2006年7月21日(金)「しんぶん赤旗」

イスラエルのレバノン攻撃

「度を越した戦争」と国際的批判高まる

ヒズボラの挑発にも


 レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラによる襲撃・兵士拉致への報復として始まったイスラエルのレバノン攻撃が激しさを増しています。ヒズボラ側もロケット砲攻撃を続けています。戦闘のエスカレートで多数の市民が犠牲になり、事態のいっそうの悪化が懸念されています。

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 イスラエルは自ら仕掛けた一九六七年の中東戦争でパレスチナ領土(ヨルダン川西岸とガザ地区)だけでなく、シリアのゴラン高原などを占領。さらに、七八年三月にレバノン南部に侵攻。八二年には首都ベイルートまで地上軍が侵攻してパレスチナ解放機構(PLO)を追い出し、その後も、レバノン南部の占領を続けました。

 イスラエルは二〇〇〇年五月に同地域から撤退したものの、シェバ農場(四十五平方キロ)には居座ったままで、レバノン側はその返還を要求しています。

 イスラエルが侵攻した八二年ごろイランの支援でつくられたヒズボラは、レバノン南部が占領されている間、イスラエルの軍と領内への武力攻撃を継続。イスラエルは九三年、九六年などに大規模作戦を展開してきました。

 ヒズボラは二〇〇〇年のイスラエル軍の撤退を「軍事的勝利」として誇示。それを背景に一定の国民の支持を集め、議会に進出し政府にも参加しています。

 イスラエルがレバノンの領土を占領していることを背景に、十二日のヒズボラによる襲撃(イスラエル兵八人が死亡)・兵士二人の拉致事件が起きました。

 この襲撃の理由についてヒズボラの党首ナスララ師は、イスラエルに捕らわれているレバノン人とイスラエル兵との交換とともに、イスラエルに捕らわれている数千人の「パレスチナ人に国際的な目を向けさせる」ことをあげました。

 イスラエルはこの事件に先立って、イスラエル兵の拉致を理由にパレスチナ・ガザ地区に大規模侵攻。今も同地区でパレスチナ人に対し無差別攻撃を続けています。

 イスラエルは、拉致された兵士の返還とヒズボラの脅威を取り除くとしてレバノン攻撃を開始しました。しかし、国際空港をはじめレバノン全土の道路や、内戦(七五―九〇年)終結後に築かれてきたインフラ(社会基盤)を破壊。レバノン軍基地への攻撃とエスカレートし、何の関係もない一般市民が多数犠牲になっています。その攻撃は、拉致やロケット砲攻撃への報復として正当化できない規模になっており、「度を越した戦争行為」(仏外相)と国際的に非難を浴びています。

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 イスラエルの空爆へのヒズボラによる反撃でイスラエルが衝撃を受けたのは、国境から四十キロ以上離れた大都市ハイファが三十発ものロケット弾の攻撃にさらされ、八人が死亡したことです。ヒズボラがもつ従来のカチューシャ砲の飛距離は二十キロ。新たなロケット砲はイランからの供給といわれます。ナスララ師は「この数カ月間に総計一万二千発のミサイルを入手した」ことを認めています。(十五日付仏紙フィガロ電子版)

 ヒズボラは国連安保理決議一五五九で武装解除が求められています。レバノンのハリリ元首相暗殺をめぐり、シリア軍のレバノンからの撤退とともに打ち出されたものですが、ヒズボラはこれを拒否しています。これまでヒズボラへの抑止力となっていたシリア軍の撤退でヒズボラの後ろ盾となっているイランの存在がいっそう大きくなっているといわれます。

 レバノンのシニオラ首相はルモンド紙とのインタビューで「イスラエルは(ヒズボラを)テロリストと非難しているが、イスラエルこそ、さらにひどい形でそれ(テロ)をやっているではないか」と糾弾。そして「イスラエルはわが国の領空と領海を系統的に侵し、わが国の領土であるシェバ農場を占領し続けている」と指摘し、こうした根本の問題を解決しようとしない姿勢が「過激派」を助長しているのだと強調しました。

 シニオラ首相は、当事者が「即時、全面停戦」を受け入れ、こうした問題を解決するよう主張しています。

 米国はイスラエルのガザ攻撃を非難する国連安保理決議に拒否権を発動し葬り去りました。レバノン攻撃もイスラエルの「自衛」として事実上容認する姿勢をとっています。しかし、国際的には、イスラエルとヒズボラが軍事行動を直ちに停止せよとの世論が強まっています。(伴安弘)


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