2006年7月11日(火)「しんぶん赤旗」
「基地強化ノー」軍港揺るがす
7・9首都圏大集会 その日 横須賀は…
“こんな大デモ 初めてみた”
「住んで二十数年、これだけ大勢の人が集まった集会・デモは初めてだよ。できることなら原子力空母は置かない方がいい」。沿道の市民から驚きの声が聞こえます。米海軍横須賀基地のある神奈川県横須賀市で九日、原子力空母の配備計画に反対し、米軍基地の再編強化の日米「合意」の撤回を求めて「首都圏大集会」が開かれました。集会後のデモは、基地ゲートに通じる道路と繁華街を通るコースの二つに分かれ、多くの市民の注目を浴びました。(首都圏大集会取材班)
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市民「米国いいなり、だめ」
横須賀基地の正面ゲート前―。基地内のビル屋上からは、めずらしそうにデモ隊を見たり、カメラを向ける米兵の姿が。「原子力空母は来るな!」「基地強化反対!」。途絶えることのないデモの隊列からシュプレヒコールがひときわ大きく繰り返されました。
行進では、海に浮かぶ原子力空母をかたどった大きなプラカード、「We love Peace」などと書かれた手作りジャケットなどさまざまな工夫が見られました。汗だくになりながらも、参加者は顔をあげ、こぶしを振り上げて街を歩きました。
横須賀市を中心に、多くの市民から反対署名が集められるなど粘り強い市民の運動が広がっています。ところが、米軍再編を「完全かつ迅速な実施」を進めるという日米政府の圧力に屈して、蒲谷亮一市長が原子力空母母港化の受け入れを表明しました。これは昨年の市長選での「受け入れられない」という自らの公約に違反するものです。
集会・デモを見守った市民の思いは―。
米軍基地の向かいのマンションに妻と暮らす高齢の男性は、米軍基地は必要だと考えていますが、「だからといって黙っていたら、アメリカの意のままになるだけだ。(原子力空母の配備反対など)正しいことは、相手がいやがっても、無視されても声をあげていかなければならない」と強い口調で話します。
親子、孫三代にわたって米軍基地で働いているという女性は「国の思いやり予算で暮らしてきたが…」とのべたあと、「こうしたデモは市民にとって意味があると思います。『しょうがない』と相手のいいなりではいけない。イラク戦争も協力したのはおかしい。基地で働く息子は原子力空母は安全だというが、百パーセント安全ではない」と話しました。
日本中がこころひとつに
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今度の集会は、首都圏が一体となって取り組み、全国の熱い連帯のもとで開かれました。
「近くに基地がなく、実感が乏しかったけれど、横須賀に来て米軍基地優先、日本の対米従属の極みを見ました」
「基地のない近畿でもガンバルぞ!」と書かれたゼッケンを着けて兵庫県から参加した大学生(24)は、集会前に開かれた横須賀の基地見学ツアーにも参加。「基地強化を阻止したい思いが高まりました」と元気いっぱいでした。
子ども二人を連れて参加した東京・港区の女性(44)は「会場に来るまで自衛隊員をたくさん見かけました。若い自衛隊員も米兵も、そしてこの子どもたちも、戦争へ送りたくない。心の奥底からそう思いました。日本が米軍再編で負担する三兆円も、教育や国民生活にまわしてほしい」。
千葉県の隊列で歩いていた男性(44)=東京・中野区=は、新宿駅西口で毎週土曜日、「反戦・平和のスタンディング」を続けています。「口コミで今日の集会を知り、個人でもなにか応援できないかとやってきました。参加して、原子力空母も米軍基地自体も絶対に許してはいけないという思いを強くしました。仲間でお金を出し合って旗もつくりました」と、にじ色の旗を振りました。
デモ隊を陸橋の上からじっと見つめていた女性(37)=東京・練馬区=は「しんぶん赤旗」で集会を知り、一人でやってきました。「こんなにたくさんの人が、同じ思いでいることに励まされました」
デモ行進の終着点、市役所前で、行進を終えたばかりの女性(57)=横須賀市=は「三万人の参加に大きな力を感じて、とてもうれしかった。これからも原子力空母の危険性をもっともっと市民に広げていきたい」と語ります。
首都圏大集会のアピールは、こう呼びかけました。
「たたかいは、これからです。みんなが手をつなぎ、声をあわせるなら、日米両政府による米軍基地強化の押しつけを必ず打ち破ることができます」「日本中がこころをひとつにして、いのちと平和を守るために正義の声をあげ、立ち上がりましょう」