2006年11月10日(金)「しんぶん赤旗」

いま世界がおもしろい

第39回赤旗まつり 不破さん「科学の目」講座

(上)


 第三十九回赤旗まつり(東京・江東区の夢の島公園)の初日(三日)におこなわれた不破哲三さん(日本共産党社会科学研究所所長)による「『科学の目』講座 いま世界がおもしろい」の大要を二回に分けて紹介します。


写真

(写真)講演する不破哲三社会科学研究所所長

 みなさん、こんにちは。

 この「科学の目」講座は、今回で三回目です。第一回が二〇〇一年、第二回が二〇〇二年の「赤旗まつり」でしたから、今回までに四年が過ぎました。そのあいだに、私たちの党には、大きな出来事がありました。新しい党綱領をもったのです。綱領というのは、「科学の目」で日本と世界を見て、その見方を描きだしたものです。今日は、その綱領で見ると、世界がどう見えるかということについて、お話をしたいと思います。

 これまでの二回の「科学の目」講座でも、世界論はある程度話しました。それはだいたい、社会主義と資本主義という角度から、二一世紀がどんなことになるだろうか、この展望についての話が中心でした。今日は、少し模様を変えて、いまの世界がどんな構造をもち、どんな動きをしているか、その大きな流れが分かるように、二一世紀の全体というよりは、視野をかなりしぼって、世界論を話してゆくつもりです。

(一)いま私たちは、どんな世界に生きているのか

「科学の目」で世界をとらえるとは……

日本では世界のニュースが少なすぎる

 世界の動きについては、みなさんも、新聞やテレビでいろいろなニュースを聞かれるでしょうが、それだけだと、世界の動きがなかなか分かりにくいと思います。

 私たちは、世界のいろいろな国のマスメディアに触れることが多いのですが、率直にいって、日本のマスメディアに出る世界のニュースというのは、なにか“ふるいにかかっている”印象が強いのです。発行する側の気にいらないことは、大きく報道しないし、大事なことでもまったく書かないこともあります。それから、世界のことを知らせる報道の量が本当に少ないのです。日本から一歩外国へ出ますと、いまは“世界の時代”ですから、多くの国で、新聞でもテレビでも、報道といえば大部分が世界のニュースです。

 それにくらべると、日本の私たちは、あまりたくさんのニュースに接していない。さびしいことだと思います。

世界が生き生きと動いている時代

 しかし、本気で世界を見ますと、世界がこんなに生き生きと動いている時代はないのです。世界にはたくさんの大陸がありますが、いまは、世界政治の動きに全大陸が参加し、多数の国がいろいろな活動をしています。みなさんが、国際ニュースを見たり聞いたりしたとき、「あれ、この国はどこにあったのか」と考えられることもあるのではないでしょうか。それほどに、政治でも経済でも、諸大陸のあらゆる国ぐにが活発に世界の流れに参加している、私たちはこういう時代に生きているのです。

 “日本では世界のニュースは少ない”ということは、いま言いました。しかし、世界の大きな流れをつかむと、どんなニュースでも、その意味、「ああ、このニュースは、この流れのこの位置でおきたものか」ということが分かります。つまり、いまの世界の構造と流れが分かると、限られたニュースのなかからも、いまの世界の生きた動きがさらにはっきり分かってくるようになる。そういう意味で、これからの話を聞いてもいただければ、ありがたい、と思います。

「グローバル化」や「多極化」の言葉でいまの世界をとらえられるか

 私は冒頭に、世界論の話をすると言いました。私たちは、いろいろな国の方々とも交流しますが、いまの世界のこの生き生きした動きをまとまってとらえる世界論というのは、世界ではまだ確立していないように感じています。

 たとえば、いまの世界を特徴づけるものとして、「グローバル化の時代」という言葉がよく聞かれるでしょう。「グローバル化」というのは、“地球規模の広がり”という意味です。いまでは、どんな問題を考えるにも、地球の規模でものを考えないといけない、政治も経済も、私たちのくらしも、お天気の状況も環境問題も、すべて地球規模の関連や動きとかかわりあっている、そういう時代を迎えている、そのことを「グローバル化」と言うのです。とくにこの言葉は、資本主義がうんと盛んになって世界的な規模の活躍をする新しい段階に入ったことを指すものとして、よく使われています。

 しかし、資本主義の「世界化」については、マルクスという私たちの大先輩が、もう百五十年も前に語ったことです。幕末の日本が世界の国ぐにと貿易するようになった、この日本開国のニュースを聞いたときに、マルクスは、これで資本主義の使命である「世界市場」づくりが完成した、そう述べました。これが一八五八年のことですから、「世界化」というのは、新しい話ではないし、世界的になったから、資本主義が元気がいいなどというのは、根拠のない偏った見方なのです。

 それからまた、みなさんがよく聞かれるものに、「多極化」という言葉があるでしょう。昔は、世界の政治や経済を考えるとき、一方にアメリカという「極」があり、他方にソ連という「極」があるという見方が、広くありました。それで「二極時代」と言われましたが、いまの世界では、元気な国がたくさんあるから、「極」の数が増えたという意味で、「多極化」と言うのです。しかし、いまの世界は、「極」がいくつに増えたかと、その数を数えてすむ世界ではありません。世界には、国連加盟国だけで、百九十二の国があります。この百九十二の国が、それぞれの大陸で、それぞれ活発な自主的な動きをしている時代です。そういう時代ですから、「多極化」というのも、いまの世界をとらえるには、あまりにも狭い言葉なのです。

20世紀に世界の構造にこういう変化が起こった

 そういうなかで、私たちは、二年前の第二十三回党大会(二〇〇四年一月)で、新しい綱領をつくりました。この綱領をつくるときに、「科学の目」でいまの世界を見るには、どういう見方が重要かということを深く考え、議論もおこないました。こうして、二一世紀にふさわしい世界論を確立したのです。

 そのとき、私たちがまず注意を向けたのは、二〇世紀に起こった世界の構造の変化でした。

 いまから百年前、二〇世紀という世紀が始まったときには、世界は、文字通り資本主義一色の世界でした。アジア・アフリカには、資本主義以前の段階の国も多くありましたが、その全部が、植民地とか従属国とかの形で資本主義の本国に支配されていました。ですから、少数の資本主義の大国が世界をおさえていて、これらの国の動きを見ていれば世界が分かる、地球の全体を資本主義の大国がにぎっている時代でした。

 この状態を変えた第一の変化は、一九一七年、ロシアに社会主義の革命が勝利して、資本主義をのりこえ、社会主義という新しい社会に前進しようという流れが起きたことです。これまで資本主義一色だった世界が、資本主義にとどまっている国ぐにと社会主義に向かって新しい社会の探究を開始した国ぐにとに分かれたわけで、これが、二〇世紀に起こった世界の最初の構造変化でした。

 二〇世紀の後半には、また大変化が起きました。植民地体制の崩壊です。

 一九四五年、第二次世界大戦が終わりました。その年に、独立革命の旗をあげたのが、ベトナムとインドネシアでした。続いて、四七年には、インドとパキスタンが誕生、さらに四九年には、中国革命が勝利して新中国が生まれ、やがて社会主義をめざす道へ歩みだしました。これが、植民地・従属国という世界的な体制を崩す大変化の始まりです。独立の波は、六〇年代、七〇年代にはアフリカにずっと広がり、ついに世界的な規模での植民地体制の崩壊にいたりました。

 以前資本主義の本国におさえられていた植民地・従属国というのは、中国、ベトナムなど、社会主義への道を進んでいる国ぐにを別として、現在の人口で三十五億人、地球の総人口(六十二億人)の半分以上を占めています。これまで世界政治の枠外におかれていた地球のこの部分が、いまや独立国家の巨大な集団に変わったわけで、これは、世界の大きな構造変化でした。

 そのあとに起こったもう一つの変化は、一九八九〜九一年のソ連・東欧の旧体制の崩壊です。

世界の国ぐにが4つのグループに分かれる

 この三つの構造変化を頭にいれて現在の世界を見ると、世界の国ぐにが、四つのグループに分かれていることが分かるでしょう。

 まず、発達した資本主義の国ぐにです。それから、社会主義をめざしている国ぐにで、ソ連は崩れたが、中国、ベトナム、キューバは頑張っています。さらに、植民地・従属国の状態から独立国の大集団に変わったアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにがあります。最後に、体制崩壊で「社会主義」の看板を捨てたが、まだ今後の行く先は複雑だという旧ソ連・東欧圏の国ぐにです。

 世界をこうして四つのグループに分けてみると、それだけで、世界の構造や流れがよりはっきりと見えてきます。

 私たちは、新しい綱領で、その見方を綱領の世界論の大もとにすえました。より正確に言いますと、四つのグループ分けという形に整理して綱領の世界論を解説したのは、綱領を決めた大会の翌月、二〇〇四年二月に、民主青年同盟の大会に呼ばれて、綱領の解説を求められたときでした。そのとき、綱領の世界論を分かりやすく説明するには、どうしたらよいかと考えて、グループごとの人口の計算などをしたのです。それから二年あまり、いろいろな機会に世界情勢の話をしますが、この見方で世界を見てゆくと、その時どきの世界の動きがたいへん鮮やかに見えてくるということを、私自身、何度も経験しました。

 また、外国の方がたとの交流のときにも、私たちは、こういう形で世界を見ているといって、四つのグループ分けの話をしますと、“そういう見方があるのか”、“これなら世界の動きがよく整理されるな”といった反応が返ってくることが多いのです。

 この見方は、私たちの世界論の基本にかかわる大事な角度ですから、今日も、その角度から、ごく最近のことも織り込んで話をしてゆきたい、と思います。

 まず、四つのグループのそれぞれについて、いまの世界における状況を大づかみに見てみましょう。

資本主義が高度に発達した国ぐに

アメリカ中心の「一致団結」は過去の話になった

 最初は、資本主義が高度に発達した国ぐにです。日本は、そのなかに入っています。

 まず、このグループについて言わなければならないのは、この国ぐには、百年前には、植民地・従属国という支配の“網の目”で、全世界をおさえていたグループだということです。その“網の目”が断ち切られ、裸の本国だけになってみると、世界に占める地位と比重がぐっと小さくなりました。人口というのは、そのグループの地位をはかる大事なモノサシの一つになるのですが、このグループの人口は、地球の総人口六十二億人のうち、約九億人、七分の一です。経済ではもっと比重が大きいのは確かですが、やはり二一世紀という長い時間で見ると、世界の人口の中でどれだけの大きさをもつかということはなかなか大事な指標になるのです。

 それから、このグループの内部の構造も変わってきました。アメリカとソ連が対決していた「米ソ対決」の時代には、ソ連に対抗する西側の団結が重要で、西側の大将はアメリカでしたから、アメリカの言い分に多少無理があると思っても、ことがソ連との対決の重要問題だとなると、西側諸国はアメリカの立場にだいたいは従ったものでした。

 ところが、九一年、そのソ連がなくなりました。もう矛盾をおさえてアメリカの立場に従う義理はなくなった、こういう時代が始まったのです。だから、二〇〇三年、アメリカがイラク戦争に足を踏み出したら、NATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟で、しっかり自分の側に引きつけていたはずのフランスやドイツが、「戦争反対」の立場で最後までがんばり、アメリカの思う通りになりませんでした。アメリカの国運をかけたあの重大問題でも、西側の仲間がまとめられない、もはや昔のような「一致団結」はない、ということです。アメリカのやることならなんでも「一致団結」というのは、日本ぐらいなものです。

 このように、いわゆる西側グループの内部の構造が変わってきました。

植民地支配を許さない世界秩序のなかで

 もう一つの大事な問題は、いまの世界は植民地支配を許さない世界だということです。

 以前は、独占資本主義の国が植民地なしで生きてゆくということは、考えられませんでした。ところが、植民地体制が崩壊したいまの世界は、過去の植民地がみな独立してしまったというだけでなく、世界秩序そのものが植民地を持つことを許さない、こういう世界に変わったのです。地球の歴史上はじめて、いくら力がある大国でも、他国を植民地にすることはできない、世界はこういう時代に入っています。

 ですから、高度に発達した独占資本主義の国でも、この時代的な条件に適応しないと、生きてゆけません。たとえば、フランスですが、この国は、アフリカに膨大な植民地をもった帝国主義大国でした。五〇年代にアルジェリアが独立の旗をかかげて立ち上がったときには、武力で押さえ込もうとして戦争になったものでしたが、この経験をへて、結局、アフリカの全部の植民地を捨てた上、それらの元植民地と仲良くして、互いに助けあう共存の関係を築いてゆこうというふうに、政策を大きく切り替えざるをえないことになったのです。イギリスも同じです。

 つまり、高度に発達した資本主義の国、独占資本主義の国が、植民地のない時代に適応せざるをえなくなりました。昔、帝国主義と呼ばれていた国ぐにが、この点で大きく変わってきたわけです。そのなかでも、アメリカのように、形を変えて、またいろいろな言い分をつくって、自分の支配圏を確立・拡大する政策を強行しようという国がありますから、覇権主義への警戒は十分必要ですが、この面で、世界が大きく変わってきたことは確かです。

利潤第一主義を“野放し”にさせない

 経済の面でも大きな変化があります。発達した資本主義の国ぐには、みな資本主義の国ですから、経済の原理は利潤第一主義です。この利潤第一主義の害悪は、最近の日本でも、ゼネコン型の大型公共事業の問題、安全無視の違法建築の問題など、さまざまな分野で噴き出てきています。この害悪は、資本主義につきものなのですが、資本主義が栄えだして世界的には五百年以上たっていますから、この害悪をおさえるいろいろな運動が起きてきました。その積み重ねで、利潤第一主義を“野放し”にはさせない、ということが、世界の資本主義社会のなかで、大きな流れになっています。

 なかでも、ヨーロッパでは、利潤第一主義に歯止めをかける“社会的規制”が大きく発展して、あまりにも乱暴なやり方から国民をまもるルールが、ずいぶん作られてきました。そのルールがたいへん貧弱なのが日本で、だから私たちは、日本の現状を「ルールなき資本主義」と呼んでいるのです。

 これにたいして、“そんな歯止めはいらない、市場にまかせておけばすべてうまくゆく”といって、利潤第一主義の放任を主張する流れもあります。アメリカがその代表で、同じ資本主義の経済のなかでも、アメリカ流のやり方と、歯止めのルールをつくるやり方とのあいだで、どちらを選ぶべきかの議論がずっと続いています。

 以上、いくつかの今日的な特質をあげましたが、資本主義の体制は変わらないでも、世界のなかでの地位も、その内部の構造も、大きく変わっているのは、いまの時代の資本主義なのです。

社会主義をめざす国ぐに

この国ぐには大きな発展のただなかにある

 次に、社会主義をめざす国ぐにを見ましょう。

 人口は約十四億人で、発達した資本主義の国ぐにの一倍半、それだけの人口を持つ国ぐにが、社会主義に向かって進んでいます。

 ソ連が崩壊したとき、アメリカなどを中心に、「社会主義」の旗頭はソ連だったのだから、これで勝負はついた、ソ連がつぶれたら、社会主義をめざす動きは、世界全体で衰退にむかうだろうという観測がずいぶんありました。

 たしかに、当時、中国は、「文化大革命」という大動乱から抜け出したばかりの時期で、経済もまだ立ち直っていない、たいへんな時期でした。ラテンアメリカで唯一社会主義への道を進んでいたキューバも、命綱である砂糖の最大の輸出相手だったソ連・東欧との貿易がぱたりと止まりましたから、たいへんな経済危機におちいりました。

 しかし、それから十五年、中国、ベトナム、キューバは、新しい条件のもとで社会主義をめざすレールを、それぞれなりに自分で探り当て、いま大きな発展の道を進んでいます。ここに、これらの国ぐにのいまの大きな特徴があります。

 たとえば、ソ連が「社会主義」の代表といった顔をしていたころは、社会主義の経済というと、“統制経済で閉ざされた社会”という印象が広がっていました。

 しかし、中国とベトナムは、“市場経済を通じて社会主義に進もう”という新しい道をそれぞれ探り当てて、経済建設の方向を大胆に切り替え、大きな成功をおさめています。“市場経済を通じて”というこの道は、レーニンがその活動の最後の時期に、これこそが社会主義への道だといって開拓したもの(「新経済政策」)と、基本的には同じ型の道でした。しかし、レーニンは、その三年後に死に、あとを継いだスターリンが、間もなくやめてしまいましたから、ソ連ではものにならなかったのです。レーニンの探究の七十年後に中国とベトナムがそれぞれなりにその道を探り当て、切り替えを断行して、現在の見違えるような発展に道を開いたのでした。

経済でもアメリカに迫る中国

 よく中国やベトナムについて、人口は多いけれど、経済力はたいしたことはないだろう、と見ている方がいます。しかし、経済の面でも、世界の力関係は、いまたいへんな変動の時期にあります。

 世界の国ぐにの経済力の大きさをはかったり比較したりするのに、GDP(国内総生産)という数字がよく使われるでしょう。GDPというのは、その国で一年間に生産された付加価値(ふかかち)の規模を示す数字です。それで世界各国をくらべてみると、第一位はアメリカ、第二位日本、第三位ドイツ、第四位イギリス、第五位フランス、そして中国はようやく第六位に顔を出し、インドがずっと下がって続く、ということになります(二〇〇五年)。そして、世界経済全体のなかでの各国の持ち分を計算してみると、第一位のアメリカは28%で、世界経済の四分の一以上を占める超大国、第二位の日本は11%、第六位の中国は4%で、規模の比較では、アメリカの七分の一、日本の四割以下ということになります。この数字で見ると、資本主義の大国が断然上位にあるのです。

 この数字を毎年発表しているのは、IMF(国際通貨基金)という国際機関なのですが、この機関が、国内総生産についてもう一つの新しい数字を発表しはじめたのです。いま紹介した数字は、各国の比較を為替レートでしていますから、物価の安い国の経済規模は小さく、物価の高い国の経済規模は大きく出るのです。だから、これでは本当の実力は分からないというので、国ごとの物価の違いが反映するように、購買力平価というものを使って、より実力に近い数字を計算したのです。この数字で見ると、世界の見方がまったく変わってきます。その様子は次の通りです。

 アメリカが第一位ということは変わりませんが、世界経済での持ち分は、さきの28%から20%に急落しました。そして第二位は、日本ではなく中国で、世界経済での比重は15・4%、アメリカに迫っているのです。第三位が日本ですが、比重は6・4%、中国の半分以下の水準です。第四位はインドで5・9%、日本を追い上げています。

 このように、実力ではかってみると、順位はアメリカ、中国、日本、インドの順で、中国はアメリカに迫り、インドは日本に迫っている。中国と日本のあいだには、二倍半の開きがある。いつの間にか、経済の面でも、力関係はここまで変わってきているのです。

世界の力関係の大変動の時期

 この問題について、この九月、在日米商工会議所――日本にいるアメリカ企業の団体です――の会頭のレイクさんが、マスメディアの会合で講演をしました。講演のなかで、二〇五〇年に世界はどうなっているかという問題で、アメリカのある証券会社が発表した予想数字を紹介したのですが、その中身は“経済力世界一は間違いなく中国、第二位アメリカ、第三位インド、日本は第四位か第五位で低迷”というものでした。私はさきほど、中国がアメリカに迫り、インドが日本に迫る、と言いましたが、この予測では、二一世紀半ばには、間違いなく中国がアメリカを抜き、インドが日本を抜くというのです。これは私の予想ではないですよ。アメリカの商工会議所の人の話をお伝えしているだけです。

 つまり、資本主義の旗頭であるアメリカの財界の目から見ても、世界経済での変動は、それぐらい激しく進んで、社会主義と資本主義の力関係も、かつての植民地だったインドなどと資本主義の本国との力関係も、こんなにも大きく変わりつつあります。

