2008年7月3日(木)「しんぶん赤旗」

東京・狛江 4期目 矢野市長に聞く

「市民主役」広がった

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 東京都狛江市の日本共産党員首長、矢野裕(ゆたか)市長は六月二十二日投票の市長選で激戦を制し、四選を果たしました。選挙戦の感想と、三期十二年をふりかえりながら四期目の抱負を聞きました。(聞き手・岡部裕三、山沢猛)


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 ―四選おめでとうございます。選挙結果をどう受け止めていますか。

 矢野市長 選挙戦では、「しんぶん赤旗」読者をはじめ全国からたくさんの激励をいただき、大変励まされました。心から感謝いたします。

 自民党の候補とは、結果として約三千七百票の大差となりました。しかし、自民党が市議会議長という本格的な候補を立て、民主党は国政の「二大政党」の流れを持ち込もうと若い候補を擁立し、それぞれ勝利をめざしていたため、厳しいたたかいになると覚悟し選挙戦に臨みました。

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 今回の市長選では、有権者から単なる支持にとどまらない“願い”が込められていたように感じます。「矢野市政がなくなったら、自分たちはどうなるのか」「私たちのために負けないで」との思いが、握手や声かけの際、痛切に伝わってきました。

 地域の小集会では、後期高齢者医療制度が大きな話題になりましたが、私が東京都市長会で保険料の負担軽減を求め、市長会ぐるみの運動の中でそれを実現したことをお話しすると、本当に喜んで下さり、矢野市政の存続を心から願ってくれるようになりました。

 国政に生活が直撃されている人たちが大勢いて、市民の立場で誠実に努力する狛江市政があることを知り、「矢野市政なら私たちを守るためにがんばってくれる」と感じ取っていただいたのではないでしょうか。狛江市が、国の悪政の防波堤になろうと十二年間がんばってきたことが、理解されたのだと思います。

自分の言葉で

 ―自民、民主の両陣営は国会議員や都議がたくさん応援に並びましたが、矢野陣営は対照的に「市民弁士」がのべ四十人も候補者の隣で訴えていました。

 矢野 これは感動的でした。子育て中のお母さん、憲法を守る運動を続けて来た社民党支持者の方、「音楽の街」づくりにかかわっている市民の皆さんが、矢野市政の必要性を、それぞれの思いを込めて自分の言葉で語って下さいました。小集会に参加した方々は、自ら支持を広げ、相手陣営の攻撃を切り返してくれるなど、市民のほとばしるエネルギーをいつも感じた選挙戦でした。

 また「狛っ子」(「豊かな狛江をつくる市民の会」青年部)の青年たちも、支持を広げるだけでなく、青年たちの要求をくみ取り、矢野市政だからその要求を実現できると、まちづくりに向けた仲間づくりにもがんばってくれました。

 「市民が主人公」という言葉が、スローガンではなく、実態として形になっていたという意味では、これまでの選挙よりさらに高いレベルに入っていったように思います。

市民と行政 協働する街

子育て支援もきめ細かく

 ―三期十二年の市政への市民の評価、信頼が大きかったですね。この十二年、市政の実績をどう実らせてきたのでしょうか。

 矢野市長 選挙で訴えた「三つの転換」―不祥事、利権がらみの前市政から清潔・公正で開かれた市政に変えたこと、開発優先から暮らし優先の予算に切り替えたこと、市民との協働で魅力あるまちづくりを進めてきたこと―これらが市民に受け止められたと実感しています。

 情報公開にかかる平均所要日数は一・二日で、その開示のスピードは多摩二十六市のトップです。十二年間汚職など利権がらみの事件を一つも起こさなかったことも、「矢野さんに市政の大掃除(前市長が賭博で失そうし収賄罪で実刑を受けた)を託したことは間違っていなかった」と、市政への信頼を感じてもらえたのではないでしょうか。

信頼しあって

 市民と行政が信頼しあい、パートナーとしてまちづくりをともに進めていくという「協働のまちづくり」は、年を重ねるごとに広がり根づいてきました。

 三期目は、国の「三位一体の改革」による地方財政削減の攻撃のもとで、財政基盤確立の取り組みを集中的にやらざるを得ませんでした。しかし、その中でもまちづくりを停滞させてはならない、そのためには市民の力を借りようと、協働の取り組みを各分野で広げました。これに市民が打てば響くように応えてくれたんですね。

 例えば、「街の安全」を守るために、ボランティアでの防犯パトロールを呼びかけたら千三百人近い方が応じてくれました。その後四年間で犯罪を35%も減らし、昨年は子どもを対象とした犯罪はゼロで、東京でもっとも安全な都市の一つとなっています。

 市民の力という点では、「音楽の街」づくり、「絵手紙発祥の地」の取り組みでも発揮されており、自分たちの活動がまちづくりの核になっていくと喜んで下さり、今まであまり政治にかかわらなかった方々を含め、今度の選挙では大勢が協力してくれました。

 今も狛江駅前ロータリーに飾っていますが、「絵手紙発祥の地」の懸垂幕や横断幕を描いてくれた、市内在住の著名な絵手紙作家の方が、全国の絵手紙仲間にそのことを発信したんです。すると近県から大勢の絵手紙ファンが、狛江まで懸垂幕などを見にきて下さり、スケッチして私や担当課に送ってくれました。今、市内商店などに絵手紙を飾って「絵手紙めぐり」のルートやマップをつくろう、市外の方が市内のお店を利用してくれれば産業振興にもつながるなど、議論が発展しています。

