2011年4月25日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

米軍基地のある地域で 平和デモ連綿と

沖縄県那覇市・神奈川県大和市


 米軍基地がどっかりと居座る地域で、時代錯誤の米軍駐留はノーの声を上げ続けています。最大の米軍基地県の県都・那覇市と、首都圏で空母艦載機が駐留する厚木基地そば・神奈川県大和市からのリポートです。20〜30年、定期的に行動しつづけ、“継続は力なり”…。


「核兵器来るな」 27年で1418回

沖縄県那覇市

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 那覇市で「核トマホークくるな」のスローガンを掲げて、毎週金曜日に行われている昼休みデモは、今年2月16日で満27年になりました。沖縄県内の平和・民主団体などが参加する「核戦争阻止・核兵器緊急廃絶めざす核トマホークくるな昼休みデモ」実行委員会が取り組んでいるもので、4月22日の行動で1418回になります。

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 「トマホーク」とは、本来アメリカ原住民が戦闘で使用した斧(おの)の英語名で、現在の米軍の用語では長距離巡航ミサイルを意味します。これは、核弾頭搭載可能な戦略兵器として、1970年代前半に開発され、1980年代に入って、米軍艦船への実戦配備が開始されました。

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(写真)青空の下で行われた1418回目の昼休みデモ=22日、那覇市

 沖縄県にある米海軍基地ホワイトビーチには第7艦隊の艦船が寄港しており、入港する艦船への核トマホークの搭載のおそれがあり、これを阻止するために1984年2月17日に1回目の「核トマホークくるな昼休みデモ」が始まりました。「安保廃棄・くらしと民主主義を守る沖縄県統一行動連絡会議」(当時、前田政明事務局長=現日本共産党県議)の提唱で開始しました。

 沖縄県庁を1周する約1キロの短いコースですが、毎週欠かさずに27年間も継続できたのはすごいことだと思っています。大雨の日もあれば、台風の暴風雨に吹き飛ばされそうになりながらの行進もありました。

 「核兵器は緊急に廃棄せよ」「ヒロシマ、ナガサキをくり返すな」のシュプレヒコールが途絶えたことはありません。辺野古の新基地建設反対や危険な普天間基地の即時閉鎖を求める声、世界の宝自然環境を守るため基地建設は許さないなど、アピールしてきました。

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 この3月の東日本大震災の後からは、「『思いやり予算』を震災復興にまわせ」「グアム移転費を被災者救援にまわせ」の新たなシュプレヒコールが追加されました。

 ベゴニア、パンジーなど色とりどりの花々の咲く、県庁の花壇の横を足取り軽く整然と進むデモ隊に、道行く人たちの手が振られます。昼休みデモは那覇には欠かせない風物詩の一つとなっているようです。読者の皆さんも機会がありましたら、お気軽にどうぞ。

 (「昼休みデモ」実行委員会副実行委員長・弁護士 阿波根昌秀)


母港化ノー 毎月歩いて30年

神奈川県大和市

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 1981年1月18日、神奈川県大和市のやまと公園(小田急江ノ島線・相模鉄道線大和駅近く)に50人を超える人々が集まって、大和駅まで行進を行いました。

 これが昨年12月19日、満30年を迎えた「第三日曜平和行動」の第一歩でした。

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 81年12月、大和市と綾瀬市にまたがる厚木基地の海上自衛隊にP3C対潜哨戒機が配備されることになっていました。

 日本を再び戦争をする国にしないために、神奈川県平和委員会と「平和とくらしを守る大和市民連絡会議」は、昼も夜も続く耐え難い米軍機の爆音被害の根源である米空母の母港撤回と、P3Cの厚木基地配備反対をスローガンに行動を開始しました。

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(写真)364回目のデモ行進を行う参加者=17日、神奈川県大和市

 行動当初は駅頭での宣伝・署名行動に対し警察や駅員などによる干渉が代わる代わる行われました。台風による暴風雨に遭遇し、デモ行進を急きょ、自動車パレードに変更したこともありました。選挙中に警察が行動を延期するよう言ってきたことがありましたが、「第三日曜行動」であるとして「第三日曜日」の実施を固守してきました。

 行動が100回を迎えたことを契機に、年1回の「大和平和まつり」を開催することにしました。現在は5000人もの市民が、年中行事として、また通りすがりに参加しています。

 いまでは、行動に対する干渉もなくなっています。

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 1983年ごろ起きたのが自民党県議などによる三宅島への爆音押し付け計画でした。背景には国の方針があり、同年12月、国は三宅島を夜間連続離着陸(艦)訓練(NLP)の代替訓練施設の重点候補地に決定しました。

 街頭取材をしたテレビ局の取材班は「市民は三宅島へのNLP基地建設を望んではいない」と、感動の第一報を報じました。

 爆音押し付け計画は「市民の恥さらし」として一蹴(いっしゅう)されました。「市民を信じてよかった」。30年間を通して最大の喜びです。

 硫黄島へのNLP基地移転もわたしたちの主張どおり、爆音解消には無益でした。爆音に対する大和市民の怒りは市長に米軍との友好関係中断を決意させました。わたしたちが訴え続けた「米空母母港撤回」が、今では「米空母の母港返上」の大和の市是になっています。

 市民こそ主人公を旗印に空母母港撤回にむけ運動を続けます。

 (大和市平和委員会事務局次長・蒲谷俊郎)





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