同組合化が予想されるが、そのさいにも、けっして共同化をいそがず、当事者がその方が利益になると考えて共同化を求めるときに実行するという、自発性の原則を厳重に守り、無理に押しつけるやり方はとらない。

 (ハ)独立・民主日本でも、社会主義日本でも、日本の高い生産力、国民の高い教育水準と労働意欲を活用し、公害のないつりあいのとれた経済発展によって、国民の求める多様な商品を生産し、衣食住のすべてにわたって国民生活を豊かにする。商品も豊富で、質をよくし、サービスも心のこもったものに改善し、個人個人の商品選択の自由は、広く保障される。

 社会主義日本では、農漁業・中小商工業など私的な発意を尊重するとともに、計画経済と市場経済とを結合して、弾力的で効率的な経済の運営がはかられる。

 社会主義的計画経済は、生産力をむだなく効果的に活用して、国民生活と日本経済の豊かな繁栄を保障するための手段であって、国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、経済民主主義とも、社会主義日本の経済生活とも、まったく無縁のものである。

 (ニ)社会主義社会から共産主義社会へ移行する段階では、人民全体の知的水準の抜本的向上と生産力のすばらしい発展によって、社会生活を維持するために必要な労働時間を大幅に短縮できる条件が、つくりだされる。すべての勤労者が、物質的生産以外の領域でも、その精神的・肉体的な能力を全面的に発展させるために、自由な時間を十分にもつことができるようになる。

 こうして、共産主義社会での生産力の発展と労働時間の短縮は、人間の文化的・精神的な開花と真に自由な発展をささえる物質的基礎となる。「真の自由の国」(マルクス)はこの基礎のうえにのみ、花を開くことができる。

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(2)市民的政治的自由――国民の主権と自由の全面的発展

 国民の主権、国の主人公として国民が広く政治に参加する自由、思想・良心の自由、言論・出版・集会・結社・表現の自由、信教の自由、勤労者が団結し団体行動をする自由は、日本の社会発展のすべての段階をつうじて全面的に擁護されなければならない。

 日本共産党は、このような基本的見地に立って、国民の市民的政治的自由を侵害しているいっさいの抑圧を許さず、これらの自由を確立し発展させるために変わることなくたたかう。当面する民主連合政府のもとでも、やがて独立・民主の日本、社会主義の日本になったあかつきにも、人間的尊厳の確立をめざして、あらゆる市民的政治的自由が保障される。共産主義の高い段階では、市民的政治的自由として人類のめざしてきたものが、もっとも高度な姿で開花する。

 政治的民主主義の発展

 (イ)国民主権の立場から、独立・民主日本でも、社会主義日本でも、普通選挙権にもとづく国会を名実ともに最高機関とする民主主義国家体制が確立、堅持される。反対党をふくむ複数政党制をとり、すべての政党に活動の自由を保障し、選挙で国民多数の支持をえた政党または政党連合で政権を担当する。この議院内閣制(議会多数派で組閣)によって、政権交代制は当然維持される。

 国の最高機関であり唯一の立法機関である国会にふさわしくその権限を拡大する。国政調査権は、司法権の独立を前提として拡大し、積極的に活用するようにする。そして、国会の民主的運営は、議員の討論や審議権をふくめて十分に保障され、少数意見も当然尊重される。また、国民の意思をできるだけ広く正当に国政に反映できるように、請願権の保障を充実し、18歳以上のすべての男女に選挙権をあたえることをふくめ、選挙制度を徹底的に民主化する。

 国民の生命、身体、財産、住居、往来の安全を守ることに国は責任を負う。暴力で基本的人権と人命、社会制度を破壊する行動は規制される。

 公務員は、主権在民の立場に徹し、いっさいの汚職や職権乱用の行為を厳禁される。

 (ロ)現憲法は、その平和的、民主的な条項の大きな柱として、憲法5原則をもっている。(1)国民主権と国家主権(2)恒久平和(3)基本的人権(4)議会制民主主義(5)地方自治という、この憲法五原則は将来ともに守り、さらに充実、発展させる。いわゆる三権分立の原則も、発展的に継承する。これは、国民主権を前提として、立法権、行政権、司法権に相対的な独立性と相互規制の関係をもたせるものであるが、権力の乱用や人権侵害を防止する民主主義的保障の1つとして役立つであろう。

