2006年8月30日(水)「しんぶん赤旗」
スリランカ内戦激化
難民多数、インドへ
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【ニューデリー=豊田栄光】スリランカ政府と同国少数民族タミル人武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)による内戦が激化する中、タミル人難民が海を渡り、インド南部タミルナド州に次々とやって来ています。今年に入りその数は八千五百人を超えています。八月二十日には一日で五百五十人が上陸しました。
インドとスリランカを隔てるのはポーク海峡、最短十八カイリ(約三十三キロ)です。難民の大半はスリランカ北西部の町マンナールやタライマンナールで密航船に乗船、インドのラメシュワラムなど対岸の町をめざします。
双方に恐怖心
難民は家族連れがほとんどで、密航請負人に一人あたり日本円で約三千五百円を支払い、かばん一つの荷物で避難してきます。インド海軍や沿岸警備隊は難民に寛容で、海軍関係者は「逮捕しないようにしている。密航の危険度が高まれば、費用もかさむから」と語っています(英字紙インディアン・エクスプレス)。
上陸した難民は取り調べを受け、戦争難民だと分かると、難民キャンプに収容されます。タミルナド州には現在、百三のキャンプがあり、五万六千人が暮らしています。同州政府は現在、一家族につき月額四百ルピー(約千百円)の現金を支給しています。
難民はスリランカ政府軍とLTTE双方に恐怖心を抱いています。「政府軍にLTTEの支持者とみられると拷問を受ける」「三人の徴兵をLTTEに命じられたので逃げてきた」などと語っています。
「親せき関係」
スリランカでは、多数派で仏教徒中心のシンハラ人と少数派でヒンズー教中心のタミル人による内戦が、一九八〇年代から続いています。タミルナド州には、同じ言葉を話す多くのタミル人が生活し、スリランカのタミル人と親せき関係にある者もいます。
二〇〇二年、スリランカ政府とLTTEは停戦で合意、当時タミルナド州にいたタミル難民の一部はスリランカに帰還しました。しかし、停戦合意の破棄は宣告されていないものの、今年三月以降、武力衝突が再度激しくなりました。
インドは一九八七年、スリランカ政府とLTTEの和平を仲介、LTTEの武装解除の監視役として六千人の国軍兵士を派遣しました。しかし、LTTEと対立、武力衝突へと発展しました。九一年にはインドのラジブ・ガンジー首相が国内で暗殺されました。インド政府はLTTEの犯行と断定しました。
こうした歴史的経過から、インド国内ではタミル難民に対して必ずしも同情的ではなく、難民受け入れによるスリランカ内戦への関与を嫌う風潮もあります。インド政府は仲介外交にはきわめて消極的です。


