2006年8月7日(月)「しんぶん赤旗」
焦点 論点
金大中事件 33年の夏
もう言い逃れできない
一九七三年に起きた韓国大統領候補(後に大統領)金大中氏の拉致事件が、当時の韓国中央情報部(KCIA)による組織的犯行だったことを公式に認めた報告書を、韓国政府が近く発表するといいます。この八月八日が事件から三十三年の夏となります。
事件は、白昼の東京都心で引き起こされました。靖国神社にほど近いホテル・グランドパレスに滞在中の金大中氏が拉致され、殺害の危機にさらされたのです。韓国に連れ戻され解放されたのは五日後のことでした。
当時、金大中氏は米国や日本を足場に、本国の朴正熙軍事独裁政権との政治闘争を展開しており、朴政権から敵視されていました。また、現場から当時の韓国大使館一等書記官でKCIAとみられた金東雲の指紋が発見されていました。このため事件直後から韓国の公権力=KCIAによる犯罪であることは明らかでした。
事件をもみ消す
日本共産党は、真相究明とともに、侵害された日本の国家主権の回復と、金大中氏の原状回復の措置を韓国側にとらせるよう日本政府に要求。国民的な抗議行動も広がりました。
にもかかわらず、日本政府がおこなったことは、韓国政府との間で七三年十一月(田中内閣)、七五年七月(三木内閣)の二度にわたる「政治決着」であり、事件のもみ消しでした。
歴代の韓国政権もKCIAの関与を否定してきました。
これにたいし、盧武鉉政権が近く公表する報告書は、当時の李厚洛KCIA部長が指示しKCIAが組織的に実行した事件であると断定、韓国政府としてはじめて公権力の関与を認めます。日本の主権と金大中氏の人権を踏みにじり両国民を欺きつづけた「政治決着」の犯罪性を、白日のもとにさらけだすことになります。
問題の政治決着が、実は日本政府から働きかけたものだったという事実も見過ごせません。韓国政府がことし二度にわたって発表した外交文書がそのことを明らかにしています。
それによると、七三年十一月の、田中首相と韓国首相とのいわゆる第一次政治決着のさい、田中首相は捜査を継続するがそれは「建前」であり、「日本側の捜査は終結する」「これでパー(終わり)にしよう」と表明。表向きは、金東雲の捜査を継続するとしながら、実際はKCIAの犯行を不問に付したのです。
真相究明の責任
歴代自民党政権はその後も国会で追及されるたびに、「政治決着を見直すに足る新たな証拠が出ていない」「現在のところ公権力の介入を裏付ける新たな事実はない」との答弁を繰り返してきました。
しかし、一方の当事国政府がここまで明確に自国の公権力の関与を認めているのです。「新しい問題が提起されるということになれば、その時点において事態をよく判断して適切な処置をとる」(七七年二月)と答弁したのは、当時の福田首相です。その言にいつわりがないのなら、文字通り「新しい」事態が提起されたのであり、日本政府の言い逃れはもはや許されないのは明らかです。
盧政権の報告書を待つまでもなく、直ちに政治決着の見直しに踏み切るとともに、金大中事件の真相についてみずからの手で明らかにし、関係資料を公開するべきです。これが金大中氏と日韓両国民にたいする日本政府の最低限の責任であり、今後の日韓関係を考える上でも避けて通れない課題です。
(近藤正男)

