2006年6月8日(木)「しんぶん赤旗」

ドミニカ訴訟

移民失敗 国に責任

東京地裁 賠償請求は棄却

原告ら「無念に時効ない」


 「カリブ海の楽園」に優良農地十八ヘクタールを与える――。一九五〇年代の後半、国策による夢のような話で、中米のドミニカ共和国に移住した日本人とその遺族百七十人が、約束の優良農地が提供されず、困窮生活を強いられたとして、国に総額約三十二億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が七日、東京地裁(金井康雄裁判長)でありました。


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 金井裁判長は、「農業に適した農地を備える移民先を確保する義務を尽くさなかった」として国の責任を認めました。しかし、二十年間の除斥期間を過ぎており「賠償請求権が消滅した」として原告側の請求を棄却しました。

 記者会見した原告らは、「提訴から判決まで六年。十七人の原告が死去しました。今日の敗訴判決によって移住者は文字通り『棄民』であったことが、さらに明らかになったのです。移民者の無念や苦しみに時効はない」とする声明を発表。直ちに控訴することを明らかにしました。

 「自国民を“うば捨て山”ではなくカリブ海に捨てた」と怒るのは原告団事務局長の嶽釜(たけがま)徹さん(68)。一九五六年、高校生のときに鹿児島県から移住しました。「自分の祖国がウソをいうとは考えませんでした。本当に不満です」と声を詰まらせ、「移民同胞百三十五人が眠るドミニカにどう報告すればよいのか。自国民をだまし、苦しめ、殺し、捨てるのが祖国なのか」と涙をぬぐいました。

 七十八歳になる小市仁司さんは「ただ悔しい」と絶句。「二十九歳のときに移住。この間だまされだまされ、最後は私たちの真実の訴えが認められず、祖国はこんなむごいことができるのでしょうか」と悔しがります。

 「入院中で点滴を打ってもらい裁判所に来た」という小市さん。「たたかって悪政を死んでも正したい」と語りました。

 日本政府は、戦後、「国策」として海外からの引き揚げ者などで急増した人口を減らすために、ブラジルをはじめ、コロンビアなど中南米への移住を推進しました。ドミニカ移住もその一つ。五六年から五九年に二百四十九家族、約千三百人が移住しました。

 入植地は、岩だらけの不毛の地だったり、ひどい塩害の不毛地帯。「戦後最悪の移民事業」といわれました。農耕地も所有権は認められませんでした。「十八ヘクタールの肥沃(ひよく)な土地を無償譲渡」されるはずでしたが、わずかな土地を与えられただけでした。生活苦から自殺する移民者も相次ぎました。

 原告らは「農業に適するかなど現地調査や情報の提供する義務を尽くさなかった」と、二〇〇〇年七月に提訴しました。

 小泉首相は〇四年三月の参院予算委員会で「外務省に多々反省すべきことがあった」と答弁。不手際を認めていました。


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