2006年11月11日(土)「しんぶん赤旗」

いま世界がおもしろい

第39回赤旗まつり 不破さん「科学の目」講座

〈下〉


(二)ソ連の崩壊から15年――あらためてその影響を考える

世界はなぜこんなに活気づいてきたのか

 次の問題に進みましょう。それは、今日の世界が、なぜこんなに活気づいてきたか、この問題を考えたい、ということです。

 さきほど私は、世界を四つのグループに分けたのは、二〇世紀に起こった大きな変化、なかでも、社会主義をめざす国の登場によって世界が二つの体制に分かれたことと、植民地体制の崩壊との二つの出来事によって、世界の構造が変化したからだ、という説明をおこないました。

 この変化は、どちらもずいぶん前に起きたことです。植民地体制の崩壊にしても、七〇年代にはほぼ終わりましたから。しかし、七〇年代、八〇年代の世界は、まだいまのようにおもしろくはなかったのです。

 では、構造が変化した世界が、こんなに活気に満ちてきたのは、なにが契機だったのか。この問題をつきつめて考えて、一つの大きな事件にぶつかりました。

崩壊のときには悲観論が多かったが……

 ちょうど十五年前、ソ連が崩壊しました。一九九一年八月二十五日、ソ連共産党が解散しました。続いて十二月二十一日、ソ連邦が解体しました。十五年前のちょうどいまごろは、共産党の解体から国家体制の崩壊へと、ソ連の崩壊過程がまさに進んでいる最中でした。

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(写真)「科学の目」講座で語る不破哲三氏=3日、東京・夢の島公園の東京スポーツ文化館

 そのとき、私たち日本共産党は、“ソ連というのは、世界の平和と社会進歩の障害物となってきた歴史的な巨悪・覇権主義だった。その巨悪が崩壊したことを、世界の平和と進歩の立場から歓迎する”という趣旨の声明を出しました。こういう見方をした勢力は、日本にも世界にも、あまりいなかったと思います。

 アメリカは歓迎の態度をとりましたが、理由はまったく違っていました。対抗していた相手がなくなって、超大国は自分一人になった、これからはアメリカが世界を思うように動かせるだろう、こういう、覇権主義の思惑をふくらませた「歓迎」でした。

 世界の平和を望み進歩を願う多くの人たちのあいだでは、ソ連にいろいろ批判を持っていても、「米ソ対決」のこの時代に、ソ連がなくなってアメリカが強くなったら世界はもっと危険になる、この見方から世界の前途を暗くみる考えが、圧倒的に強くありました。

 私たちは、ソ連共産党の覇権主義とは、六〇年代以来、それこそ二十年、三十年という長いたたかいをやってきていましたから、「覇権主義の巨悪」の崩壊を、本当に実感をこめて「歓迎」しました。「社会主義」の看板をかかげて社会進歩を妨害するこの巨大な障害物がなくなることは、世界の今後にとって本当によいことだと、心から思って、その声明を出したものでした。

 しかし、ソ連崩壊が、実際に世界にもたらしたものは、「歓迎」声明をだした私たちの予想をはるかに超えるものがありました。それはまさに、世界を活気づけ、平和と進歩の流れを前向きに進める、文字通り大きな転機になったということを、いま私はつくづく実感しています。

ソ連の解体で世界が変わってきた

 前に、世界の国ぐにをグループ分けして見たでしょう。

 ふりかえってみてください。西ヨーロッパの国ぐにが、アメリカへの気兼ねなしに、あれだけ自由にものが言えるようになったのは、「米ソ対決」の枠組みから世界が解き放たれたからです。アメリカが西側陣営を代表してソ連と対抗しているときには、アメリカと別の態度をとったら、国連でも国際政治の別の舞台でも、ソ連を有利にしてしまう、そう思うので、アメリカのしがらみに縛られていた。それがなくなって、フランスもドイツも、自由にものを言いだしたのです。

 社会主義をめざす国はどうか。当の中国自身がどう考えているかは知りませんが、私の見るところでは、もしソ連が存在して、「自分の道こそが社会主義だ」と大いに主張している条件のもとだったら、中国が、それに対抗しながら、市場経済への転換などを大胆に進めることは、ずっとやりにくかったのではないでしょうか。社会主義の“本家争い”をやりながらの転換ということになるわけですから。

 それ以上に大きな問題は、対外活動の面で起きただろうと思います。

 ソ連が、チェコスロバキアを侵略し、アフガニスタンを侵略した、この行為は、「社会主義」の看板をかかげての行動でしたから、ソ連への非難にとどまらず、社会主義の事業そのものへの道義的な信頼を全世界で大きく傷つけ、この事業への失望と敵意を広げました。

 とくにアフガニスタン侵略がイスラム諸国のあいだにおよぼした影響は、実に大きいものがありました。このことは、イスラム諸国とのその後の交流のなかで、たいへん強く感じてきたことです。私たちが気持ちよく受け入れられてきた一つの背景には、イスラムの人たちが、日本共産党があの侵略にもっとも徹底して反対したことを、よく知っていたという事情もあったのです。

 ですから、ソ連があったときには、まったく別の国であっても、同じ“社会主義の国”だからということで、中国の国際活動にたいしても、覇権主義の影を感じて、多くの国が警戒したものです。そのソ連がなくなって、中国外交のあり方を、実際の行動で世界があるがままに見るようになった。私は、いま中国が、世界のすべての大陸で、自由闊達(かったつ)な経済活動や外交活動を展開している背景には、ソ連覇権主義が消えたという世界情勢の変化が大きく働いている、と思います。

非同盟の国ぐにが生き生きと動ける世界

 それからアジア・アフリカ・ラテンアメリカです。この地域の国ぐにも、やはり「米ソ対決」の時代には、活動のむずかしい状況におかれました。それは、非同盟諸国の動きによく現れていました。

 ソ連中心の軍事同盟にも、アメリカ中心の軍事同盟にも反対といっても、実際に起きるのはソ連がらみ、あるいはアメリカがらみの出来事ということですから、非同盟・中立の立場の国が世界政治の上で自由な活動のできる条件はせまいものでした。

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 私は、一九八四年にキューバを訪問して、カストロ議長と会談したことがあります。ソ連のアフガニスタン侵略から四年ほどたった時でした。私は、会談のなかで、民族自決権の問題でキューバの考えをいろいろな角度からきいたのですが、その一つが、ソ連のアフガニスタン侵略にたいする態度の問題でした。「あなたがたは、アフガニスタンにたいするソ連の軍事侵略をどういう立場から支持しているのか」。私のこの率直な質問を受けて、カストロ議長は本当につらそうな顔をして答えました。「ソ連に要求されたからではない。これは、社会主義国として、私たちがになうべき“十字架”なのです」。自分たちは社会主義をめざしている国だ、そうである以上、いやしくも社会主義の看板をかかげているソ連がああいうことをやっても、それを非難するわけにはゆかない――口にはだしませんでしたが、つらそうなその表情は、その気持ちをうかがわせるものだったことを覚えています。

 その後、キューバの党の国際部長が日本に来たとき、“キューバは本当につらかったのだ”という話をあらためて聞きました。ソ連の侵略が始まったとき、キューバは非同盟諸国会議の議長国だったのです。アフガニスタンは、この会議の参加国でした。その国がソ連に侵略された、しかし、キューバは“社会主義の十字架”に縛られてなんとも動きがとれない。カストロ議長の表情には、その苦衷も含まれていたのかもしれません。

 実際に、そういう状況があって、国連でものを言おうと思っても、ある話にはアメリカの利害がからみ、別の話にはソ連がからむ、「米ソ対決」のはざまにはさまれた時代には、せっかく集まった非同盟諸国の力を大きく発揮できる条件がなかったのです。はっきり言って、「米ソ対決」の枠組みに世界政治が縛り上げられていたというのが、当時の実情だったと思います。

 現在では、その枠組みがなくなりました。この九月に、非同盟諸国首脳会議がキューバの首都ハバナで開かれましたが、参加した人たちに聞きますと、本当にたいへん元気な会議だったとのことです。

