2006年7月31日(月)「しんぶん赤旗」
12年前親子でCO中毒 後遺症いまも
一連の事故と知ったいま
パロマは謝って
「もとの体にもどしてほしい」。東京都武蔵野市の女性=当時(19)=は十二年前、パロマ工業の瞬間湯沸かし器で一酸化炭素中毒になり、家族の発見で命は助かったものの後遺症などで、いまだ癒やされない体と心の傷を涙ながらに語りました。パロマ側は、「湯沸かし器を設置した販売・工事会社の問題」として謝罪を拒否しています。(山本眞直)
一酸化炭素中毒が起きたのは一九九四年二月一日午後八時すぎ、武蔵野市の自宅浴室でした。シャワーの温度が急に下がるなど「おかしい」ので、給湯元である脱衣所壁に設置されている湯沸かし器の点火スイッチの様子を見ているときでした。突然意識がなくなり、その場に倒れました。
湯沸かし器は日ごろから水温が急に下がるなどの不具合があり、この日は使用中に聞きなれない音がするなどの異常が起きていました。
娘の異変を察知した母親が「すぐ浴室から出なさい」と声をかけ、脱衣所に飛びこみました。倒れている娘に「どうしたの」と声をかけると同時に、母親も倒れこみました。
浴室と脱衣所には一酸化炭素が充満していたのです。
直後に帰宅した姉が二人を発見、救急車で赤十字病院に運び込まれました。担当医が姉に告げたのは、「あと一分遅かったら危なかった」。
女性は気を失って倒れた時、足元に置いてあった電気ストーブに左足がふれ続けたため、ひざをやけど、重傷でした。
二人の中毒症状は四、五日で「治癒した」と言われました。しかし女性のやけどはひどく、他の部位からの皮膚の移植手術を余儀なくされました。
原因わからず
医師は「手術は成功した」と言いましたが、手術痕がいまも生々しく残されています。
女性は当時、専門学校生でした。「手術痕があるためにミニスカートもはけず、大好きだった海やプールにも行けなくなりました。温泉旅行でも家族風呂にしか入れませんでした」。気に入っていたものも含めスカートをすべて処分したときは、「悲しかった」。女性の目から止めどなく涙があふれました。
事故の原因もわからず、やりばのない怒りとつらさで、「どうしてこんなことになったのだろう」と十二年間苦しんできました。
病気がちになり、旅行や通院先で治療中に倒れるなど原因不明の後遺症が続いています。
姿勢を批判し
二人を襲った一酸化炭素中毒事故が、一連のパロマ湯沸かし器事故だったことを知ったのは、マスコミからの連絡と事故の一覧資料を掲載した「しんぶん赤旗」(二十日付)でした。「94年2月1日 東京都武蔵野市 2人入院」とあったからです。
女性家族の問い合わせに東京ガスは「一九八〇年から八七年にかけて販売されたものではないか」と通知してきました。
母親はパロマの姿勢を批判します。
「記事を見て、怒りで体がふるえました。私たちも長女に発見されなかったら二人とも死んでいたかもしれません。幸い命はとりとめましたが、娘は人生を大きく変えられてしまいました。パロマは事故の多発を知りながら販売を続け、利益をあげてきたんです。エイズ発病の危険を知りながら非加熱製剤を売り続けた製薬会社や水銀などを不法投棄しつづけた水俣病と同じです」
女性は涙で赤くなった目で言いました。
「中毒は単なる事故と心にフタをして考えないようにしてきた。パロマが原因とわかり気持ちの負担が上乗せされそうでつらい。パロマはちゃんと謝ってほしい。私の体と心の傷を治し、元の私にもどしてほしい」

