2006年9月18日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

子どもも地元も 生きいき

学校給食 自校調理方式


 学校給食を民間委託や大規模センター化する動きがあるなかで、子どもたちが体験を通じてよい食生活を学び、健康で元気に成長するよう、自校調理方式を堅持している自治体も少なくありません。群馬県高崎市と高知県南国市を紹介します。


安心・安全な地場食材

合併後も広がるとりくみ

群馬・高崎市

地図

 高崎(たかさき)市は東京から新幹線で一時間足らず、群馬県の玄関口として発展してきました。一月と十月(予定)の二度の合併で三十四万人を超える県下最大の都市となります。

 合併前の高崎市では(1)五十三のすべての小中学校、幼稚園、養護学校で自校方式(2)栄養士を全校園に配置(3)ドライ方式の調理場(調理場の床を乾いた状態で使うシステム。汚水の飛散による食材の二次汚染を防止できる)―と特色ある学校給食を実施してきました。

「教育の一環」

 高崎市のこのような給食は▽「学校給食は教育の一部」という明確な姿勢を教育委員会が持っていること▽栄養士が六つのグループに分かれて、安全衛生対策、地域の食材を利用した献立の開発、家庭に知らせる広報のあり方などの集団研究を重ね、健康教育目標や給食年間計画作成に生かしていること▽給食技士(調理員)も給食のスタッフとして食教育の一端を担っていること―など給食にかかわるさまざまな人たちに支えられています。

 八月に名古屋市で開かれた自治体学校・学校給食分科会で、三井久味子さん(元高崎市教委健康教育課長、元学校長)が「高崎市では『給食は教育』という方針で一貫しています。調理員も教育のスタッフとして誇りを持って、栄養士と一緒に教室を回り『今日の煮物は食感を生かすために、サトイモもニンジンも別々に煮てから合わせたんだよ』などと話してもらっています。子どもに食べることの大切さを知ってほしいからです。民間に委託されたら教育ではなくなってしまいます」と紹介し、感銘を与えました。

85年スタート

 一九八五年から三年かけて自校方式による中学校の給食がスタートしました。そこにいたるまでにはPTAや新日本婦人の会などの市民運動と、それを受けての教育委員会内部の小委員会での検討や、父母、教職員へのアンケート活動、議会での十二年にわたる日本共産党の粘り強い論戦など、多くの関係者の努力がありました。

 地場産の安心・安全な食材を学校給食に利用しようという「地産地消」もほとんどの学校・園で取り組まれ、高崎産野菜の使用量は25%を超えます。

 一月に合併した旧町村の給食センター方式も併存しています。しかし、市教育委員会は「旧町村の給食センターや学校の建て替え時には自校方式への移行を検討する」という明確な方針を三月議会で示し、旧群馬町のマンモス校解消のために新設される小学校には給食室が設置されます。

 「学校給食は本市の誇れる財産」(九九年六月議会での教育長答弁)という言葉は給食関係者の思いを代弁しています。(高崎市議・飯塚俊彦)


育てて食べる喜び

クラスごと一升炊き炊飯器

高知・南国市

地図

 高知県南国(なんこく)市では十三の全市立小学校で調理室を備え、二〇〇三年度から週五回、家庭用の一升炊きの電気炊飯器で炊いたご飯の給食を配膳(はいぜん)しています。同市の中山間地の棚田でとれた米をつかっています。

後免野田小で

 市立後免野田(ごめんのだ)小学校(大石美佐子校長、児童数百六十三人)の一年生の教室では、係の児童たちが炊飯器からご飯を茶わんに盛っていきます。

 栄養教諭の石川利恵さんが、児童に「学校の近くの人がつくってくれたお野菜が二つ使われています」と、タケノコ、サントウハクサイのことを説明します。

 そして、みんなで「いただき、まーす」。

 同校では二〇〇三年度から野菜づくりを始めました。校内の三カ所と学校の前(地域の方に借りた畑)に菜園をもうけて、生活科(一、二年生)、総合的な学習の時間(三年生以上)を、主に野菜づくりにあてています。

 「自分たちが育てた野菜を全校のお友だちが食べてくれる。そこに値打ちがあります」と、大石校長はいいます。

 給食の時間に「きょうは私たちの学年が育てたブロッコリーを給食に使っています」と校内放送がひびきます。他の学年からは「おいしかったよ。ありがとう」という手紙が届きます。

 「土を耕すことで心を耕していってもらいたいと思っています。子どもたちは給食をほとんど残さなくなりました。野菜づくりの苦労や喜び、旬の味を食べる喜びを知ったからでしょうね」と、大石校長は語ります。

学校ごと献立も

 「『つくる給食』から『食べる給食』へと目指してやってきました。子どもが喜んで食べてくれて初めて『良かった』になるのではないでしょうか。残したら『おかずがおいしくなかったんだろうか。体の調子が悪いんだろうか』と先生たちは考えています」

 西森善郎市教育長は語ります。

 「一九九七年度に実験的に二校で大釜で炊飯しましたが、調理の人たちが重くて大変でした。途中から一升炊きの電気炊飯器でクラスごとに炊きました。炊きたての湯気が立っているご飯です。食べ残しがぐっと減りました」

 翌年度から全市立小学校で家庭用炊飯器による自校炊飯を始めました。当初は週に三、四回でした。

 南国市の野菜の使用は、年間の平均では20%台です。

 西森教育長「いまは全校の統一献立ですから、『南国市の野菜を』といっても全部はまかなえないときがあります。今後は、学校ごとの献立を増やし、その時期にとれる野菜を見ながら献立をつくっていってはどうか、と考えています」と話します。

 南国市の挑戦は続きます。(藤原義一)


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