2006年8月10日(木)「しんぶん赤旗」

被団協50周年で祝賀会

市田書記局長あいさつ


 日本原水爆被害者団体協議会の結成五十周年祝賀会が九日、長崎市内で開かれ、全国から多くの被爆者や支援者が集まりました。

 日本被団協は一九五六年八月十日、長崎市で結成され、「核兵器廃絶」と「原爆の被害に対する国家補償」を求めて運動してきました。それから半世紀、いま被爆者の平均年齢は七十三歳を超えようとしています。

 日本被団協の坪井直代表委員は「五十周年というのは、ただ歳月が流れ到達したものではない。われわれが運動を一歩、二歩、三歩と着実に積み重ねてきた努力の結果の上に築き上げたものだ」と強調。原爆症の集団認定訴訟が大阪地裁につづき広島地裁でも勝訴したことにふれ、「五十周年を一つの節目として、今度はもう一つの柱、核兵器廃絶を世界に向けて発信するため、がんばっていきたい」と訴えました。

 日本共産党からは、来賓として市田忠義書記局長、仁比聡平参院議員らが出席。市田書記局長は、五十年にわたる被団協の運動に敬意を表するとともに、「核兵器廃絶、原爆症認定制度の抜本的な見直しのために党派を超えて全力をあげて奮闘する」とあいさつしました。

 祝賀会には長崎市の伊藤一長市長も駆けつけ、あいさつ。長崎県の金子原二郎知事がメッセージを寄せました。


綱領に核兵器廃絶を掲げる党として全力

市田氏あいさつ

 日本共産党の市田忠義書記局長が日本被団協の結成五十周年祝賀会でおこなったあいさつ(大要)を紹介します。

 長崎市主催の平和式典に参加してきました。そこで、伊藤市長が読み上げた長崎平和宣言は、胸をうつものがありました。その一節に、こういうくだりがあります。

 「六十一年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語りつづける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます」

 大阪地裁につづいて広島地裁でも原爆症の集団認定訴訟の勝利判決を受けて、被団協の五十周年を迎えられたことを心からお喜び申し上げます。

 ただ、原告団百八十三人のうち、すでに二十四人の方が亡くなられています。そして、被爆者手帳を交付されている二十六万人のうち、原爆症と認定された人はそのうちの0・8%です。

 みなさん方の長いたたかいを考えますと、今日の、この五十周年を核兵器廃絶条約の合意を勝ち取り、被爆者への国家補償が認められたことを喜び合う五十周年だったら、もっと喜びは大きかったと思います。

 しかし、みなさん方が世界の人々に広げてこられた核兵器廃絶の声は、誰もおしとどめることはできません。原爆の被害をわい小化して切り捨てる国の被爆者行政の誤りも、相手が反論できないところまで追い込んできました。

 「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」という強い気持ちで立ち上がられたみなさんのたたかいは今、世界を動かしつつあります。

 私たち日本共産党は、綱領に核兵器廃絶をかかげる党として、再び戦争をする国にしてはならない。何より、再び被爆者をつくらない。そして、原爆症認定制度のあり方を抜本的に見直させるために、党派を超えて力をあわせて奮闘することを申し上げてごあいさつとします。


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