2006年10月3日(火)「しんぶん赤旗」

ルポ 印パ停戦ライン(上)

「平和の橋」渡る使者


 ここはインドとパキスタン両国が六十年近くも領有権を争い、三度の印パ戦争の原因となったカシミール地方です。両国が支配地域を持ち、同地方は停戦ラインをはさみ分断されています。停戦ライン上に一本の橋がかかっています。紛争の平和的解決を進める両国はいま、双方の住民往来のためにこの橋を開放しています。「平和の橋」と呼ばれ、和平推進のシンボルとなっています。(パキスタン側カシミール、チャコティ=豊田栄光 写真も)


パスポート不要

写真

(写真)印パ停戦ラインの橋を渡るインド側から来た人たち=9月 28日、パキスタン側カシミール、チャコティ

 九月二十八日正午、橋の両側でインドとパキスタン両国の兵士が白旗を掲げます。鉄格子の門が開き、両国関係者が橋の中央で握手をします。もちろん丸腰、橋の上に武器は持ち込みません。

 分断されたカシミール住民が停戦ラインを越えて行き来できる日です。パスポートは不要、必要なのは許可証だけです。外国への渡航ではないのです。最大四十五日間の滞在が可能です。

 停戦ライン開放にともない、昨年四月からバスが走りはじめました。通称「平和のバス」、この乗客に越境が認められています。橋の部分は歩き、越境先でバスやチャーターした車に乗り換えます。

図

 ムザファラバード(パキスタン側)とスリナガル(インド側)を結ぶ路線は、ほぼ二週間に一回のペース。運行日、停戦ラインに隣接するパキスタン側のチャコティ村はにぎわいます。

 二十八日はインド側から五十九人、パキスタン側から六十三人が橋を渡りました。これまでの総数はインド側六百八人、パキスタン側八百五人となっています。

 橋の中央で乗客名簿を交換したインド側行政官グラム・ハーンさんは、「軍事的な最前線といわれるが、緊張感はない。こちらも、あちらも同じ人間。月二回ほど公式な対話をしているが、いまでは友人みたいに話している」と語ります。

16年ぶりの再会

写真

(写真)インド側に住む母親マラさん(左)と16年ぶり の再会をした息子のジャーン・モハマドさんは 涙を流して抱き合った=9月28日、チャコティ

 パキスタン側で乗客の荷物を運ぶムザマル・シャーさん(45)は、一九七一年の第三次印パ戦争のとき、インド軍の砲撃にさらされました。

 「戦争は破壊ばかりで庶民にもうけはない。平和は大歓迎、こうして仕事もできる。乗客は平和の使者だ」

 離散家族の十六年ぶりの再会もありました。息子のジャーン・モハマドさん(33)は、かつてインド側で母マラさん(50)とともに暮らしていました。

 「イスラム教徒への嫌がらせに耐えられずパキスタン側にやって来た」とモハマドさん。停戦ラインから五百メートルの検問所まで十六年ぶりに顔をみる母を迎えにやって来ました。

 「母さん」。その後はただただ抱き合い泣く二人。モハマドさんがかすれた涙声でいいました。「両国政府にありがとうといいたい。いまの平和を確かなものにしてほしい」(つづく)


 カシミール紛争 一九四七年、両国はヒンズー教徒中心のインド、イスラム教徒が多数派のパキスタンという形で、それぞれイギリスから独立しました。

 当時カシミール地方はイスラム教徒が多数派でしたが、ヒンズー教徒の藩王はインドへの帰属を表明。そのため帰属をめぐって四八年に両国の戦争へと発展しました。

 四九年、国連の仲介で停戦ラインが引かれました。両国はその後も、六五年と七一年に戦火を交えました。二〇〇四年一月、両国政府は紛争の平和解決に向け、包括協議を開始、現在に至ります。


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp