2006年9月18日(月)「しんぶん赤旗」

被爆者がテロ・戦争被害者と交流

体験語る 「報復でなく核廃絶を」


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(写真)中山さん(奥)の話に耳を傾けるコロンビア大学の学生=11日、ニューヨーク

 9・11同時多発テロから五周年を機に、世界十七カ国からテロや紛争・戦争の被害者ら三十人がニューヨークに集まり、米国の9・11テロ犠牲者の家族でつくる「平和な明日を目指す9・11家族の会」とともに国際ネットワークを立ち上げました。日本からは原水爆禁止日本協議会(原水協)の朝戸理恵子さんと、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の中山高光さん(77)が参加し、同ネットワークに加盟しました。

犠牲者として

 十一日には、コロンビア大学で、世界各国の参加者が学生を前に体験を語りました。被団協の中山さんは被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えました。

 中山さんは、「グラウンド・ゼロ」を訪れ、「同じ犠牲者として涙があふれました」と静かに話し始めました。被爆したのは、爆心地から三キロの勤め先の長崎造船所の建物の中でした。爆心地から五百メートルの距離にあった寮に戻ると「建物はすべて崩壊し燃え尽き、一緒に住んでいた仲間は、黒焦げになって見分けもつかず亡くなっていました」と説明。「広島、長崎は、(爆心地から)一キロの範囲すべてが崩壊し、その日に十万人が亡くなりました」と述べました。

 被爆直後に自身が原爆初期症状で倒れながらも「命だけは助かった」こと、さらに原爆による放射能の影響を世界の目に触れさせないようにしてきた米国の政策にも触れました。中山さんは「海外に出て被爆体験を語る被爆者は一部です。多くが隠し続けています」と述べ、昨年、地元の熊本県で学校教師が原爆写真を肝試しに使った事件に触れました。

 同事件をきっかけに「私たち自身が語らないことを反省し、自分の子どものことも語るようにしました」と述べ、「日本でも原爆は六十年前のこととして忘れられようとしている」と語りました。中山さんは「原爆の影響は今も、深刻に続いている」と強調し、三人の息子の出産から成長する過程での健康状況を紹介し、家族が抱える被爆の影響を語りました。

共感と連帯が

 「私は勇気をだして語っています。核兵器は最悪の兵器であり、何があっても使ってはならないと訴えています」と力を込めた中山さん。一昨年、米国を訪れた被爆者がテロ犠牲者の「家族の会」に出会い、被爆者の「決して報復は求めない」という話に、共感し連帯が生まれたと紹介。米国の人々と「報復は求めない、再び戦争はしない、と力を合わせていきたいと思っている」と語りました。

 中山さんの話に学生たちは真剣に耳を傾けました。同大学院で平和教育を学ぶエマ・グロエツィンガーさん(23)は、「日本の被爆者が体験を語りたがらない状況に追い込まれたことを知り、ショックでした。被爆者の体験を多くの人が知るべきです。自ら声を上げる中山さんの姿にとても心を動かされました」と感想を語りました。

 エマさんは、五年前の入学直後の新学期に起こったのが9・11テロ事件だったと振り返りました。その後の米国政府の反応が「暴力の文化の継続だったことが悲しい」と述べ、「米国と世界の知性を持った人々が知恵をあわせ、より良い平和な世界をつくることができると信じています。そのためには粘り強い努力が必要です」と語りました。(ニューヨーク=鎌塚由美 写真も)


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