2006年12月23日(土)「しんぶん赤旗」

知りたい聞きたい

戦前の文化人に戦争協力が広がったのはなぜ?


 〈問い〉 私は武者小路実篤の愛読者です。彼は「戦争はよくない」という題名の詩で平和への強い思いをうたっていますが、そんな人でも戦争がはじまると、それに協力したと知り残念な気がしました。なぜ文化人の戦争協力が広がったのですか。また安倍首相はふたたび自由に物も書けない日本にしようとしているのでしょうか?(大阪・一読者)

〈答え〉

 武者小路実篤の詩「戦争はよくない」は1921年の作品です。彼は、大正デモクラシーが盛んなころは反戦的な戯曲「その妹」(15年)なども書いていますが、軍国主義の進展につれて『大東亜戦争私感』(42年刊)など戦争協力の筆をとるようになり、敗戦後の46年には公職追放を受けて、貴族院議員、芸術院会員を辞任しています。このように戦争協力の筆をとった作家は、植民地台湾・朝鮮の文学者をもかり出した大東亜文学者大会で日本代表を務めた菊池寛や、「聖戦」賛美の詩や歌をうたった高村光太郎、斎藤茂吉、従軍作家として戦争を鼓舞した林芙美子、尾崎士郎をはじめ、少なくありません。

 戦前の日本には、明治期から出版条例や新聞紙条例による思想検閲の法体系があり、さらに治安警察法(1900年)や治安維持法(25年、28年には最高刑を死刑に変更)などによって表現の自由は極端に抑圧され、文化活動は手ひどい検閲・弾圧を受けました。その中でもプロレタリア文化運動は、進歩的・民主的な人々の間に広がりました。しかし、中国への侵略戦争が進むにつれて、軍機保護法(37年)、国家総動員法(38年)、言論・出版・集会・結社等臨時取締法(41年)などによって、反戦につながるあらゆる表現と行動は徹底的に弾圧を受け、小林多喜二のように虐殺されたり、宮本百合子のように、たび重なる検挙・投獄、執筆禁止を受けた文化人もいました。

 こうしたなかで、1940年には、戦争への国民動員組織「大政翼賛会」が結成され、その文化部長には岸田国士が就任。また42年になると、日本文学報国会(会長・徳富猪一郎)、大日本言論報国会(同)など、軍国主義的な国策遂行のための動員組織がさまざまに結成され、これに不参加なら発表の場が奪われるなどの条件のもとで、文化人・文学者のなかにも戦争協力が広がりました。

 その結果、アジアで2千万人、日本で3百万人以上の死者を出しました。敗戦後、これらの弾圧法規や戦争のための動員組織はすべて廃棄、解散され、二度と戦争を起こさないという反省のもとに憲法と教育基本法が定められました。安倍内閣は、60年間続いてきたこの平和国家のあり方を根本から破壊しようとしています。(淳)〔2006・12・23(土)〕


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