2010年10月25日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

津波対策

住民ぐるみで


 日本は地震国。津波は1万キロの海の彼方からもきます。各地に津波のつめ跡とともに、“逃げるが一番”の言い伝えが残っています。過去に大被害のあった和歌山県串本(くしもと)町と岩手県宮古(みやこ)市の住民ぐるみの津波対策の取り組みを紹介します。


地図

自治会中心に避難路を整備

和歌山・串本町

 本州最南端にある和歌山県串本町は、2005年4月旧串本町と古座町が新設合併し、発足した町です。役場のある町の中心街はかつて島だった潮岬(しおのみさき)と陸地が砂の堆積(たいせき)によってつながってできた陸繋(りくけい)砂州と呼ばれる地形です。昭和の時代に遠浅の海を埋め立て土地の造成が行われましたが、いずれも海抜の低い地域です。

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 南海トラフ沿いに発生する巨大地震は、約100年に1度の間隔で当地方を襲っていますが、津波は地震よりも甚大な被害をもたらしてきました。

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(写真)串本町が整備した大水崎避難路。住民がつくった避難路とつながっています

 串本町は県内では地震発生から最も早く津波が来襲する町の一つで、南海地震が発生すれば5〜10分で津波が来襲すると予想されています。

 1946年(昭和21年)12月、袋地区を襲った南海地震の津波で集落の建物は全部流失し、家の土台のみが残りました。今も国道沿いの擁壁には海抜5・5メートルの所に津波到達地点の表示があります。南海・東南海地震の体験は多くの町民の間で語り継がれてきました。

 合併前の旧古座町は共産党が与党の自治体でした。町長と「合併前に財産区の解消をめざそう」と話し合って、財産区の基金から地域の自治会に避難路整備の補助金をだし、予算の範囲内で計画作成から業者発注まで自治会にすべて任せる取り組みを行いました。階段をつけたり広場を整備したり誘導看板を作るなど工夫を凝らした取り組みが行われました。この取り組みが自主防災組織立ち上げのきっかけとなり、私も当時自治会長をしていた区で規約を作成し防災訓練を実施するなど自主防災組織を立ち上げました。

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 一方、旧串本町では地域ごとの取り組みにばらつきがありました。埋め立てで造成された大水崎地域は、ほとんどが海抜3メートル以下の土地で、町内でも津波被害が最も心配される地域です。高台に速やかに避難できる避難路が無いことに危機感を持った住民が、自ら材料を集め手作業での避難路づくりに着手し、その住民の取り組みに呼応した町は、残りの区間の整備を決断、住民と行政が整備したそれぞれの区間がひと続きの避難路となりました。

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(写真)津波到達点の表示を指し示す仲江町議

 合併後、避難路整備の遅れていた地域でも毎年予算を組んで整備が進められています。高台まで距離のある四つの地域では防災タワーが建設されました。また、現在高台への防災広場の整備や新病院の建設が進められており、今後消防本部の移転など、来るべき時に対する備えは着々と進められています。(串本町議・仲江孝丸)



被害忘れない 毎年続く訓練

岩手・宮古市

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(写真)町内会が中心となって毎年行われる鍬ケ崎地域の避難訓練(宮古市)

 リアス式海岸で有名な三陸沿岸は、過去の被害歴史から津波常襲地ともいわれています。岩手県宮古市陸中海岸国立公園の浄土ケ浜には津波被害を忘れないように碑が建立されています。碑は今の時期、宮沢賢治が海のビロードと詠(うた)った浜に敷き詰められた天然昆布の日干し風景を見下ろしています。

 今年2月28日は気象庁が発表したチリ地震による高さ10メートルを超える大津波予報で一瞬緊張に包まれました。幸い、予想された高さの津波はありませんでしたが、養殖施設など漁業を中心に1億9000万円の被害を受けました。

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(写真)がけには津波の高さを白く表示しています。上が「明治三陸津波」15メートル、下が「昭和三陸津波」10メートル

 宮古市は1896年(明治29年)と1933年(昭和8年)の三陸津波、1960年(昭和35年)のチリ地震津波に見舞われ、累計すると死者・不明4683人、流失家屋1572戸の被害を被っています。なかでも田老地区の被害が最も大きく、死者の6割を占めます。同地区では当時の波高を記し、津波の恐ろしさを後世に伝えています。1933年の被災日3月3日の被害を忘れないよう、毎年その日に避難訓練が実施され、宮古市に引き継がれています。

 住民の創意では「昭和の大津波」を体験した田端ヨシさんが「つなみ」と題する紙芝居をつくり、子どもたちに語り伝えています。

 宮古工業高校(兼平栄校長、生徒297人)の生徒は津波模型をつくり、地域の防災意識の向上に貢献しています。模型は地形や街並みを忠実に再現、津波に見立てた水を流しいれることで、その被害が目で確認されるのが特色です。模型は宮古湾全体のほか鍬ケ崎地域など計6基が作製され、兵庫県などが主催する2009年度「ぼうさい甲子園」では高校の部で最高賞に当たる「ぼうさい大賞」を受賞しています。

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 田老地区や宮古地区の鍬ケ崎を除く沿岸地域には防潮堤が整備。鍬ケ崎にも整備方針が示され、来年度から事業着手予定です。同時に津波のときは「一刻も早く高台に」避難することが最善です。鍬ケ崎地域では町内会を中心に避難訓練が毎年行われています。訓練は、ひとり暮らしで歩行困難なお年寄りをリヤカーで高台に運ぶのが特色です。

 一刻も早い避難のためには、避難場所の確保や避難路の標識設置が必要です。津波の到達を予想・観測する検潮器やGPSを利用した波高観測器も海岸や沖合に設置されています。市は08年度に防災マップを作製、全戸に配布し、防災意識の高揚を図っています。(宮古市議・田中尚)


 南海トラフ 海の岩板(プレート)が陸の岩板の下に沈み込む場所にできた海底の溝。東海沖と四国沖を日本列島にほぼ平行し、東海地震、東南海地震、南海地震が繰り返し発生しています。





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