2006年8月12日(土)「しんぶん赤旗」
イスラエルのレバノン侵攻1カ月(上)
イスラム教シーア派民兵ヒズボラによるイスラエル兵拉致を契機としたイスラエルのレバノン侵攻から十二日で一カ月。レバノン国民はイスラエル軍の空爆にさらされ、イスラエルの国民もヒズボラのロケット砲攻撃を受けています。即時停戦を求める声が高まっているにもかかわらず、戦闘は激しくなっています。
経過・イスラエルの狙いは
イスラエルの攻撃は、ヒズボラによるイスラエル兵二人の拉致への報復として始まりました。イスラエルが空爆を開始すると、ヒズボラもロケット砲弾をイスラエル領内に撃ち込み、紛争はたちまちエスカレート。これまでにレバノン人千人以上が死亡。イスラエル側でも百人近くの死者がでています。
この戦闘で特徴的なのは、イスラエルが「自衛」と称して無差別、大規模に空爆し、民間人多数を殺害していることです。一九七五年から十五年続いた内戦から復興し、観光と中東の金融センターの位置を取り戻しつつあったレバノンの社会・経済基盤を再び荒廃させています。
イスラエルはさらに、レバノン南部に地上軍も侵攻させ、三十の村を破壊したと伝えられます。九日には南部の地上戦線拡大を閣議決定。国境から二十―三十キロ北のリタニ川まで侵攻させる方針です。これは二〇〇〇年五月までイスラエルが占領していた地域を再占領する動きともみられています。
イスラエルは当初、「ヒズボラの拠点をたたく」として攻撃を正当化していましたが、軍高官は「市民の生活・経済基盤そのものを攻撃する」のが目的だと認めています。無差別攻撃はレバノン国民の幅広い層から反発を受けており、イスラエルが「ヒズボラの武装解除」を目指せば、紛争はいっそう泥沼化することになります。(伴安弘)
市民の命奪う攻撃に批判
“国際法違反の戦争犯罪”
イスラエル軍は今回の侵攻で、多くの一般市民の命を奪い、道路や橋、空港などの民間施設を破壊しています。これは国際法違反の戦争犯罪だという声が世界中で起きています。
武力紛争時の民間人を保護するジュネーブ第四条約(一九五〇年発効)は、民間人は保護される権利を持ち、いかなるときにも基本的人権を保障され、尊重されるとしています。子どもとその母親や女性は特別に保護の対象とされています。
同条約は、食料倉庫、農業地域、飲料水施設や発電施設など生活に必要な施設への攻撃も禁じています。
世界の著名な裁判官、法律家、法学者でつくる「国際法律家委員会」(ICJ、本部=ジュネーブ)は七月二十一日発表の声明で、「イスラエルが戦闘行為に直接関与していない市民を意図的に攻撃していること」「無防備の町や村への空爆」は戦争犯罪だと告発しました。
イスラエルが「自衛」を主張していることに対しても、「その権利は制限され」ており、「不均衡で無差別の対応(攻撃)は報復行為、集団的懲罰であり、戦争犯罪だ」と指摘しています。
ICJはイスラエルの民間人に対するヒズボラの攻撃も戦争犯罪だとしています。
イスラエルが七月二十五日、レバノン南部の国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の軍事監視要員基地を爆撃(監視要員四人が死亡)したことも、「国連要員及び関連要員の安全に関する条約」に違反しています。(菅原厚)
挑発したヒズボラとは
「抵抗運動」に国内で支持
ヒズボラは二〇〇四年に、拉致したイスラエル兵三人の遺体と引き換えに、イスラエルにとらわれていたレバノン人やパレスチナ人四百二十九人の解放を実現したことがあります。その指導者ナスララ師は今回の拉致事件を前に、今年を「捕虜奪還の年」だと繰り返し公言。拉致の機会を狙ってきました。
ヒズボラは一九八二年、イスラエルのレバノン侵攻に対する抵抗運動として結成されました。パレスチナ解放機構(PLO)を巻き込んでレバノンの各宗派が争った内戦が九〇年に終結した後も、イスラエルの占領とたたかうとして武装解除を拒否。イスラエルは二〇〇〇年五月にレバノン南部から撤退しました。
米国はヒズボラをテロ組織に指定していますが、国内では一般市民も参加する「抵抗運動」とみなされています。テレビ局やラジオ局を運営するほか、病院、診療所、学校など福祉・教育活動も行っており、とりわけ貧困層から支持を受けています。
ヒズボラの政治部門は、九二年に総選挙に参加。〇五年の選挙では、シーア派政党アマルとともに、三十五議席(定数一二八)を獲得し、連立政権に参加。シニオラ政権にも二人の閣僚を出しています。
イランと関係が深く、ヒズボラ創設時にイラン革命防衛隊から指導を受けたほか、今も資金、武器を提供されています。
イスラエルの軍事侵攻は、ヒズボラの「抵抗」闘争への国民の支持を強める状況を生み出しています。(中村圭吾)(つづく)
レバノン 第一次大戦後、シリアの一部としてフランスの委任統治下におかれ、一九四三年に独立。面積は一万平方キロで岐阜県とほぼ同じ。人口は二〇〇六年の推定で三百六十万人。宗教は、シーア派(34%)、スンニ派(21%)、ドルーズ派(7%)、アラウィ派などのイスラム教徒が65%、マロン派(20%)、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、アルメニア正教、プロテスタントなどのキリスト教徒が35%(一九九六年推定)。各宗派が入り組んだモザイク国家と呼ばれます。
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