 この運動は、ソ連解体の直後には、一時期、一方の軍事同盟がなくなったら運動の存在意義がなくなるのでは、といった議論もあったと聞きますが、今度の会議は、そんな迷いははるかな過去に吹き飛ばして、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの活力を反映した、“これこそ非同盟運動だ”と実感させる実にすばらしい会議だったということです。アジア・アフリカ・ラテンアメリカの各国が生き生きと動くだけではない、非同盟の集まりとしても、思い切って力を発揮できる時代が来たことが、会議の進行を通じて、共通の意気込みになった。これは、三十五億の人びとが力を出せる時代が来つつある、ということです。非同盟のこの会議については、今度出る『前衛』十二月号に、参加した三人の方の座談会(「新たな段階へ踏み出した非同盟運動――第14回非同盟諸国首脳会議に参加して」)が掲載されています。私も、読んでたいへん面白かったのですが、こういうところにも、世界情勢の大きな変化が出てくるのです。

国連の役割も変わってきた

 さらに世界を広く見てみると、国連も変わってきました。

 二〇世紀の大戦争というと、ベトナム戦争があり、アフガニスタン戦争がありました。国連は戦争を防止する国際機構としてつくられたものですから、こういう戦争のときには、大いに動いて当然なのですが、ベトナムのときにも、アフガニスタンのときにも、まったく動けませんでした。ベトナム戦争は、アメリカが始めた戦争ですから、安全保障理事会は議題として取り上げることもしない。アフガニスタン戦争は、ソ連が始めた戦争ですから、やはり取り上げられない。こういう状況ですから、世界中に反対の声が広がった明々白々な侵略戦争にたいして、肝心の国連は、「米ソ対決」に縛られてなんの行動もとれなかったのです。

 しかし、二つの覇権主義が対決しあう状況がソ連の崩壊で変わり、覇権主義が一つになったら、世界の監視の目が、誰に遠慮することもなく、この一つの覇権主義に向けられることになりました。

 だから、アメリカがイラク戦争を始めるときには、この戦争にお墨付きを与えるかどうかで、国連で大議論が交わされました。安全保障理事会の常任理事国だというアメリカの地位に変わりはないのですが、ベトナム戦争のときとは、状況がまったく違ったのです。

 だいたい、戦争が始まる前に、その戦争が正当なものかどうかを国際会議の舞台で議論したというのは、世界の歴史でこれが初めてではないでしょうか。その議論のあげく、とうとうアメリカはお墨付きを手に入れることができませんでした。いわゆる中間派の六つの理事国を説得したけれども、それも効かなかった。こうして、アメリカは、国連のお墨付きもないまま、つまり大義名分なしに、イラク戦争を始めざるをえなかったのです。

 国連の役割の大きな変化が、ここに示されました。

 イラク戦争は、戦争のやり方でも、アメリカ軍の無法な行為でいっぱいの戦争で、多くの一般市民が犠牲になっていますが、別の面からみると、戦争中の無法行為にたいして、国際的な監視の目がこれだけ集中した戦争もないと思います。

 ベトナム戦争のとき、“枯れ葉作戦”、村を住民ぐるみ消滅させた“みな殺し作戦”など、無数の野蛮な戦争行動がやられましたが、その最中には、いまほど国際的な監視の目はとどきませんでした。ジャーナリストが身を挺(てい)した取材で個々的に見つけてきた事例はありましたが、多くは戦争が終わってから明らかになったものでした。

 やはり二つの覇権主義が争いあう「米ソ対決」の時代にくらべて、覇権主義が一つになり、世界中がこの覇権主義の行動がよいか悪いかを見ているただなかで戦争がおこなわれる時代というのは、こういう面でも変わってくるのです。

 平和の世界秩序の問題でも、大きな変化が進んでいます。

 第二次世界大戦後、国連がつくられたときには、世界ではじめて、平和をまもる力をもった国際組織が誕生したということで、これを本物にしようという世界的な世論が、澎湃(ほうはい)と起こりました。しかし、この期待は「米ソ対決」でしぼみました。

 しかし、いまは、大戦直後とは違った新しい基盤で、国連憲章が定めた平和秩序をいかにしてまもるか、一国の勝手な行動を許さない世界をいかにしてつくりあげるかが、世界の大問題となり、多くの国際会議で、この問題が活発に議論されています。

 私は、まず最初にグループごとに、ソ連崩壊後の変化の流れを見ましたが、世界の変化の流れは、国連や世界秩序をめぐる国際政治の流れの変化にも、はっきり現れていると思います。まさに、世界は、外交がいよいよ重要な意義をもつ時代を迎えているわけで、私たちは、このことをよく見て、行動してゆく必要があります。

アメリカの世界戦略の矛盾

 世界情勢の変化は、アメリカにも大きな影響を及ぼしています。

 「米ソ対決」時代にも、アメリカは覇権主義の大国として、侵略や干渉のひどいことを世界各地でやってきましたが、その時には、“ソ連の侵略主義に対抗するため”ということを、いつもなによりの大義名分にしてきました。

 この面では、ソ連の崩壊でいちばん困ったのが、アメリカの軍部でした。唯一の超大国として世界を動かすには、これからも強大な軍備が必要だが、ソ連がなくなった情勢のもとで、いったい何を大義名分にして強大な軍備を維持していったらいいのか。ここから、名分探しの有名な迷走が始まりました。ソ連に代わる相手として「麻薬」や「テロ」をあげる意見もありましたが、これでは、強大な核戦力を持つことの理由づけにはなりません。いろいろやったあげく、何年もかかってたどりついたのが、いわゆる「ならず者国家」路線でした。世界のあちこちに、何をやるかわからない無法国家がある。それに備えるために、アメリカはこれだけの軍備を維持し、何かことが起こったらその武力で対応する、こういう戦略に落ちついたのが、九〇年代の後半でした。

 それを現実に発動したのが、二〇〇一年のアフガニスタン「対テロ」戦争と二〇〇三年のイラク戦争だったのです。もちろん、アメリカは、強大な戦力を持っていますし、武器は、ソ連に対抗していた時代よりもさらに高度な最新鋭のものとなっていました。しかし、実際の戦争は、どちらもうまくゆかないのです。戦争で首都に攻め込み、政権を倒すまでは、比較的簡単でした。軍事力には大きな開きがありますから。ところが、肝心の戦争目的は、いつまでたっても達成されないのです。

 アフガニスタンでは、その政権を攻撃したのは、それがテロの仲間だという理由からで、テロをなくすために政権を倒したはずでした。しかし、政権をつぶして何年たっても、テロはなくならず、世界に広がるばかりです。

 イラクでも、大量破壊兵器をとりのぞくことが、戦争目的だといって、政権をつぶしましたが、結局、大量破壊兵器などもともと存在しなかったことが明らかになりました。それで、戦争目的を、イラクの「民主的再建」に切り替えましたが、戦争を始めて三年以上たっても、戦争は終結せず、テロもイラクから世界各地に拡散しています。

 アメリカ自身、「米ソ対決」時代とは違って、いくら大きな軍事力を持っていても、新しい世界では、それだけではダメだということを、悟らざるをえなくなっています。だから、軍事と同時に、外交を重視しはじめたのです。

 たとえば、中国との関係です。アメリカの軍部が世界戦略をたてる時、アメリカの超大国としての地位を脅かすようになる国は誰かを問題にすると、第一の相手として、必ず中国があげられます。つまり、中国は「潜在的敵国」の第一号なのです。

 しかし、外交戦略でいうと、そんなことをやっていたら、いまの世界のどんな問題にも対応できません。だから、外交戦略の上では、中国は、アメリカの「戦略的パートナー」。パートナーというのは仲間です。「敵」だったり「仲間」だったり、中国も忙しいのです。このごろは、少し言い方を変えて、「国際システムの利害共有国」、「戦略的利害の共有国」など、いろいろ言っていますが、やはり中国と手を組んで外交をやることが大事だということになってきます。

 だから、今度の北朝鮮の六カ国協議復帰問題などのように、外交の分野では、ブッシュ大統領が、中国に「感謝」の言葉を述べたりするようなことも起きるのです。

外交が重要な役割をする時代を迎えている

 いま、超大国のアメリカでさえ、世界で抜群の軍事力を持っていても、外交なしにはやっていけない時代だということを、思い知らされている、と言ってよいでしょう。

 いまの世界を見るとき、軍事だけで、あるいは主に軍事の角度から世界の諸問題を考えるという国は、ほとんどないのです。

 外交が本当に重要な役割をする世界だということを、多くの国の多くの人びとが感じています。また、世界の平和秩序をつくろうという国際世論が大きく発展し、国連が国際政治のなかでますます大きな要(かなめ)になっている時代です。

 日本の憲法の問題も、いま、そういう状況のなかで世界から見られているということを、私たちはよく見る必要があります。

 戦争のない平和の世界秩序をきずこうという声と努力が、世界中に広がっている。これは、さきほども述べたように、大戦直後の時期を思わせるものがあります。その時期に、日本は、戦争のない世界を展望した憲法、九条をもつ憲法をつくったのです。この憲法は、いまの世界から見ると、特別の値打ちがあるのです。だから、アメリカで、「平和のための退役軍人会」、日本でいえば在郷軍人会でしょうか、戦場から帰ってきた軍人たちがつくっている会が、憲法九条はすごい、ここに世界の模範がある、という決議(二〇〇四年の大会)をおこなったりするのです。

(三)いま世界は、日本にどんな外交路線を求めているか

 次の主題に移ります。それは、いま見てきた世界が、いったい日本にどんな外交路線を求めているか、という問題です。考えることはいろいろありますが、今日は、三つの点にまとめてみました。

第一・世界平和をめざす自主的な外交戦略

 第一に、世界平和をめざす自主的な外交路線です。

 現在は、世界中が自主独立なのです。そういう時に、なんでもアメリカいいなりという国は、信用されません。信用どころか、軽蔑(けいべつ)されるのです。(笑い)

 かなり前のことですが、ヨーロッパのある雑誌が、ソ連崩壊後の世界を論じて、“いまはアメリカに義理立てする理由はなにもなくなっているのに、なんで日本は、アメリカいいなりの態度を続けているのか”と疑問を出したことがありました。ヨーロッパから日本を見ると、本当にそう感じるのでしょう。日本は、それほどに、アメリカいいなりの度合いが世界でも異常に激しい国となっています。

 軍事でもそうでしょう。今度の米軍再編で、いちだんとはっきりしてきましたが、日本に配置されている米軍は、全部、海外への“なぐり込み部隊”です。横須賀を拠点とした「空母打撃群」、沖縄の「海兵遠征軍」、沖縄と佐世保を基地にした「遠征打撃群」、青森県三沢基地の「航空宇宙遠征軍」、これは爆撃機の部隊です。名前を見てもわかるように、いざというとき、日本から出撃して海外で攻撃作戦を展開する第一線部隊ばかりです。世界でこんな部隊を受け入れて基地を提供している国は、ほかにはどこにもないのに、日本には、これらの部隊のすべてが配置されているのです。これだけでも、本当に異常な事態です。

 ですから、日本が世界で「日本ここにあり」という外交を本当にやろうと思ったら、アメリカいいなりの政治・経済・軍事・外交という現状から抜け出す、少なくとも抜け出す努力を本気でやらなければ、世界の信頼は得られません。このことを、第一に強調したいと思います。

第二・侵略主義、覇権主義を許さない外交方針の確立

 第二に、相手がどんな大国であっても、侵略主義、覇権主義は絶対に許さない、大国の横暴は許さないという外交方針を確立することです。

 どんな超大国でも、国際秩序とそのルールを守る義務があります。またどんな国でも、国連に加盟している以上、他国のルール破りは認めないという責任があります。日本が、この基本的立場を、外交の根底にすえることが重要です。

 アメリカが開始したイラク戦争は、このルールを破ったものでした。その戦争を小泉首相(当時)が支持したことは、日本外交に重大な傷を残しました。

 イギリスは、アメリカに同調して、間違った戦争を支持して傷を負ったという自覚を持っているようです。だから、政界で、この問題がいまでも大きく議論されています。しかし、日本の自民党政治には、傷を負った自覚がない。これが危険なのです。

 日本の過去の戦争についての歴史認識の問題も、いかなる国の覇権主義、侵略主義も許さないといういまの外交原則と、不可分のかかわりをもった問題です。

 日本が、中国・アジアにたいしておこなった侵略戦争は、いちばん野蛮で、いちばん無法な覇権主義、侵略主義の戦争でした。私は、中国への全面戦争が始まったときも、太平洋戦争が始まった時も、小学生でした。「日本のいうことをきかない中国を懲らしめる戦争だ」から始まって、最後には、「八紘一宇(はっこういちう)」――日本は世界中を従えさせる使命をもつ国なのだから、どこへでも進出する権利がある、理由づけがこういうところにまで広がっていった戦争だったことを、子ども心にもよく知っています。

 私は、この間、「しんぶん赤旗」に「日本の戦争」という連載をしました。日本の戦争の侵略性を証明するのには、別に特別の工夫はいらないのです。当時の政府・軍部は、外国の領土を奪ったり、日本の支配地域を拡大することを「悪い」と思っていないから、政府や軍部の会議の公式の決定のなかに、「ここは日本の領土にする」とか「ここは日本が支配する地域に組みいれよう」とか、侵略目的の戦争だということを平気で書いているのです。私は、あの連載のなかで、政府・軍部の公式の史料だけで、中国とアジア侵略の歴史の全体を明らかにしました。

 日本の政治家が、この戦争を侵略戦争だといえないとしたら、いまの世界でどんなに無法な侵略戦争が起こっても、これを批判することはできないはずです。ですから、“靖国問題”、つまり、日本の過去の侵略戦争にたいして、事実を事実としてきちんと認める立場に立てるかどうかは、今日の世界で道理ある立場をもって生きてゆけるかどうかの、いわば分岐点ともなるのです。

 安倍首相が、先日、中国を訪問しました。首脳会談での「合意」によって、日中外交が始まりました。私たちは、この「合意」を歓迎しましたが、これは、歴史問題などの解決への出発点です。問題はまだ解決されきってはいないのです。だから、日中両国の首脳が発表した「共同プレス・コミュニケ」には、「歴史を直視」すること、双方の有識者による「歴史共同研究」を開始すること、が書きこまれました。これをきちんとやらなければなりません。

 「共同研究」というのは、日本側は日本の戦争を正当化する史料を、中国側は侵略戦争を証拠づける史料を持ち寄って、突き合わせるといったことではないはずです。日本側の史料でも、政府・軍部の公式会議での決定に、侵略の歴史が明確に記録されているのですから、歴史の事実に正面から向き合う態度をもって研究をおこなったら、答えを出すのは難しくはないはずです。過去の戦争についても、日本が謙虚に事実に向き合う態度をとり、きちんと答えを出してこそ、アジア外交の責任ある道が開けることを、強調したいのです。

第三・軍事的対応優先でなく、外交に強い国となること

 第三は、いろいろな国際問題に対応するときに、軍事第一ではなく、外交に強い国になることです。私は、いまの世界では、これがいちばん大事だと思います。

 最近のマスメディアで、“北朝鮮問題などで、いちばん軍事的な対応を言い立てたのが日本だった”といった論評を読みました。日本が、軍事に強いからではなく、外交に弱いからこうなるのです。

 外交というのは、道理をもって相手を説得すること、相手が間違った態度・政策をとっている時には、その間違いを道理をもって論破すること、これが必要です。その道理の力をもたない者が、軍事の力を振り回したがる。戦前の日本がそうでした。日本が国策とした領土拡張主義が、そもそも道理の立たないものでしたから、すぐ軍事力にものを言わせる、これが常でした。そのマネをしたのではダメなのです。

 いまのアメリカの様子もさきほど見ました。軍事で解決しようとして、無法なイラク侵略戦争を始めましたが、それだけでは解決できないことに気がついて、外交戦略にも力をいれています。ところが、日本の自民党政治は、そのアメリカの戦略をみる場合にも、軍事戦略のところだけをものまねしようとする。アメリカがイラクで先制攻撃戦略をとったら、それなら日本もと、北朝鮮のミサイル発射にたいして、北朝鮮への先制攻撃といった物騒な話を大臣がすぐ持ち出す。北朝鮮が核実験をやったら、日本も核武装の議論をしようという発言が、後先も考えないで、すぐ飛び出す。これでは、ダメなのです。

