2010年5月15日(土)「しんぶん赤旗」

主張

沖縄復帰38年

基地撤去の悲願実現の好機に


 戦後不当にアメリカに奪われていた沖縄の施政権が返還され、沖縄が日本に復帰した1972年5月15日から38年になります。

 沖縄県民は自らのたたかいで復帰の願いを実現しました。しかし復帰後も、面積で全国のわずか0・6%の県内に74%もの米軍基地が集中することで生活を破壊され、安全を脅かされてきました。いま沖縄県民は、米海兵隊普天間基地の撤去と県内「移設」反対を掲げ、復帰後最大規模のたたかいを繰り広げています。復帰38年を機会に米軍基地撤去を前進させ、「基地のない沖縄」を切り開いていくことが重要です。

「島ぐるみ」のたたかいで

 太平洋戦争末期、地上戦の戦場となった沖縄は、アメリカの占領下で国際法にも違反して県民の土地が奪われ、広大な米軍基地が築かれてきました。51年9月に日本が講和のために結んだサンフランシスコ条約は、沖縄・奄美を本土と切り離して米軍の統治下に置きました。この条約のもとで不可能といわれた沖縄の施政権を返還させ、祖国復帰を可能にしたのは、本土と連帯した沖縄県民の粘り強いたたかいです。

 アメリカの軍政下「銃剣とブルドーザー」でといわれた基地拡張のための野蛮な土地とりあげに沖縄県民は命がけで立ち向かいました。「島ぐるみ」と呼ばれたそのたたかいは旧安保条約を見直させた背景の一つといわれるほどです。

 沖縄県民のたたかいは、広範な県民が参加した60年4月の「沖縄県祖国復帰協議会」の結成を機に、大きく燃え広がります。本土とも連帯したたたかいは、激化するベトナム侵略戦争反対とも重なり、米国の沖縄支配を揺るがすことになりました。当時、米政府が沖縄県民のたたかいをいかに恐れたかは外交記録などでも明らかです。

 ライシャワー駐日米大使(当時)は早くから沖縄の問題が日米関係全体を傷つけることになると警鐘を鳴らしていますが、65年には「沖縄の施政権を返還する検討が必要」だと国務省に報告しています。ベトナムへの進撃基地を確保するため米軍部は返還に反対しますが、ベトナム戦争への批判の高まりの中で、米政府もついに返還の要求に応じなければならなくなり、問題を担当したスナイダー米国務省日本課長は68年、沖縄返還問題がついに「引き返し不可能な地点にいたった」と報告しました。

 沖縄返還を実現しなければ、日米関係が維持できないと思わせるところまで、県民のたたかいが米政府を追いこんだのは明らかです。県民が反対するところに基地は維持できないことを、アメリカも思い知ることが重要です。

問われる鳩山政権の態度

 沖縄県民のたたかいは復帰後も続きます。とりわけ、95年の米海兵隊員による少女暴行事件を機に、基地撤去を求める県民の「マグマ」は一気に噴き出して「普天間」撤去を約束させ、日米政府が「移設」先として持ち出してきた名護市辺野古にも、杭(くい)1本打たせてきませんでした。

 沖縄の復帰後、米軍に基地を提供してきたのは日本政府です。自民党政府は、軍用地のための土地収用法などを発動して基地提供を続けました。鳩山由紀夫政権がみずからの公約さえ投げ捨てて基地を押し付けるのは、政権を交代させた県民への重大な裏切りです。





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