 三権分立制のもとで、裁判所は他の国家機関からの不当な介入をうけることなく、独立して司法権を行使し、裁判官の任命と身分保障も民主的に確立されなければならない。

 地方自治を擁護、発展させて、地方政治への住民参加をひろげる。

 国民の自由と人権の保障

 日本共産党は、市民的自由を擁護し発展させることは、不可侵の基本的人権と国民主権の保障にとって不可欠のものだと考える。

 (イ)言論、出版その他表現の自由を、用紙や印刷手段の自由な利用の保障などをふくめ、擁護する。検閲を排除し、情報公開を確立する。新聞、テレビ、ラジオなどの報道機関にも、政府批判をふくむ報道の自由が保障される。表現手段などにめぐまれない人びとにたいしても、自己の思想や主張などを発表しうるように物質的な保障を確立する。この物質的保障は、あくまで表現の自由の不可侵を前提としたものであり、それを検閲や統制の手段とすることは許されない。

 集会、示威行進の自由、結社の自由、勤労者の団結権、ストライキ、団体交渉その他の団体行動権を全面的に擁護する。これらの権利の行使に必要な集会場その他の施設を充実する。

 思想・信条の自由、個人の良心の自由を完全に保障する。国民の精神生活への公権力の介入を排除し、思想・信条の違いによる差別を一掃する。いかなる世界観をも「国定の哲学」とせず、さまざまな思想、哲学の自由を保障する。

 企業のなかでも基本的人権と自由を擁護し、政治活動、政党支持の自由を保障する。政党所属や政党支持による差別を根絶し、労働組合組織による特定政党支持の義務づけを排する。

 布教、伝道の自由をふくむ信教の自由を無条件で保障する。すべての宗教的行事は国家にとって私事とみなされ、いかなる公権力の介入もうけない。政教分離の原則を守り、国家は、どんな宗教にも特権をあたえず、かつ差別しない。宗教団体が政治権力の行使に参加することを認めず、また公権力の機関ないし国公立学校が宗教教育その他宗教的活動をすることを認めない。特定の思想や信仰を権力で押しつけたり禁止したりする、いかなるイデオロギー的強制も認めない。

 (ロ)学問研究の自由、創造、批判、発表、鑑賞をふくむ文化、芸術活動の自由を保障する。

 学問研究や芸術創造にたいする行政的規制を排除し、自由で民主的な批判、討論を尊重する。大学の自治、教育の自主性を擁護し保障する。学校教育の場で特定政党の支持または反対の教育をおこなわない。教職員の労働条件や教育・研究の諸条件を改善すると同時に、教師や研究者は青少年の教育ないし科学技術の発展について国民にたいして責任を負う。

 スポーツ、レクリエーションについては、大衆的に利用できる公共施設を建設して、国民の権利としてのスポーツ、レクリエーションが保障されるようにする。

 いじめ、体罰など、こどもにたいする人権侵害を許さず、退廃や非行からこどもを守り、その健全な成長と人格形成にふさわしい環境をつくる。青少年のすこやかな成長にたいする社会の責任と、女性の人格尊重を重視し、性の商品化、人間の動物化などから人間的尊厳を守る。

 (ハ)男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、その保障を確立する。女性の独立した人格を尊重し、社会的、法的な地位を高め、その社会的進出や積極的貢献を妨げている障害をとりのぞく。結婚、離婚は、もちろん当事者の自由であるが、そのさい女性が不利な条件におかれることのないようとくに配慮する。社会の各方面に残っている半封建的な残りものをなくし、いわゆる部落問題については国民的融合に努力する。わが国における少数民族というべきアイヌの生活と権利を保障し、その文化を保護する。

