2006年9月24日(日)「しんぶん赤旗」
ビキニ被ばく・故久保山愛吉氏を追悼
核兵器廃絶を訴え
静岡・焼津市
米国による太平洋ビキニ環礁での水爆実験で被ばくし「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」の遺言を残した第五福竜丸元無線長、故久保山愛吉氏を追悼する焼津行動が命日の二十三日、静岡県焼津市で行われ、二百十人が参加しました。
午前はJR焼津駅前から故久保山氏の眠る弘徳院まで平和のうたごえを響かせながら墓参行進。
元漁船員の男性(78)は「愛吉さんをよく知っている。ビキニ事件当時、マグロが売れなくなり太平洋からインド洋に漁場を移して操業した。核兵器はなくなってほしい」と行進を見送りました。
墓前の誓いのつどいでは、主催者の「2006年3・1ビキニデー静岡県実行委員会」の田代博之代表が「核兵器廃絶の運動を飛躍させて久保山さんの遺言にこたえよう」とのべ、原水爆禁止世界大会実行委員会、日本原水協があいさつ。
県内代表が「『殺されたら殺す、先手を打って相手を殺す』手法は永遠の怨念(おんねん)の連鎖を残す。平和をつくる一本のくいとなるようがんばる」(県宗教者平和懇談会)、「『愛吉・すずのバラ』(久保山夫妻が育てていたバラ)を広げる活動などで青年にビキニ事件を知らせていく」(NPO県青年団連絡協議会)などと墓前で誓いました。
午後は「9・23焼津のつどい」が焼津市役所議会棟内で開かれ、来年の3・1ビキニデーの成功をめざすアピールを採択しました。戸本隆雄焼津市長がメッセージをよせました。
東京・夢の島公園でも
東京・江東区の夢の島公園でも同日、久保山さんをしのび、核兵器廃絶を願う多彩なつどいが開かれました。
約百人の参加者が開館三十周年を迎えた第五福竜丸展示館を見学し、「核兵器と人類は共存できない」と、久保山さんの碑に献花しました。
「第二十回第五福竜丸のつどい」(原水爆禁止東京協議会と原水爆禁止江東協議会、同江戸川協議会の共催)では、国際問題研究者の新原昭治さんが「アメリカの核戦略の歴史と第五福竜丸事件」と題して講演。米ワシントン州オリンピア市の非核条例制定などにふれ、「第五福竜丸事件を契機に全国に広がった原水爆禁止運動は、世界を動かしていることを実感できる」と訴えました。
大阪・広島両地裁で勝訴判決を勝ち取った原爆症集団訴訟の山本英典・東京原告団長は「私は長崎で被爆した。第五福竜丸事件は、世界情勢を変えたばかりか被爆者も変え、広島・長崎の被爆者が体験を語るようになった。原爆被害がどんなに残酷なものか。いま声をあげていかなければ」と裁判所を動かした熱い思いを語りました。
「第十四回平和を語る第五福竜丸の集い」(第五福竜丸で平和を語る会主催)では、紙芝居、朗読劇、歌や音楽、語りなどで核兵器廃絶への思いをアピールし、久保山さんをしのびました。