 実際、経済の面でも外交の面でも、中国の存在感というのは、世界で本当に大きくなっています。以前には、中国が社会主義をめざす国だということから、ソ連の覇権主義のことを思い出して、中国も力が大きくなるとなにか物騒なことが起きるのではないか、こういう心配をする向きが世界のあちこちにありました。“ソ連覇権主義の影”とでも言いましょうか。しかし、ソ連が崩壊したあとの中国の行動を見てみると、そんな心配のないことが、事実で分かってきます。ですから、私たちが、世界を歩き、また各国からの現地報道に接して驚くのは、世界のどの大陸でも、中国との経済交流の発展や外交活動の深まりに出会うことです。

 それから、ラテンアメリカで社会主義をめざしてがんばっているキューバも、一時の経済的困難を突破して、いま新しい発展の時期を迎えています。とくに、革命の先輩の国であるキューバと革新政権の生まれた南アメリカの国ぐにとの密接な関係が発展して、ラテンアメリカの自立的発展をめざす新しい強力な流れをつくりだしていることは、キューバにとっても、この大陸にとっても重要だと思います。

 このように、社会主義と資本主義という関係を見ても、世界は大きく変わってきています。

アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐに

植民地・従属国が独立国の巨大な集団に変わった

 次は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカです。中国、ベトナム、キューバは、さきほども述べたように、この地域での民族独立と民主主義の革命を起点にして、社会主義をめざす道にまで前進した国ぐにですが、これらの国を別にしても、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにの人口は三十五億人です。つまり、六十二億人の地球人口のうちの半分を超える人びとが、この地域に住んでいるのです。この地域は、かつては、資本主義の本国をささえる“縁の下の力持ち”の役割を押しつけられていた世界でしたが、植民地体制の崩壊によって、巨大な独立国の集団に変わったのです。

 植民地体制が壊れた最初のころは、アメリカなどを中心に、“新興独立諸国は、資本主義の道を進めば、やがては経済の自立的発展のすばらしい道が開ける”といった宣伝がさかんで、そのための「理論」もつくられました。しかし、それから現在までのあいだに、資本主義の道を進んでなんとかうまく行ったといえる国は、本当に数えるほどしかないのです。「失われた十年」あるいは「二十年」という言葉が流行になったように、多くの国が、この間の経験を通じて、資本主義の道に失望しています。“踏み込んでみたがいいことはなかった”というので、国づくりの新しい道を模索しています。

 この地域には、いろいろな政権があります。革新の政権もあれば、保守の政権もある、軍部のクーデターの名残をかかえた政権もある、まだ議会も政党もないという国もある。しかし、そういう違いはあっても、三十五億人の人びとが住んでいるアジア・アフリカ・ラテンアメリカでは、圧倒的多数の国ぐにが、民主的な世界を求めるという点で、本当に共通の思いを持っています。どんな国にたいしても、自分が大国だからといって世界で勝手なまねをすることは許さない、これが共通の立場です。だから、イラクの政権が気に入らないといって、アメリカが無法な戦争を開始しようとしたとき、この地域の国ぐにの大部分が断固としてこれに反対しました。そして、経済がどんなに遅れた国でも、自分の国は自分でつくる、自主独立を当たり前の態度とする、この点でも共通の立場をもっています。

 ですから、この地域では、非同盟諸国会議の運動が、たいへん大きな役割をしています。これは、「米ソ対決」の時代に、アメリカ中心の軍事同盟にも入らない、ソ連中心の軍事同盟にも入らない、非同盟・中立の立場をまもって、世界平和を追求しよう、こういうことで始まった運動でした(一九六一年、二十五カ国で発足)。いまではこの運動に百十八カ国が参加していますが、アジア・アフリカ・ラテンアメリカでは、大多数の国がこれに加わっています。いま国連の加盟国の総数が百九十二ですから、そのうち百十八カ国が非同盟運動の参加国だといえば、運動の規模が分かるでしょう。

反共主義が消えつつある

 この世界のもう一つの特徴は、反共主義が消えつつある、ということです。以前は、この傾向はかなり強くありました。

 これは、いろいろな機会に話してきたことですが、サウジアラビアという国があります。イスラムの中心をなす国の一つです。一九九一年の湾岸戦争の前夜に、私たち日本共産党が“戦争の手段ではなく平和的外交的手段での解決を”と訴えて、世界中の国の政府に、私(当時委員長)と志位和夫書記局長(当時)の連名の手紙を送ったことがありました。手紙は、東京の各国大使館を訪ねて手渡しました。サウジアラビア大使館を訪ねましたら、大使が応対してくれたのですが、五メートル離れての応対だというのです。あいさつするのも、それだけ離れて大声での会話になる。なぜかと聞くと、“私どもの国は共産主義とはともに席を同じくせず”、これが建前だったのでした。