 (ニ)国民1人ひとりの個人的自由は、最大限に守られなければならないし、私生活(プライバシー)は不当な介入から保護されなければならない。信書、通信の秘密を厳重に保護し、盗聴・盗み撮りはどのような形態のものも禁止される。また、旅行、移動、居住および職業選択の自由はもちろん、海外渡航や出国、国籍選択の自由も全面的に保障する。

 趣味、嗜好、モード、ファッションなどが個人の選択の自由にまかされることは当然である。市民生活へのいかなる統制や干渉も排除する。

 (ホ)人身の自由を擁護し保障する。人身売買や暴行、人道に反する待遇、処罰を排除し、虐待をくわえた者は人間尊重の名において罰せられる。国民は、現行犯の場合を除いては令状なしに逮捕されず、法定の手続きによらなければいかなる刑罰も科せられない。政府と異なる意見や政見等を理由に逮捕、追放されるようなことはいかなる形式においてもありえない。刑事事件の被告人は公平で迅速な公開裁判をうける権利を保障される。

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 (3)民族の自由――日本の自主的発展と対等・平等な国際関係の基礎

 各民族は、自国の社会制度や政治制度を自主的に選択する自由、外交、軍事、経済問題で民族主権を行使する自由をもつ。これは、各民族がもつ固有の権利であり、各民族の自由な発展にとって不可欠な条件である。日本国民がこの民族自決権を確固として回復するとともに、この権利を侵すものにたいしてたたかい、日本民族の自由を全力をあげて守ることは、もっとも重要な国民的課題である。

 自国の民族の自決権を擁護することと、他民族の権利を守ることは不可分のものである。各民族は、軍事、政治、経済などあらゆる分野で他民族を抑圧してはならない。各国人民が自国の進路と運命を自主的に決定する民族自決権を擁護し、帝国主義、覇権主義によるいかなる侵害にも反対しなければならない。日本国民が、他民族にたいするいっさいの干渉、抑圧、侵略に反対することは、すべての民族との対等、平等、互恵の関係を確立する道である。

 こうして日本は、真に独立した、平和な国として発展し、日本民族の自由が保障され、開花する。

 (イ)日米軍事同盟から離脱し、日本国民が国の進路を自主的に決定する権利を獲得する。

 日米軍事同盟のもとで、日本は戦争に参加するか否かの決定権まで事実上アメリカににぎられ、世界諸国民の民族自決権を侵犯するアメリカの侵略・干渉基地にされている。この日米軍事同盟から離脱し、アメリカによって主権を侵害されている現状を打破して、日本国民みずからの意思にもとづき、民族の自由な進路をきりひらく。民主連合政府は、国会の承認をえて日米安保条約の廃棄をアメリカ政府に通告し、日米軍事同盟の束縛をなくす。これは、日本の主権を回復する重要な第1歩となる。日米軍事同盟から脱却したあとも、いかなる軍事同盟にもはいらず、非核・非同盟、中立の立場を守る。

 領土問題も民族主権にかかわる基本的問題であり、国際法の原則に立って、千島問題の公正な解決をはかる。中間条約の締結による歯舞、色丹のすみやかな返還、日ロ平和条約の締結による全千島の返還をめざし、ロシアと交渉をすすめる。

 日本は、核兵器を持たず、つくらず、持ちこませずの「非核三原則」を法制化し、人類にとって死活的に重要な緊急課題である核戦争阻止、核兵器廃絶のため核兵器完全禁止・廃絶の国際協定をめざす。またすべての軍事同盟を解消し、軍事同盟のない世界をめざす。

 (ロ)他国の民族主権――「民族の自由」の尊重を、日本の外交政策の基本とする。

 日本は、日米軍事同盟によってアメリカの覇権主義的な世界戦略に組みこまれているが、軍事同盟からの離脱と中立の実現は、世界とアジアの平和、諸国民の民族的自決に貢献することになる。同時に、対米従属のもとでの日本軍国主義の復活強化を阻止し、日本独占資本の新植民地主義的な対外進出を根本的に転換させて、近隣諸国の民族に脅威をおよぼしている現状を大きくかえる。