 アメリカの戦略を研究するのなら、あれだけの軍事力を持ち世界最大の核兵器で武装しているアメリカでも、外交戦略を練らなければいまの世界でやってゆけなくなっている、この情勢をこそ学んで、自分たちの外交力を鍛えなければいけないはずです。

 私は、外交に強くなるためには、二つの大前提が大事だと思います。

 一つは、世界に通用する道理をもって、いろいろな国に、また世界に働きかける、こういう道理の力をもつことです。

 もう一つは、自分の国の都合や利益だけから出発するのではなく、相手の国がどういう立場・考え方にたっているか、それは、その国のどういう事情と背景から出ていることか、そのことをよく理解して外交にのぞむ、ということです。

外交では自国の流儀の押しつけは禁物

 現代は、いろいろな文明をもった国とのつきあいが、外交の重要な内容をなす時代です。たとえば、私たちは、イスラムの国ぐにとつきあいます。文明の内容は大きく違いますし、経済的発展の程度もまちまちです。政治の制度もさまざまです。なかには、議会も政党もない、という国もあります。

 ヨーロッパなどでは、そういう状況をみて、ああ、この国は独裁国だと、簡単に切って捨てる傾向があるのをよく見聞きします。しかし、そういう態度では、諸大陸のすべての国、すべての民族が生きて活動するいまの世界に対応することができないと思います。

 日本が歩んできた道を考えてみてください。日本が資本主義国の仲間入りをしたのは、明治維新(一八六八年)のときでした。しかし、その日本が、国民主権の政治制度をもつようになったのは、第二次世界大戦での敗戦ののち、一九四六〜四七年のことでした。ここに来るまでに八十年近くかかっているのです。

 ヨーロッパでも同じです。フランスという国は、国民主権を宣言したヨーロッパで最初の国です。一七八九年のフランス大革命のなかでそのことが宣言されたのでした。しかし、そのフランスが、国の主権者のなかには女性も入るということを認めるまでに、何年かかったと思いますか。百五十年以上かかっているのです。フランスで女性参政権が宣言されたのは、日本と同じく、第二次世界大戦後のことでした。

 社会の進歩してゆく方向には、おのずから共通の目標が出てきます。しかし、さまざまな文明をもつ国が、社会進歩の道を進んでゆくには、その国なりの形態や道筋があり、急速に進む国もあれば、より長期の時間のかかる国もあるのです。そのことをお互いに理解しあうだけのゆとりを持つことが、世界の相互理解、相互交流には、どうしても必要になってきます。

 アメリカのブッシュ大統領のように、自分の国の制度が万全だといって、それを世界に押しつける、従わないものには武力で押しつける、そういう態度では、世界政治は成り立ちえないのです。

日本の反共主義は「第四の異常」

 相互理解という点で大事な問題に、反共主義の問題があります。

 反共主義とはなにか。これは、結局、資本主義を乗り越えて新しい社会をめざそうという考えや運動、体制が気に入らない、ということです。

 ですから、反共主義の立場に立つと、社会主義をめざしている国は、みな「敵」に見えてきます。体制上の敵なのです。資本主義の世界全体としては、社会主義を「敵」扱いする考えは、ロシア革命が成功して数年後、「二つの体制の共存」を受け入れたときに、卒業したはずなのですが、それがいまでも残っているわけです。

 この反共主義は、国内に向かうと、共産党が、どんなに道理のある立場をとっていようが、資本主義を乗り越える社会をめざしているかぎり、やはり「敵」に見えるのです。

 これが、反共主義です。

 いまの世界では、こういう反共主義は、ますます少数派になりつつあります。

 さきほど私は、志位委員長のパキスタン訪問の話をしました。パキスタンでは、こんなことがあったとのことでした。国会で、上院議長に会って、志位さんが日本共産党の自己紹介をしようとしたら、議長さんの方から、集まった国会議員に日本共産党の解説をやりだした、というのです。日本共産党は一九二二年に生まれて、戦争に反対したこと、ソ連にも中国にも自主独立をつらぬいた党であることなどなど、全部紹介してくれた。

