2006年8月19日(土)「しんぶん赤旗」

自民総裁候補と小泉政治

靖国問題

首相の連続参拝を後押し


 靖国問題、アメリカいいなり外交、財界直結…。小泉純一郎首相(自民党総裁)の九月退陣を前に「小泉政治とは何だったのか」が問われています。総裁選で安倍晋三官房長官ら「ポスト小泉」候補は独自色を出そうと試みます。しかし、その小泉政治を現職閣僚、党幹部として推進してきたのは彼ら自身です。「ポスト小泉」候補の責任をシリーズでみます。(随時掲載)


 「総裁選に立候補した際、八月十五日に参拝するとおっしゃっていた。そのお気持ちで参拝されたんだろう」(安倍晋三官房長官)

 「公約を実行されるお気持ちがお強かったんじゃないのか」(麻生太郎外相)

 「公約を踏まえて一つのけじめをつけられた」(谷垣禎一財務相)

 小泉首相の「8・15靖国参拝」に対する「ポスト小泉」候補の受けとめです。二〇〇一年総裁選で掲げた首相の「公約」をそろって持ち出し参拝を容認。首相参拝に起因した日本外交の深刻なゆきづまりは明々白々なのに、首相をいさめませんでした。「私どもはそういう小泉さんを総裁選でも推してきた」(谷垣氏、十五日)からです。

次もその次も

 首相の靖国参拝は一九八五年の終戦記念日に中曽根康弘首相が行った後、中断。九六年に橋本龍太郎首相が参拝しましたが、その後は小泉首相になるまで一人も参拝しませんでした。

 侵略戦争を正当化する靖国神社は、靖国参拝を一大国家行事にし、「靖国史観」を日本の国論に格上げしようとしています。小泉首相は連続参拝を実行することで、この“靖国”派の要求を正面から受け入れた最初の首相です。

 「ポスト小泉」候補は、この首相の連続参拝を後押ししてきた責任があります。

 なかでも、安倍氏は首相側近として靖国参拝を称賛し、推進してきました。

 〇一年八月十三日の小泉首相の最初の参拝のときは、「ここ数年間、(歴代)首相の参拝ができていない中で、小泉首相が行かれた意義は大きい」と絶賛。小泉首相の靖国参拝に違憲の司法判断が出ても「判断を気にせず今後も参拝してほしい」(〇四年四月八日)と参拝反対の声を足げにし、「次の首相もその次の首相も当然お参りしてほしい」(〇五年五月二十八日)と首相参拝を日本の国策にする姿勢をとりました。

 自らも自民党幹事長、幹事長代理として八月十五日に連続参拝。小泉首相の靖国参拝を支持する「若手議員の会」(〇五年六月設立)の発起人も務めて側面支援し、内閣の要の官房長官就任後も、今年四月に参拝しています。

 安倍氏は「A級戦犯を含めた先の大戦の評価は歴史家の判断に任せたい」(今月十五日)などと侵略戦争への反省を回避します。しかし、「東京裁判はわが国が主体的に裁いたわけではない。彼ら(A級戦犯)が犯罪人かと言えば、そうではない」(二月十四日)というのが持論です。

総裁選で公約

 侵略戦争の無反省ぶりは麻生氏も同じです。

 もともと小泉総裁・首相誕生となった五年前の総裁選では麻生氏も出馬し、「国のために命をささげた人を最高の栄誉をもって接することを、国家で止めている国というのは(日本以外に)知らない」と靖国参拝を「公約」にしました。

 改憲右翼団体の日本会議と連携する日本会議国会議員懇談会会長も務め、政調会長当時は「創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」(〇三年五月三十一日)と事実をねじ曲げる暴言をはき、韓国から抗議を受けたこともあります。外相就任後も靖国神社の軍事博物館・遊就館の展示を「戦争を美化するという感じではない」(〇五年十一月二十一日)、「天皇陛下の参拝が一番だ」(〇六年一月二十八日)と発言。小泉首相とともに日本外交のゆきづまりを深刻化させた当事者です。

 谷垣氏は、〇三年の終戦記念日には国家公安委員長として靖国参拝しています。

 自らつくりだした小泉内閣の“負の遺産”に直面し、「参拝したかしなかったかについては申し上げるつもりはない」(安倍氏、今月四日)、「小泉総理の気持ちを丁寧に説明していく」(麻生氏、同十五日)とする「ポスト小泉」候補。日本会議など“靖国”派はさっそく「我々は、いかなる圧力を加えられようとも、毅然として靖国神社に参拝できる政治家こそ次期宰相にふさわしいと信じる」との声明をあげています。

表

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