2006年8月19日(土)「しんぶん赤旗」

被爆者、米で証言

議会・教会・キャンパス…英語で 日本語で

“議論の波紋起こす一石に”


 ワシントンの反核・平和組織ヒロシマ・ナガサキ平和委員会の招待で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の三人の被爆者が三日から十三日まで訪米し、核兵器廃絶と戦争反対を訴えました。これは同委員会が一九八三年からほぼ毎年取り組んでいるもので、これまでに約三十人の被爆者が訪れています。今回も広島、長崎の原爆の日に開かれた集会や米議会での討論会に出席したほか、地域の教会などでも被爆体験を証言しました。(ワシントン=山崎伸治)


 七日夜、ワシントンから車で約四十分ほどのバージニア州マナサスにある教会を二人の被爆者が訪問しました。マナサス同胞教会はほぼ毎回、訪米する被爆者を招いています。

 広島で被爆した児玉昭太郎さん(76)=東京都原爆被害者団体協議会(東友会)=と長崎で被爆した吉村和弘さん(65)=埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)=は、いずれも海外で被爆証言をするのは初めてです。

小学生も参加

 教会では、ネバダ核実験場の風下地区の元住民、デニス・ネルソンさんも加わり、三人が体験を語りました。英語で力強く訴える児玉さん、日本語で言葉を確かめるように語る吉村さん。約二十人が聞き入りました。

 教会の牧師、ナンシー・フィッツジェラルドさんは、「池に石を投げれば波紋が起きます。そのように被爆者が石となって、議論を引き起こすことが大事です」と語ります。

 ビデオを撮影する小学生がいました。マシュー・フェネマ君は学校の課題で「広島・長崎への原爆投下」について調べていました。「十分間の報告をしなければならない」と被爆者の話を一生懸命聞いていました。

 翌八日午前、二人はワシントン郊外のシルバー・スプリングにある教会を訪ねました。三歳から十歳までの三十人が参加する「平和キャンプ」が行われていました。

 吉村さんは「平和のことを勉強して、大きくなってください」、児玉さんは「友だちとはけんかをしないで、仲良くしましょう」とあいさつ。工作の時間には折り鶴の作り方を教えました。

 九日。二人はワシントンから北東に車で一時間ほどのメリーランド州ボルティモアを訪ねました。

 現地の反核・平和組織は二十二年間、毎週火曜と金曜、ジョンズ・ホプキンズ大学前で、同大学の応用物理学研究所が核兵器開発に携わっていることに抗議する行動をしています。九日は水曜日でしたが、長崎原爆の日であることから、抗議行動を行いました。参加者の手には被爆直後の浦上天主堂のパネル写真もありました。

 大学内にある公園で被爆者の証言を聞く集会が開かれました。夕日の差し込むあずまやで、鳥のさえずりを聞きながらの集まりでした。

感動の留学生

 折り鶴の柄のネクタイを締めた男性がいました。同大学医学部のリチャード・ハンフリー博士は「年に二回だけ、八月六日と九日にこのネクタイを締めるんです」。ネクタイに気づいて声をかける人に、広島・長崎の原爆投下について話すといいます。

 今年は日本からの留学生が博士に声をかけました。誘われるままに集会に来た二人の留学生(いずれも二十二歳)は、「被爆者に会ったのは初めて。米国に来て初めて話をしました」と感動した様子でした。

 「ブッシュ政権の核政策は世界を核戦争の瀬戸際まで追い込んでいます。被爆者が果たす貴重な役割は(核兵器の)真実を語ってくれることです。可能な限り被爆者を受け入れ、米国民と直接対話する機会を設けたい」―ヒロシマ・ナガサキ平和委員会の代表のジョン・スタインバックさんは語ります。


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