2006年7月8日(土)「しんぶん赤旗」

「支那(シナ)事変」と呼んだのはなぜ?


 〈問い〉 戦前、戦争といわずに「支那事変」と呼んだのはなぜですか? 大東亜戦争という呼称はどこが決めたのですか?(和歌山・一読者)

 〈答え〉 戦前、中国への侵略戦争を、日本側では「支那(シナ)事変」といいました。この呼称を決めたのは、1937年(昭和12年)9月2日の閣議決定で「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト呼称ス」、「理由 今回ノ事変ハ北支蘆溝橋附近ニ於ケル日支兵衝突ニ端ヲ発シタルモノナルモ今ヤ支那全体ニ及ブ事変ト化シタルヲ以テ其ノ呼称モ名実相伴フ如クシ国民ノ意思ヲ統一スルノ必要アルニ依ル」によっています。

 しかし、これは表向きで、戦争と呼称しなかった最大の理由は1928年のパリ不戦条約で「戦争放棄」が決められていたからです。さらに、国際法上、戦争となると中立法規が適用され、参戦する意思のない国は中立を守らなければなりません。アメリカは1935年に中立法を制定し、交戦国や内乱国に、武器または軍需物資の輸出を禁止していました。もし同法が発動されれば、日本はアメリカから鉄などの戦略資源を輸入できなくなり、戦争継続もむずかしくなります。だからこそ、日本政府は、宣戦布告や最後通牒(つうちょう)を避け、「支那事変」と呼んだのです。

 宣戦布告もない戦争は国際的には不正義なことなので、国民にも「戦争ではない」と思い込ませ、なおかつ、侵略戦争としての性格を内外に隠そうとした意味もありました。

 大東亜戦争という呼称は、41年(昭和16年)12月12日の閣議決定「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」で、「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と、「大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」(同日の情報局発表)に基づきます。

 この「大東亜戦争」という呼称も、侵略戦争の性格を覆い隠し、アジアの人々があたかも「共栄」できる「大東亜共栄圏」をつくる正義の戦争であるかのように思わせるものでした。

 敗戦後の45年12月15日付GHQ覚書に基づき「大東亜戦争、八紘一宇等の用語」の禁止令がだされ、その後は「太平洋戦争」の呼称が定着します。それは占領軍主導でしたが、「大東亜戦争」の呼称の偽まん性を否定する歴史理解に立っていました。それ以後、歴史認識の深化とともに、「満洲事変」から「大東亜戦争」の終わりまでを含め、「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」という呼称も使われています。呼称の変化は、戦争の評価・位置づけと不可分です。(喜)

 〔2006・7・8(土)〕


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp