2006年11月28日(火)「しんぶん赤旗」
原潜労働者に“うそ発見器”
80年代
米軍、日本側に通告
横須賀基地 労組抗議で撤回
在日米海軍司令部が一九八〇年代半ばに、横須賀基地(神奈川県横須賀市)に寄港する原子力潜水艦の点検・補修作業に携わる日本人労働者に対して、「うそ発見器にかける」と通告していたことが二十七日までに、本紙の取材でわかりました。
通告があったのは一九八六年から八七年にかけての時期。在日米海軍司令部が、神奈川県横須賀渉外労務管理事務所をつうじて全駐留軍労働組合(全駐労)横須賀支部に通告してきたものです。
具体的には在日米海軍司令部の日本人労働者の労務管理を扱う「COR(基本労務契約担当官代理者)」が伝えてきました。その内容は「今後、原子力潜水艦に携わる(日本人の)従業員全員にうそ発見器をかける」というものでした。
全駐労横須賀支部は即日、「人権無視の行為であり絶対容認できない。米軍が強行するなら県議会にも持ちこみ、マスコミにも明らかにして反対運動を起こす」と強く抗議。米軍は労務管理事務所を通じて撤回してきたといいます。
労務管理事務所の当時の幹部職員の一人は本紙の取材に「退職したとはいえ守秘義務があるが、事実かどうかといえばイエスだ」と米軍からうそ発見器使用の通告があった事実を認めました。
当時、全駐労横須賀支部書記長(73)の話 この問題は組合の抗議で米軍がすぐに撤回してきたので、労務管理事務所との信義もありことさら外部に公表することはしませんでした。原子力空母の横須賀母港化に見られる日米両政府の強引なやり方を見て、いざというときに米軍がどれほど無法な態度に出てくるのか、という意味では米軍の体質は二十年たった今も変わっていません。あのとき組合が撤回を求めていなかったら、労働者は犯罪者並みにうそ発見器にかけられたのです。これが米軍の姿なのです。
解説
今日的な警告
横須賀基地への原子力空母の配備をめぐって、いま住民投票条例の制定を求める直接請求署名運動がとりくまれています。被爆国日本の首都の玄関口に、なんの根拠も示さずに一片の「安全資料」(ファクトシート)で危険な原子力空母配備をおしつけようとする日米両政府。「うそ発見器」問題は単なる二十年前の“幻”ではすまない今日的警告といえます。
労務管理事務所の当時の関係者は横須賀基地での日本人労働者の作業の正確さ、技術の高さは米軍も認めるほどで、通常はほとんど日本人労働者に任せているといいます。米軍が世界で唯一、横須賀を空母の母港にしている背景でもあります。
それがなぜ突然、人権無視の横暴な態度に出たのか―。当時の原子力潜水艦の寄港状況から一つの背景を読み取ることができます。
同基地への攻撃型原潜の初寄港は一九六六年五月。以来、日本人労働者が原潜の修理・点検作業を続けていました。
軍事関係者が注目したのが、八五年から横須賀基地に本格的な寄港をはじめたロサンゼルス級原潜の動向です。同原潜の初寄港は八〇年九月十八日。八四年までは年間二回から六回の「ならし」程度でした。しかし八五年に十三回、八六年に十二回、八七年も十三回と大幅に増えました。「うそ発見器」問題はこうした時期に起きました。
同原潜はソ連(当時)の原潜に対抗、水中速度を大幅にアップさせるなど順次改良。八八年八月から竣工(しゅんこう)した原潜は、従来の魚雷型の水平発射に比べ、短時間で大量発射ができ、超低空飛行で地上攻撃も可能な核・非核両用巡航ミサイルの垂直発射装置(VLS)を搭載した最新鋭艦です。
米軍の原子力艦船・核政策に詳しい新原昭治さんは「八〇年代半ば、世界の反核運動のかつてない高揚のもとで、海外での核兵器の取り扱いに神経過敏になっていた。なかでも原子力潜水艦や空母などの原子力艦船特有の軍事機密保護を口実に日本人労働者への人権無視の管理強要策に出たのではないか」と指摘します。(山本眞直)