 なぜこんなに詳しいかというと、理由があるのです。二〇〇一年にアメリカの対テロ戦争が始まったとき、わが党の国会議員団がはじめてパキスタンを訪問し、現地の視察をおこないました。帰国後に、お礼のあいさつに日本にある大使館を訪ねたのです。そうしたら、パキスタンの大使が、日本共産党にはじめて会ったというので、大いに興味をもち、創立はいつか、ソ連や中国にたいする関係はどうか、ソ連のアフガニスタン侵略にどういう態度をとったか、外交政策はなにかなど、訪問した代表を質問攻めにしました。そして、その後、自分でも日本共産党研究をはじめ、その成果を報告書にして本国に送ったと聞きました。こういうこともありますから、パキスタンの政界は、日本共産党についてかなり詳しいし、それがまた、志位代表団が国賓として招かれた土台にもなっていました。

 志位さんは、九月に韓国も訪問しました。この時、韓国の大学で講演をし、学生たちと話しあったのですが、その学生たちの感想を私も聞かせてもらいました。あらためて驚いたのは、学生たちが、韓国について「共産党を体制的に認めない」国だと言っていることです。韓国では、まだ国家保安法という反共法が完全にはなくなっていませんから、学生たちも、反共を国是とする国だといまでも感じているのです。だから、「その国に日本共産党の代表を迎えたとは、本当に驚きだ」という感想が出されたとのことです。

 社会の一方にそういう状況がありながら、政界との交流では、国会に議席をもつすべての政党(全部で五政党)の首脳部や国会議長が志位さんと会談し、今後の友好と交流を約束しあいました。反共法をもった韓国でも、社会が大きく変わりつつあるのです。

 私たちは、世界各国との野党外交のなかで、反共主義が音をたてて崩れつつあることを、強く感じています。

 その時に、日本では、ひときわ激しい反共主義が生き残っています。私たちは、日本の社会の「三つの異常」ということをよく言うのですが、反共主義のこの生き残り方は、「四つ目の異常」に格上げしてもいいのではないか、と思うほど(笑い)の気持ちです。ここから抜け出すということも、国内政治の課題であるだけでなく、外交的なゆきづまりの打開のためにも、大事な問題です。

自民党の政権外交と日本共産党の野党外交をくらべてみる

 日本に何が求められているかを客観的に考えてきましたが、いまあげた三つの点は、自民党外交にいちばん欠けていることだと思います。

 これにたいして、私たちの野党外交がなぜ成功するのか? 私たちは、“力の外交”をやろうと思っても、軍事力など持ってはいません。ODA(政府開発援助)式にお金をばらまこうと思っても、お金がありません。私たちのところにあるのは、(1)日本共産党のありのままの姿を語ること、(2)国際政治でわれわれがとっている道理ある立場を訴えること、(3)外交の相手の国情をよく理解して、相手の国がいま何を問題にし、何を求めているかをつかんだ上で、相互理解の努力をすすめること――この三つのことだけなのです。

 この三つの努力を通じて、私たちは、かつて反共主義が強かった国や、保守と言われた国、またアメリカの強い軍事的影響のもとにある国など、さまざまな国とのあいだで、垣根をすべて乗り越えて、世界のいたるところに友好と連帯の輪を広げてきたのです。野党である日本共産党の外交がこういう成功をおさめうるのだとしたら、もし日本が、さきほど挙げた三つの問題にきちんとした答えをだし、道理ある立場で外交に強い国になり、世界の平和をめざす日本ならではの努力を真剣にすすめるならば、どんなにすばらしい前途が日本外交の前に開かれるかは、明らかではないでしょうか。アジアとの連帯だけではありません。世界のすべての大陸との連帯の道――本当に楽しい希望ある前途が開かれることは、間違いないと思います。

 今日は、「『科学の目』で世界を見る」ということから話を始めました。そこから出てくる日本外交の課題についても述べました。みなさんが、世界のさまざまなニュースを耳にするときに、また日本外交の直面するさまざまな課題を考えるときに、今日のことを参考に役立てていただければありがたいと思います。

 日本の現状を打開する運動を発展させるためにも、私たちが世界の仲間との連帯を発展させるためにも、私たち自身が、国際問題、外交問題に強くなることは大事です。みなさんのそういう方面へのご尽力も願って、今日の話を終わりたいと思います。どうも長い時間、ありがとうございました。(拍手)


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