2006年8月13日(日)「しんぶん赤旗」

御巣鷹に安全ねがう

日航機墜落事故21年

遺族ら追悼登山


 乗員乗客五百二十人が犠牲になった日航ジャンボ機事故から二十一年を迎えた十二日、墜落現場の群馬県上野村「御巣鷹の尾根」で遺族らが追悼登山を行いました。

 時折、日が差すかと思えば、小雨がぱらつく不安定な天候。登山道には、花束や供え物を手にした遺族らの姿がありました。緑が生い茂る急斜面に点在する犠牲者の墓標に、花束やゆかりの品を供えました。

 事故機の機長だった高濱雅己さん(当時四十九歳)の妻、淑子さん(62)=千葉市=は毎年、早朝に尾根を目指します。

 「航空の世界では、小さなミスが大きなミスにつながりかねません。日航は社員が一体となって空の安全を考えていってほしい」と話します。

 墜落地点に建つ「昇魂之碑」の前の広場では、二十一年前の夏、同じ悲しみを味わった遺族同士があちこちで再会を懐かしんでいました。高崎アコーディオンサークルの演奏に合わせ、犠牲者の孫など子どもたちがシャボン玉を飛ばしました。

 埼玉県から夫、邦夫さん(45)と、高二の二男と小三の長女を連れて来た小林由美子さん(47)は、当時タレントの“卵”だった弟、加藤博幸さんを亡くしました。二十一歳の若さでした。

 「こんなに、山道は整備されていませんでしたよ」と邦夫さん。「それはひどかった。義弟の遺品だった十円玉は、すごい力でひん曲がっていました」

 家族は、今年開設した日航の安全啓発センターにも行きました。由美子さんは「事故の記憶が薄れてきていないかと不安です。空の安全に携わる人は、一度この山に登ってほしい」。

 当時四十一歳の妹、澄子さんを亡くした愛知県の武田屶(たかし)さん(71)の手には、機体の残がいが握られていました。「御巣鷹の尾根」を訪れるたびに土の中からのぞく機体の破片を集めてきました。

 段ボールいっぱいになった残がいを、安全啓発センターに寄贈しました。昨年は、女性の頭がい骨の一部を見つけました。「今でも機体の破片や骨が埋まっているはずです」

 澄子さんは生存者四人の座席近くに座っていました。「あの時、少しでも早く、現場に救出がいったら、澄ちゃんは助かったかもしれない」

 それが今でも武田さんの胸を締め付けます。二度とあのような事故を起こさないでほしい―。それが遺族の願いです。(山田健介)


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