2006年10月7日(土)「しんぶん赤旗」

「シベリア抑留」への日本政府の責任は?


 〈問い〉 劇団四季の「異国の丘」をみました。なぜ、ソ連は何万人もの兵士を労働力として使ったのでしょうか。このことを当時の日本政府は認めていたのでしょうか。(三重・一読者)

 〈答え〉 第2次世界大戦の終結の前後の時期に、60万人以上の日本軍兵士や民間人がソ連の捕虜として連行され、シベリアでの強制労働に従事させられました。抑留者の帰国が終わる1956年までの間に、6万人以上が厳寒の地で命を落としています。

 これは、捕虜のすみやかな送還を明記したハーグ陸戦規則にも、武装を解除した日本軍兵士が「各自の家庭に復帰」することを定めたポツダム宣言にも反するものです。このように国際法を乱暴に踏みにじったソ連側に、シベリア抑留の悲劇を生んだ最大の責任があることは明白です。

 スターリン時代のソ連は、急速な経済成長とインフラ建設を、「社会主義的な計画経済の成果」として誇っていましたが、実は、これは囚人などの強制労働を使うことによって達成されたものでした。そして、上からの集団化に抵抗して「シベリア送り」にされた農民や「粛清」によってうみだされた多数の政治犯の存在がそれを可能にしていた、ということも明らかになっています。客観的には、このような強制労働に依存したソ連流の経済建設の一端を、「シベリア抑留」によって日本人が担わされたことになります。

 ソ連崩壊後に明らかになった資料に、この問題への日本政府の関与をしめすものがあります。日本の関東軍司令部は、ソ連軍の捕虜となった日本人を労働力として提供する意向を、45年8月29日付の文書でソ連側に通知しています。また、その3日前の8月26日に、旧満州などにいた日本の居留民と軍人を「ソ連の庇護(ひご)下」に旧満州や朝鮮に「土着」させて生活させるよう、「ソ連側に依願する」という報告書が、当時の大本営参謀の名前で作成されていました。この報告書は、93年になってロシア軍関係の公文書館から発見されたもので、旧満州や朝鮮に「土着する者は日本国籍を離れるのも支障ないもの」とする方針が記されていました。(哲)

 〔2006・10・7(土)〕


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