 この協働のまちづくりを、市長選挙で掲げたのは私だけでした。三期十二年の方向は間違っていなかった、ここにこそ狛江の発展方向があると、選挙戦の中でも確信をもつことができました。

 また前市政は市の土木費を異常に拡大した結果、膨大な借金をつくりました。私はこの借金を減らすために、予算の使い方を土木優先から福祉重視に切り替えました。同時に、市長の給与カットなど内部努力をすすめました。その結果、この九年間で全会計で五十二億円の借金を減らしながら、市民のくらしを守ることに力を注いできました。(一九九九年当時で残高三百二十四億円、二〇〇八年度で二百七十二億円)

12年で変化が

 ―市政への市民参加は、言うのは簡単ですが、実践するのはなかなか難しい。財政問題でもそうです。狛江でそれが実行できているのはどうしてでしょうか。

 矢野 まず、市長である私が、市民の力に信頼を持っているからだと思います。

 一期目の九七年、私が最初に編成した予算案が、多数の野党に否決されました。このとき「豊かな会」の皆さんが、予算案は市民の願いを反映したものであることを徹底して知らせて下さいました。それが障害者団体、商工業者、農業関係者など、党派を超えた「予算通せ」という声のうねりとなり、私も驚きましたが、市民がハンドマイクを持って街に出たり、ビラをまいたりしていました。野党は孤立し、否決されてから三週間後、まったく同じ内容の予算案を臨時議会に提出したところ、わずか一本の事業を削っただけで、全会一致で可決されました。

 この時、市政を動かすのは、議会でも市役所でもない、市民なんだということが、私の腹の中に落ちたのです。これがその後の私の市政運営の原点となっており、市民を信頼しその利益をしっかり守っている限り、市民は必ず市政を支えてくれると確信しました。

 二つめに、職員が市民参加や協働の重要性を理解して動いてくれるようになったことも、協働がすすんだ大きな要因です。

 十二年前には、市民参加などは仕事の阻害要因であるかのように言った幹部職員も少なからずいましたが、庁内議論を深めていく中で、市民参加の基本条例や情報公開条例の策定にがんばってくれ、今、庁内では参加と協働、公開は空気のように当たり前になってきたと思います。それにつれ市民とのかかわりも深まってきました。障害者自立支援法施行時には、厳しい財政のもとでも、どうしたらこれ以上の負担を担えない人たちを守ることができるのか、職員から提案をもらい、できる限りの減免や負担軽減策を実施しました。

 職員は行政のプロとしてたくさんの知恵をもっています。そして、この間、市民に感謝されながら仕事をすすめるというやりがいも感じてくれているのではないでしょうか。

 三つめに、小さなまちのよさを生かしながら、まちづくりを推進してきたことです。

 狛江は、全国で三番目に面積の小さな市です。地勢も平たんで、交通障害などもなく、市民活動が活発でお互い顔の見える関係にあります。市としても連携を呼びかけやすく、一つの取り組みを全市的に共有化しやすい条件にあります。市民意識の高さとあいまって、協働の取り組みが前進してきたのだと思っています。

一致点広げる

 ―日本共産党員市長の四選は大阪・羽曳野市の津田一朗氏(故人)についで二人目です。改めて四期目の抱負をお聞かせください。

 矢野 公約の「六つのビジョン」「四つのゼロ」(別項)の実現に全力を尽くします。市民と職員の協力があれば実現は可能です。

 市民との小集会を重ねる中で、これまで行政との接点があまりなかった認証保育所の父母との出会いがありました。公的な保育サービスを守るのは基本ですが、例えば夜九時までやっている民間の保育所に預けている方々も少なくありません。父母の要望も多様化しています。親の希望や条件に応えていくためには、公営とともに、選択肢を広げていくことも必要だと感じました。そう考えることによって認証保育所などの保育環境向上にたいする行政支援も視野に入っていくと思います。こうした声を、四期目はさらにきめ細かく受けとめながら、現在の政治・社会状況に見合った市政運営を、市民の目線ですすめたいと決意しています。

 二期目の市長選(二〇〇〇年)のとき、激しく野党陣営から反共個人攻撃がされましたが、私たちは「反共攻撃は市民を分断させるもの。政党支持の違いはあっても、住み良いまちづくりの一点で手を携えよう」と呼びかけました。この訴えが理解され、その選挙は大差で勝利しましたが、この考え方は矢野市政の基本です。違いを議論するのではなく、どうしたら一致点を広げられるのか、このことにいつも留意しています。「共産党はきらい」という人でも、たくさんの人が防犯パトロールやごみの減量・リサイクルの取り組み等に参加してくれています。この輪をこれからもたくさん広げていきたいですね。狛江はもっといいまちになっていくと思います。

 そして、全国で政治を変えようとがんばっている方々の励ましになるような市政を築いていけたらと思っています。まだまだ力不足ですが、日本共産党員の市長が市民、国民の幸せを願ってがんばっていることを、狛江市政を通じて多くの皆さんに理解していただければうれしい限りです。


 「六つのビジョン」「四つのゼロ」 「街で暮らそう」「街で育てよう」「街に出よう」「街を創(つく)ろう」などの「六つのビジョン」と、孤独死ゼロ、妊婦健診の費用負担ゼロ、保育所待機児ゼロ、駅前放置自転車ゼロの「四つのゼロ」。


 狛江市 多摩川中流に接し、「水と緑の住宅都市」(市民憲章)をめざす、日本で3番目に小さな市(面積6.39平方キロメートル)。人口は7万7143人(6月1日現在)。


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