2006年9月18日(月)「しんぶん赤旗」

9条の国で

過半数世論めざし

“福祉発祥の地” 戦争の真実語る

「平和でこそ」と住職・医師…

大分・日田市


 自民党総裁選で安倍晋三官房長官が改憲を「政権公約」に掲げるもと、「九条を守る過半数の世論を」と人々のねばり強い運動が草の根で広がっています。大分県日田市の「憲法九条を守る日田の会」もその一つです。(名越正治)


地図

 市内中心部にある日蓮宗妙栄寺。ドーン、ドーンと重厚な太鼓の音が夕闇に響きます。毎夕行う十分間の「お勤め」。

法事の席で「靖国」質問

 住職の掛橋泰定さん(52)は、浅緑の作務衣(さむえ)姿で「いま、これを読んでいるんですよ」と話し始めました。

 手には、安倍官房長官の著書『美しい国へ』。最近、法事でお膳(ぜん)になったとき、「靖国問題をどう考えておられるのですか」と質問が出たといいます。

 掛橋さんは、こう答えました。「いろんな考え方があると思いますが、戦争責任者を神として祭るのは問題があり、首相の靖国参拝のように戦争への反省もなく、憲法も改定したいという立場をとっていることは仏教徒としては反対です」

 近くに座っていた人たちがうんうんとうなずき、「あの戦争がどんなに悲惨だったのか、話せる人が少なくなったな」「私らが伝えていかんとあかんなあ」と話題になったといいます。

 掛橋さんは、「憲法九条を守る日田の会」の副代表です。「仏法は、争い、殺生はしないと教えている。会に入らないのは、信念からもひきょうなことではないか」と快く引き受けました。

 会が七月中旬に九条を守るリレートークを実施した際、生まれて初めて街頭でマイクを握り、ビラも配りました。「頑張ってください」と声援がある一方で、無関心な人もあったといいます。

 「どんな名目であっても戦争は罪悪であることを伝えるのが宗教者の責務です。戦禍に苦しみ、悲しみ、あえぐ人々の姿に思いを重ね、その人々とともに歩むために力を尽くしたいと思います」

美林は一変 軍需工場に

 「ほら、あそこにあります」。水がわき出て、日田杉がうっそうと茂る林の中を諌元慎一さん(77)が指さしました。その先に直径二メートル足らずの穴が開いています。

 入り口を木でふさがれている穴は、太平洋戦争末期の一九四四年、北九州にあった日本最大級の軍需工場、小倉造兵廠(しょう)を日田に疎開させた第二製造所の跡でした。

 米軍の攻撃をのがれるため、市内を取り囲む丘陵部の古墳の中に工場を建設し、高射砲や機関砲、砲弾を製造しました。全市が軍需工場と化し、寺院、学校、民家までが工場労働者と家族の宿舎にあてられました。

 諌元さんは工場建設直前の同年八月、志願して入隊し、三重県や宮崎県の通信隊を転々として終戦五日後に帰郷します。

 自分の山林に建設された軍需工場を見てびっくりします。樹齢四十―五十年の日田杉がばっさり切り倒され、機械類があちこちに散らばり、美林は一変していました。

 「敗戦と故郷を壊されたショックを癒やす間もなく、機械類を盗まれないようにと自警消防団の一員として駆り出されました。何十日も警備に当たり、戦争が続いていたようでした。あんな目には子や孫をあわせたくない」と諌元さん。その後、消防署に入り、消防署長として市民の安全と防火防災に尽力します。

子どもたち健やかにと

 一月に発足した「ひた『女性九条』の会」よびかけ人の一人、諌元正枝さん(71)=元中学校教師=は、諌元慎一さんと同じ町内で、自宅に八人の工場労働者と家族が同居し、自身は六畳一間に母と姉妹三人が住んだ経験をもっています。

 正枝さんはいま、「九条」ハートキルト運動にとりくんでいます。十六センチ四方の布をカンパしてもらって、そのうえに、会がつくった「九」の字を縫い付け、タペストリー(壁掛け)をつくろうというものです。

 「千人の女性が心をつなぐのが目標です。賛同者は七百人を超えました。『戦争はいかん』『子どもたちを健やかに成長させたい』など女性の願いを改憲を押し返す平和の大きな流れに合流していければ。十月末の日田母親大会でお見せしたいと思っています」

命を大切に 思いは同じ

 江戸時代、幕府の直轄地、天領の日田は“福祉発祥の地”ともいわれています。慈悲深い土地柄と豪商が栄え、「ここなら、この子を育ててもらえる」と赤ん坊を捨てていく親が相次ぎました。

 医師の諌山菽村(しゅくそん)が自費で養育していましたが、日田県知事の松方正義を説得し、豪商から基金も集め、捨て子や孤児、困窮家庭の子どもたちのための養育施設を日田に建設します。施設は一八七三年に閉鎖するまでの四年間、三百六十人余を養育したと記録されています。

 会の代表、石田守夫さん(71)=元市医師会長=は二代続く産科医です。「戦争放棄を明記した憲法九条とともに、『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とうたった二五条が大切です。医師からみれば、健康ですごせるのは、間違いなく平和であってこそです」

 石田さんの父は、まちに産科医がいないと訴えた知人の誘いで一九三四年、日田で開業します。父のもとで勤務し、後を継いで以来四十数年、取り上げた新生児は「数万人」といいます。

 「産科医は、重労働の割にはひとつ間違えば新しい命に重大な支障をきたすこともあり、成り手が少ない」と石田さん。「でもね。誕生する瞬間はとても感動的です。命を大切にしなければという願いと憲法を守る思いがぴったりなんです。私のケアハウスの近くでも軍需工場跡で直径十メートルもの穴がほうけ(崩れ)ましたが、いま、戦争の真実を語り継いでいくことが非常に大事です」


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