 ところが、その十一年後です。イラク戦争の問題で、党の代表が中東各国を歴訪することになりました。サウジアラビアは訪問の予定外でしたが、ともかく事前にあいさつはしておこうということで、大使館を訪問したら、大使が“中東にくるのになぜわが国にこないのか”というのです。たっての要望ということで計画を変え、代表団はサウジをはじめて訪問して、政府代表と会い、イラク問題などを話しあいました。あとで調べてみると、共産党としてこの国を訪問したのは、どうも日本共産党が最初だったようでした。

 サウジアラビアというのは、イスラム教の開祖ムハンマドが生まれた国で、イスラムの盟主といわれる国です。その国でも、筋が通った相手だと分かると、日本共産党でも喜んで受け入れる、そこまで変化が進んでいたのです。

 実は、九一年に大使館を訪問して五メートル離れて話しあった人も緒方靖夫さん(現副委員長)、〇二年にサウジアラビアを初訪問した代表団長も緒方さんでしたから、彼は、この変わり方をいちばん実感的に体験したわけです。

 イスラム諸国といえば、昔は、アジア、アフリカのなかでも保守といわれた国が多かったのですが、その世界にいまでは反共主義というものは、ほとんど見られないのです。

 今年の九月、志位和夫委員長が訪問したパキスタンも、インド亜大陸にあるイスラム国家です。ところが、志位代表団は、パキスタン政府から、国賓として招かれたのです。

 イスラムの国で、私たちが、親密な関係をもっている国は、マレーシア、チュニジアをはじめ、たくさんあるのですけれども、別に革新派と言われる国ではない、なかには軍部独裁と言われたこともある、そういう国もふくめて、日本共産党が筋の通った政党だということが分かると、喜んで迎え入れ、心を開いて話しあい、連帯と友好の輪が広がる、これが、私たちが体験してきたこの世界の特徴です。

社会変革の流れ――インドの場合

 この世界について紹介しておきたいもう一つの角度は、社会変革の流れという問題です。私はさきほど、革新・保守を問わず、非同盟、自主独立、世界平和という流れが圧倒的だと言いましたが、そのなかに、社会変革の流れが大きくあるのです。

 この問題で、二つの地域を紹介しておきます。

 まず、さきほど、やがて日本を抜いて世界経済で第三位を占めるとの予想を紹介したインドです。この国には、たいへん大きな力をもった共産党があるのです。インド共産党(マルクス主義)と言います。インドは州に分かれていますが、そのうち、西ベンガル、ケララ、トリプラの三つの州を、インド共産党(マルクス主義)が中心になった左翼政権がにぎっています。人口は西ベンガル八千五百二十万人、ケララ三千三百三十万人、トリプラ三百四十万人で、合計すると一億二千百九十万人、日本の人口に匹敵するような大きな地域を、インド共産党(マルクス主義)がにぎって、政治をしっかり動かしているのです。

 ここにくるまでには、たいへんな歴史がありました。これらの州での左翼政権の歴史は五〇年代に始まりますが、六〇年代、七〇年代(一部は八〇年代にも)には、中央政府の解散命令で政権がつぶされます。それを選挙でまた政権を奪還する、こういう繰り返しでしたが、西ベンガルなどは、最後に政権をとりもどしたのが七七年、以後連続七回勝利して、すでに三十年近く左翼政権が続いています。

 私は、八八年にインドを訪問して、左翼政権のみごとな政治を実際に見てきました。インドの首都のデリーを夜歩きますと、浮浪者の子どもたちが街の歩道いっぱいに寝ているのを見て驚きました。ところが、次に西ベンガルの州都コルカタに行きますと、夜でも、街に寝ている子どもが一人もいないのです。ちょうどそのころ、国連の教育調査団が調査にきて、“西ベンガルの教育行政はすばらしい”という報告を出しているのを読みましたが、やはり左翼政権ができると、政治がそれほどにも違ってくるのです。

 インドの政治では、いまさらに大きな変化が起きています。それは、中央の政治の変化です。さきほど左翼政権を中央の政府が弾圧した話をしました。その政府は、国民会議派の政府でした。ところが、現在では、インド共産党(マルクス主義)がその国民会議派と腕を組んで、国民会議派政権の閣外与党になっているのです。私は、二年前に、北京でのアジア政党国際会議に出席したとき、インド共産党(マルクス主義)の政治局員(イエチュリ氏)と会って話しあったのですが、その後、この政治局員が、国連でインド政府を代表して演説しているのを見て、“なるほど与党だな”と思ったものでした。

 こういう変化が、いま、アジアで中国に次ぐ地位を持とうとしている――十億を超える人口をもち、経済的にも世界の上位に進出しようとしている――インドで起こっている、このことも、アジア情勢の大きな要因の一つとして、見ておいてほしい点です。

社会変革の流れ――南アメリカ

 変革という点でもう一つ大きいのが、ついこの間まで「アメリカの裏庭」といわれていたラテンアメリカ、とくに南アメリカに起こっている変化です。

 南アメリカの変革で転機となったのは、一九九八年十二月、ベネズエラの大統領選挙で革新のチャベス候補が勝利し、九九年一月に政権をにぎったことでした。この政権にたいして、アメリカと財界はもちろん反対、それに軍部も反対、労働組合も、企業に近い立場から反対、そして民間マスメディアはこぞって反対、いわば反革命に包囲されるような状態での発足でした。それから約八年間、軍事クーデターや石油クーデターなど、反革命の強襲もありましたが、チャベス政権は国民の支持でそれを打ち破り、中央・地方の選挙や国民投票など、投票による八回の国民の審判にもすべて勝利して、革命を前進させてきました。そして、クーデターとの闘争や選挙闘争をやるごとに、支持勢力が大きくなる、国営放送以外のマスメディアはすべて反チャベスの攻撃一色ですが、それもすべてはねかえして、押しも押されもしない国民的な政権になっています。

 このベネズエラ革命が、南アメリカを変える大きな転機になりました。ベネズエラに続いて、二〇〇〇年にはチリで政権が変わりました。ここは、七〇年代はじめに、民主連合政府ができたのだが、軍部がアメリカを後ろ盾にクーデターを起こして大統領を殺し、狂暴な弾圧独裁政治をしいてきたところでした。そこで軍部政権が倒され、民主化されたもとで、革新派の政権ができたのです。二〇〇三年には、ブラジルとアルゼンチンで、左派の大統領候補が勝ちました。二〇〇五年にはウルグアイとボリビアで勝ちました。ブラジルではついこの間、二期目の選挙がありましたが、これにも勝利しました。

 革新派といっても、政治的立場には幅がありますが、共通の旗印はやはり、アメリカの支配を断ち切った自主的な国づくりです。その旗印のもと革新政権ができ、各国間の団結もいろいろな形で広がっています。

 この間、その広がりがどこまで来ているかを計算してみました。南アメリカの総人口は三億四千万人を超えています。そのうち左派政権のある国の人口の合計は約二億六千万人です。これは、南アメリカの人口の四分の三以上が、自主独立の国づくり、親米政治はごめんだという左派政権のもとにある、ということです。

 いままで、ラテンアメリカでは、キューバの革命、グアテマラの革命、ニカラグアの革命、チリの民主連合政府など、個々的にはさまざまの革命や変革がありました。しかし、キューバ以外は、アメリカが裏から手をまわしたり表から攻撃したりして、すべてつぶしてきました。それがいまや、そういう攻撃もきかなくなって、まず南アメリカの全体が「面」として大きく変化しはじめたのです。

 私は最近知ったのですが、先日、小さなニュースで、ガイアナという国で科学的社会主義の政党の大統領が当選したという記事を見ました。ガイアナといっても、「ああ、あそこにある」と分かる人はあまりいないと思います。ベネズエラの東隣の人口七十万余の国でした。調べてみたら、この党は、もう十年以上前から政権をにぎっていたとのことでした。現在、わきたっている南アメリカの変革の波は、こういう小さな国でも早くからまきおこっていたのです。

「議会の多数を得ての革命」で

 南アメリカのいまの変革の特徴は、それがすべて選挙の勝利を通じて、私たちの言葉でいえば「議会の多数を得ての革命」という路線で発展していることです。

 選挙での勝敗ですから、左翼政権がいったん勝利したところでも、次には負けるということも、もちろんありえます。ラテンアメリカの変革の今後に大いに関心を寄せたら、“あ、今度は失敗か”と悲しむときもあるかもしれませんが、楽しいときもこれから大いにあると思います。ともかく、この大陸は、現在の世界でもっとも激動的な大陸に変わりつつあります。

 ラテンアメリカというのは、以前の時期には、キューバ革命も、ニカラグア革命も、武装闘争の革命でした。チリのように選挙で勝利を得た場合もありましたが、その政権も、多くは反革命の武装闘争で倒されました。選挙で勝っても、政権をつくる前に、革命の指導者がテロで暗殺されることが常識になっている、こういう国もありました。それほど、アメリカが野蛮な支配をしいていたわけで、そこから、ゲバラ主義といって、ラテンアメリカでは、革命勝利の道はゲリラの武装闘争以外にない、というのが、革命運動の支配的な議論となった時期もありました。

 しかし、そこに大きな変化が起きています。かつての無法なテロ体制もひっこまざるをえなくなりました。革命運動では、国民の多数の支持を得て政権をにぎる、という路線が主流になり、多くの国でその路線で勝利をかちとる、これが大きな特徴になりました。

民族民主革命と社会主義への展望

 ラテンアメリカでの運動のもう一つの新しい問題は、革命の今後の前進にかかわる問題です。この地域の革命は、国の独立と民主主義、国民の貧困の解消などが中心問題になっている革命です。いわば民族民主革命と呼んでもよいでしょう。

 しかし、革命をやってみると、アメリカの資本とぶつかります。国内の財界ともぶつかります。反革命派は、“独立と民主主義の革命だって許さない”という構えで、革命に立ち向かってきます。そういう対決のなかで、いやおうなしに前へ進まざるをえなくなる、こういう側面が出てきます。

 ですから、変革の運動の展開のなかで、進んだ国では、社会主義をどう考えるか、という問題がいやおうなしに出てきているようです。

 ベネズエラでは、一年あまり前から社会主義の問題が語られだしました。議論が始まりました。チャベス大統領の議論を聞いていると、おもしろいのです。“世界にいままで社会主義はなかった。ソ連は社会主義ではなかった”と、はっきり言うのです。“ああいうものまねはしない。新しい社会主義をつくろう。その道を探究しようではないか”というのが、彼の好きな言葉のようですが、革命の今後の問題を、社会主義を視野にいれて考え始めていることが、重要だと思います。

 アメリカの多国籍企業と買弁的な国内資本が支配的だった国で、民族民主革命が起きると、その発展のなかで、次の展望の問題がいやおうなしに提起されてくる、私は、ここにも、いまの世界の、おもしろい、またたいへん重要な動きがある、と思います。

 いずれにしても、アジア・アフリカ・ラテンアメリカという地域は、これからも長い間、いまの世界を前向きに動かしてゆく、いちばん活力に満ちた、いちばん激動的な地域として働き続けるのではないでしょうか。

旧体制が崩壊した旧ソ連・東欧の国ぐに

ここでも「資本主義万歳」論は通用しなかった

 最後に残るのは、旧体制が崩壊した旧ソ連・東欧の国ぐにで、四億人以上の人びとが生活しています。

 ここでも、ソ連・東欧の解体のとき、西側からは、「資本主義に戻れ、戻ったらすばらしい生活が待っている」といった宣伝が、圧倒的に吹き込まれました。しかし、現実はそうはなりませんでした。「資本主義万歳」論は、ソ連・東欧でも通用しなかった、というのが、大事な点だと思います。

 いまどの国でも、すごい模索がおこなわれています。この国ぐにが、いったいどこに向かってゆくのか、このことについて、日本から遠く眺めながら、ああだこうだというのはたいへん難しいことですが、この地域が、研究すべき課題のたいへん多い地域であることは間違いないでしょう。

西へ向く流れと東へ向く流れ

 ここでは、注意して見ておきたいことを、一つだけ述べておきたい、と思います。

 東ヨーロッパの国ぐには、お隣に西ヨーロッパがありますから、西に引かれる流れが非常に強いのです。経済では、EU(ヨーロッパ連合)という統合体に入ろうとか、なかには軍事面でもNATO(北大西洋条約機構)に入ろうではないか、とか――いまさら軍事同盟でもないだろうと思いますが――、こういう動きまであります。

 しかし、旧ソ連・東欧圏における流れは、それだけではないのです。一方で、逆の、東に向く流れも起きています。「上海協力機構(SCO)」という新しい仲間づくりの枠組みが、いま発展しているのです。

 ソ連という国は、ヨーロッパからアジアにわたる大きい領域をもっていました。シベリアの西南、中東の北側にあたる地域に中央アジアの諸国があります。この地域のカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンなどの国ぐにが、中国、ロシアと組んで「上海協力機構」という、地域共同体づくりへの取り組みを始めています。これは、なかなかうまい発展をしていて、お互いに助け合いながら一歩一歩進んでおり、以前ソ連に属していた国だけではなく、モンゴルや、インド、パキスタン、イランなどの南アジアの国ぐにまでがオブザーバーとして参加してきて、世界の新しい地域共同体の一つになりつつあります。この共同体は、当然の流れとして、東へ東へと向くわけです。

 私たちは、旧ソ連・東欧圏の今後を見る場合、西に向く動きと東に向く動きと、二つの流れをよく見ながら、これからの発展の方向を注意深く見てゆく必要があるでしょう。

「いま世界がおもしろい」が実感

 四つのグループの今日的な特徴をずっと見てきました。

 全体をまとめてみますと、いまの世界の共通の特徴が、おのずから出てきます。

 二一世紀の地球は、どんなに大きな力をもった超大国でも、一人で牛耳ることはできません。そういう世界になっているのです。

 圧倒的に強いのは、自主独立の流れです。西ヨーロッパの独占資本主義の国ぐにでも、世界の変化を正面から受け止めて、自分の足で立った外交戦略を、その国なりにつくり上げ、その立場で新しい世界に対応しようとしています。

 それからまた、社会主義をめざす国ぐにでも、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにでも、どこに行っても、新しい国づくりの息吹があふれています。そこには、貧しい国もあれば、経済的にかなり発展した国もありますが、しかし、社会主義をめざす国ぐにでは、自分なりの社会主義をつくろうじゃないか、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにでは、自分の足で立った、アフリカならアフリカなり、アジアならアジアなり、イスラムならイスラムなりの国づくりの道を探究しようじゃないか、この意欲が社会に強くあります。

 そういう諸国のその様子を見るたびに、いまの世界の生き生きした動きと、閉塞(へいそく)感に満ちた日本の現状との開きをたいへん強く感じざるをえません。

 私は、今日の講座に、「いま世界がおもしろい」という表題をつけました。世界のこの息吹を、同じ世界に生きている日本の私たちとして、あらためてよくつかみ、そこに目をむけながら、日本のこれからを考えてゆく必要がある――そういう思いで、この表題をつけたことを、一言述べておきたいと思います。

 (「いま世界がおもしろい」(下)は明日十一日付に掲載します)


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