2006年5月23日(火)「しんぶん赤旗」
モンテネグロ 独立賛成55・4%
国民投票 暫定結果を発表
【パリ=浅田信幸】セルビア・モンテネグロを構成するモンテネグロ共和国で二十一日、セルビア共和国との連合を解消し独立することの是非を問う国民投票が実施されました。投票管理委員会のリプカ委員長は二十二日午前、暫定最終結果を発表し、賛成票が独立承認要件である55%を上回ったことを確認しました。
発表によると独立賛成は55・4%で、反対は44・6%。投票率は86・3%で国民投票の成立条件である50%を大幅に上回りました。リプカ委員長は会見で、開票が終了していない選挙区があるものの、暫定集計結果は覆らないと表明しました。
モンテネグロ共和国政府与党・社会民主党のスポークスマンは、「モンテネグロが独立国家であることに、もはやあいまいさはない」と勝利を宣言しました。
モンテネグロの独立が最終的に確定すれば、旧ユーゴスラビアではスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアの分離独立に続くものとなります。セルビア共和国のコソボ「自治州」の地位をめぐる今後の動向にも影響が及ぶとみられます。
欧州最貧国の一つであり、経済的繁栄への期待とあこがれが、セルビアとの分離とEUへの接近という選択を促しているとみられます。
解説
親西欧とセルビアのはざまで
モンテネグロの今回の国民投票で問われたのは、これからの国の発展方向です。親欧米政権の下で欧州連合(EU)加盟の方向へいくのか、歴史的な兄弟国セルビアとのきずなを維持するのかです。
セルビアとモンテネグロは、一九九一年に解体したユーゴスラビア連邦を構成する共和国でした。同連邦が解体し、他の旧共和国が分離独立するもと、セルビアとモンテネグロは、宗教的、歴史的なつながりの強さから分離独立せずに新ユーゴスラビアとして残りました。
セルビアとモンテネグロは同じ言語を持ち、多くの住民がセルビア正教の信徒です。同国ではモンテネグロ人と登録する人が約四割、セルビア人と登録する人が約三割いますが、大きな違いはありません。モンテネグロは人口六十二万人。多くの人がセルビアで学び、働き、人口約七百五十万人(コソボ自治州を除く)のセルビアとの一体的な経済的つながりなしにはやっていけない状況でした。
しかし、九七年にモンテネグロでジュカノビッチ現首相が大統領に就任してからは様相が変わります。
同氏は米国の戦略の下、セルビア国内のミロシェビッチ大統領反対派と組み、セルビアの政権交代を後押し。しかしできたのは親米派政権でなく、反米を掲げる民族穏健派のコシュトニツァ政権でした。
ジュカノビッチ氏は、経済自立路線をとって通貨をドイツ・マルク(その後ユーロ)に変え、欧米を頼って独立する方向を明確にしました。
ところが、議会選挙では独立派が共和国憲法改正に必要な絶対多数を取れず、二〇〇三年からは新国家連合セルビア・モンテネグロを構成しました。
英BBC放送によると、独立反対派は、ジュカノビッチ氏が自分個人のための国をつくろうとするものだと批判しています。セルビア正教会の一部であるモンテネグロ正教会も独立に反対しています。コシュトニツァ・セルビア首相も「一緒に国家連合として残ることが自然だ」と独立に反対しました。
独立賛成派は、セルビアとの国家連合継続では、EU加盟や海外投資促進で大きな障害になると主張していました。
今回の投票結果は、きん差でした。バルカン地域では旧ユーゴスラビア各共和国が独立する中、ボスニア・ヘルツェゴビナだけでも二十万人を超える死者を出し悲惨な民族紛争を繰り返した過去があります。新たな国境の変更は新たな民族対立を生む可能性もはらんでいます。(片岡正明)