2006年11月27日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

「ハンセン病村」に生きる

ワークキャンプを中国全土に

「自分は差別をしないのか」…問いかけて

支援団体立ち上げた 原田 僚太郎さん(28)


 「自分は差別しないのだろうか?」。そんな疑問からハンセン病問題にかかわることになった青年がいます。中国のハンセン病元患者らが住む村を訪ね、支援団体を立ち上げました。韓国、中国の青年たちと協力して中国にワークキャンプを広めています。(伊藤悠希)


 早稲田大学の一室でスライドを使いながら母校の学生たちに語りかける原田僚太郎さん(28)。中国のハンセン病元患者らが暮らす「ハンセン病快復村」を支援する団体「家(JIA・ジア)」の代表です。二〇〇三年、大学を卒業後、ハンセン病村に住み、支援活動をしてきました。

 原田さんが初めて中国のハンセン病村を訪れたのは〇二年二月、大学三年生の時。原田さんは「差別をなくしたい」との思いから、記者になって差別の問題に取り組みたいと考えていました。いじめられた経験があったからです。

 就職活動を通して「自分は差別をしないのだろうか」との疑問がわいてきました。中国のハンセン病村で生活基盤を整備する土木作業の活動(ワークキャンプ)を知り参加しました。

 着いた村で最初に目に映ったのは病気の後遺症で変形した顔や指でした。「怖い」。しばらく、車を降りられませんでした。「ニーハオ(こんにちは)」と言うのが精いっぱいで握手はできませんでした。

 村に寝泊まりしての作業。「同じ場所で生活していると彼らの性格がわかってきて外見は気にならなくなった」

 最終日、おじいさんが「再見(さようなら)」と紙に書いてくれ、握手をして別れました。

 大学四年、就職は決まらず、秋採用に臨もうとしていたころ、進めていた中国のハンセン病村のワークキャンプの下見が重なり中国行きを選びました。

 訪ねたのは広東省にあるリンホウ村。「スラムから犯罪を抜いたようなところ」でした。「なぜ彼らは一人で死ななければいけないのだろう」という怒りが込み上げてきました。一年間村に住むこと、支援団体をつくることを決意しました。

全土調査目標に

 大学卒業後、所属するボランティア団体のカンパを持って、単独リンホウ村へ。支援団体は日本と韓国だけでした。

 「中国の問題なのにおかしい」と感じた原田さんは中国の大学を回り、ハンセン病に対する理解を訴え、学生にワークキャンプの参加を呼びかけました。活動が実り、中国各所のハンセン病村でワークキャンプが実施されるようになりました。〇四年八月、ワークキャンプコーディネートセンター「家(JIA)」を設立、拠点を村から広州市に移しました。

 ワークキャンプが広がっているころ原田さんは日本人のハンセン病元患者、小牧義美さん(76)に出会います。小牧さんは雲南省のハンセン病村に小学校建設費用などを寄付したことがあり、「中国のハンセン病村で何かやりたい」と思っていた人です。

 小牧さんは原田さんを通じて日本の学生らとワークキャンプに参加しました。訪ねた村(約四十人)には傷を負った人が半数もいました。医者は定期的に来ることになっていますが、「自分たちで手当てができるように」と小牧さんはガーゼや薬を持参して教えました。十日間の滞在では対応しきれず一人村に残りました。

 二カ月後、帰国し社会復帰を決意。ことし一月、鹿児島県の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園を退所して原田さんの住む広東省広州市のアパートに移り、活動しています。「ケアに力を入れるのは、傷が原因で命を落とす人が多いから。手当て方法を知らず、寿命だとあきらめる村の状況がある。そんなものであきらめちゃいかん」と力強く語ります。

 中国には六百以上のハンセン病村があるといわれています。原田さんらが調査した村は約百カ所になります。現在キャンプ地は七地域、三十カ所と広がり、各地域の学生たちが自分たちで運営し活動を拡大しています。中国全土のハンセン病村を調査し、ワークキャンプを中国に根付かせるのが原田さんの当面の目標です。

母校にも広がる

 JIAの活動は原田さんの母校・早稲田大学にも影響を与えています。同大学のボランティアセンターのハンセン病問題支援プロジェクトから発足した団体「橋―QIAO」は学生が中心のNGOです。春、夏と中国のハンセン病村でワークキャンプをする企画から出会った仲間を中心に活動を広げようと、ことし四月に設立しました。現地でのキャンプを調整するのがJIAです。学園祭の時期に新人勧誘をしていた代表=大学四年=は「回を重ねるごとに村人とつながってくるのを感じる。継続してやることが大事。やればやるほど楽しくなります」と話します。

 原田さんは十月に一時帰国後、活動を知ってほしいと小牧さんと一緒に各地で講演をしました。日本でも中国でも動き回ります。

 原田さんは活動を通じて知り合った中国人女性と結婚。ことしの夏、リンホウ村で行われた結婚式には地元テレビ局も取材に来ました。参加した村人は「戦中はここも戦場だった。いまはここを舞台に日本人、中国人が結ばれた。これが本当の日中友好だろう」と話していました。


お悩みHunter

コンビニでバイト中突然「辞めてくれ」と

  コンビニでアルバイトして、三カ月が過ぎました。先日、店長から「やめてほしい」と言われました。接待があまり上手ではなく、てきぱきとできない性格なのですが、ようやく慣れてきて働き続けたいと思っています。やめなければならないでしょうか。(女性、19歳)

自分から辞める必要はない

  あなたが辞めたくないのなら「辞めません」とはっきり言いましょう。あなたから辞めなければならないということはありません。店長の「辞めてほしい」という言葉は「退職してほしい」という申し出にすぎませんからあなたがイヤなら当然、断ることができます。

 それでも、店長が「クビだ」などと言ったら、「解雇」されたことになります。使用者が雇用者を解雇する場合は、三十日分の賃金額の解雇予告手当を支払うか、解雇する三十日前に解雇予告する必要があります。「辞めろ」と言われ、自分から辞めた場合は解雇予告手当は支払われません。

 店長があなたを「仕事に向いていない」からと解雇した場合はどうでしょう。労働基準法第一八条の二は、合理的理由のない解雇を無効としています。ですから、具体的な事実や理由も示さず解雇することは許されません。使用者が適切な教育や指導をしても、能力が著しく欠けているという場合に初めて、解雇に合理的理由があるとされています。

 まず、店長に辞めたくないと伝えましょう。それでも解雇というのであれば、解雇の理由をきちんと説明するよう要求しましょう。あなたの働きたいという気持ちを伝えても解決しないのであれば、労働基準監督署などに相談してください。


弁護士 岸 松江さん

 東京弁護士会所属、東京法律事務所勤務。派遣CADオペレーター、新聞記者などを経て弁護士に。好きな言葉は「真実の力」。


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