 (ハ)他国民の権利と自由を侵すいっさいの干渉主義、覇権主義、新旧植民地主義に反対する。現在の国際関係には、依然として他民族にたいする侵略、抑圧、干渉が横行している。アメリカ帝国主義は、ソ連解体後も、他民族にたいする軍事的侵略の政策を放棄しておらず、ベトナム侵略戦争をいまなお「正義の戦争」として美化する態度をとり、これを共通の「価値観」として、同盟諸国にも押しつけている。アメリカの軍政首脳部は、「地域紛争」の「抑止」あるいは「解決」を名目として、自分の気にいらない進歩的政権の転覆をふくめ、他国の内政への干渉をこととする「世界の憲兵」戦略を公然と採用し、これを、世界唯一の超大国・アメリカの当然の権利だとする立場をとっている。これらの干渉主義、覇権主義は、その国の人民が民族的主権にもとづいて自由に表明した自主的な選択を、外部からくつがえそうとするものであり、世界平和の利益と民族的自決の原則のもとで許されることではない。またアメリカ中央情報局(CIA)は、世界各地で謀略活動をおこない、日本でもCIAなどの非公然の形をとった秘密工作による日本の政治にたいする不当な干渉がおこなわれてきた。社会体制の別なく、国と民族の大小を問わず、すべての民族の自決権が尊重されなければならない。いかなる外国からのものであれ、またいかなる形態のものであれ、いっさいの干渉を排除し、民族の自主的な選択を守ることは、民族間の真の友好関係を確立するうえで不可欠である。

 (ニ)国際的な経済生活の領域でも、諸民族の主権と自主性を尊重し、平等、互恵の経済関係、新国際経済秩序の確立につとめる。

 帝国主義の新植民地主義政策に反対し、発展途上国をふくむ対等、平等、互恵の国際的な経済関係を確立して、いわゆる「南北問題」を根本的に解決することは、現代の世界における特別に重要な課題である。世界の人口の圧倒的多数を占める発展途上国は、世界の生産ではわずかを占めるにすぎず、数億にのぼるぼう大な人口が、読み書きができないなどの低い文化水準と栄養不良、飢餓に苦しみ、生存の自由をうばわれている。これは、発展途上国にたいする帝国主義の植民地主義的収奪政策の結果である。この状態を放置することは、人類の尊厳、人類全体の生存の自由にとって許されないことである。発展途上国の政治的主権はもとより、資源にたいする民族主権を尊重し、対等、平等、互恵の経済関係を確立することは、現代の世界における民族間の関係の自由で豊かな発展にとってきわめて重大な問題である。

 地球的規模での環境と資源の保全のために、多国籍企業などの無責任な利潤第一主義の行動を規制することも、今日の緊急の人類的な課題となっている。

 (ホ)日本が社会主義の道にふみだした段階でも、自国の民族の自由を擁護し、他民族の自由を尊重する方針をひきつづき堅持する。社会主義、共産主義の事業の世界的規模での勝利によって諸民族間の関係にも、資本主義、帝国主義の時代には考えられなかった接近と融和の新しい可能性が生み出されるが、戦争も侵略もなくなる諸民族の接近と融和、協調の新しい展望は、民族の自由の徹底的な擁護と実現の道をつうじてのみ、きりひらかれる。

 こうして、日本共産党は現在から将来の社会主義日本にいたるまで、国民の生存の自由を守って、ますます豊かな国民生活をめざしていくと同時に、市民的政治的自由を擁護、開花させ、民族の自由を守り、発展させるために努力する。これらの自由と民主主義の全面的な擁護、発展は、国民の未来への自主的責任にたった日本共産党の確固たる展望である。日本共産党は、この壮大な事業の実現に向かって日本国民とともに前進することを宣言する。

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