2006年5月15日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

城下町の景観を守ろう


 城は城下町のシンボル。城下町の景観を守ろうと運動している各地の取り組みを紹介します。


住民と協議し高さを規制

マンション計画中止に

佐賀市

 鍋島藩の平城だった佐賀城周辺の城内地区は、佐賀(さが)市の歴史的景観のシンボルのひとつです。佐賀城跡の鯱(しゃち)の門、城を囲む堀、クスノキの巨木群などがその代表です。堀沿いの景観を市民はとても大切に考えています。

7千650人が署名

 この堀を囲む西城内地区に四年半前、マンション建設問題が持ち上がりました。当時城内は文教地区に指定されてはいましたが、建物の高さ規制はありませんでした。それを知った地域の人たちは「城内の景観を守れ」とわずか一カ月のうちに七千六百五十人以上の署名を集め、建築規制の強化とマンション建設中止を求めました。

 その結果、佐賀市がその土地を買い上げ、マンション建設に歯止めをかけました。

 そのときに、地域の住民と市が協議し、すでにあった都市景観条例にもとづく城内都市景観形成地区の指定(約七十九ヘクタール)と都市計画法に基づく高度地区指定(約九十一・五ヘクタール)がなされ、公益性の高い建築物など特別の場合をのぞいて、新たに高さ十五メートルを超える建物は地区内に建てられないことになりました。

土地を買い戻す

 ところが、その三年後、市は近接する東城内の水道局跡地をマンション業者に約二億円で売却したのです。そこは、県立佐賀城本丸歴史館の真正面。「十五メートル以上の建物ではない」ということで市は許可したのですが、市民と議会は許しませんでした。

 「市は自ら景観条例を踏みにじるのか」「市民の財産を勝手にマンション業者に委ねるな」と、売却益の予算計上を認めない修正案や一万人を超す署名、二日間で二千八百人の賛同者を集めての新聞意見広告、シンポジウムなどが短期間になされ、工事着工直前についに県が土地を買い戻すことになりました。いまは本丸歴史館の臨時駐車場となっています。高さ規制を十五メートルから十メートルに引き下げることもふくめ、住民の学習や協議が行われています。

 日本共産党は西城内のときも東城内のときも、地元の住民や他党の議員とも力をあわせて運動に取り組んできましたが、市や県を動かす市民のエネルギーの大きさを実感する取り組みでした。(山下明子市議)


ビルの高さ抑えさせる

神奈川・小田原市

 神奈川県小田原(おだわら)市は中心市街地の活性化などの理由で小田原駅東口再開発事業として百二十七メートルのビル建設計画を一昨年十二月議会で提案しました。 日本共産党市議団は、再開発ビルのホテルなどは市民の要望からかけ離れた計画であり、市財政が厳しいときに大型開発は進めるべきではないと指摘し、市民にビラで知らせてきました。

市民募金で再建

 小田原は北条早雲が治め、その後も城下町として栄えてきました。現在の小田原城は一九六〇年に市民の浄財を集めて再建されました。

 小田原城は小田原駅の至近距離にあり、城址(じょうし)公園には年間二百三十万人の観光客が訪れ、市のシンボルです。ところが百二十七メートルのビルは小田原城よりもはるかに高く、城を見下ろし景観上も大問題です。再開発ビルに対し、他会派の議員も参加した市民運動の連絡会が結成されました。市の説明会では、市民の疑問や反対の意見が噴出しました。

 市民運動が高まり、市経済界の中からも「高さを抑えた計画を」との要望が出されました。

 昨年七月これらの声をうけて市長は、高さを三十一メートルの計画に変更すると記者会見しました。

 中心市街地が衰退し、ボートピア(場外舟券売り場)の誘致やマンション建設計画が相つぎ、市民の反対運動が各所で起こりました。

 共産党市議団の原田敏司、田中利恵子、関野隆司三市議は党支部や革新懇の人たちと共に市民運動の集会に参加しました。

計画の見直しを

 「競輪があってボートピアがある所はない」「佐賀市では市民の署名運動がマンション建設を止めた」などと、政策面でも運動面でも積極的に提案をし、市民運動は成果をあげていきました。 党市議団としては、これらの経過は「都市再生」の名のもとに進めてきた自民党政治の行き詰まりの現れととらえ、引き続き再開発計画の見直しと市民合意の街づくりのために市民運動や党支部と連携し力を尽くしていきたいと考えています。(関野隆司市議)


会を結成 街づくりの輪広く

松江市

 文豪ラフカディオ・ハーンも愛した城下町松江(まつえ)市。この歴史的街並みを壊す島根県の道路や大橋川拡幅、市の殿町再開発計画がすすめられています。住民らは景観美のすばらしさを守っていこうと四月「城下町松江の景観と町づくりを考える会」を結成しました。

 天守閣を一直線に見る大手前通り(城山北公園線)を二十九メートルに拡幅し、城の目と鼻の先に四十七メートルのビルを建てる殿町再開発。景観や環境、財源問題などで広い議論が望まれる大橋川拡幅問題などを景観と町づくりの広い観点から考えようというもの。

 元島根大学長や宮司、住職ら十四氏が呼びかけました。

 城下町・松江は一六〇七年、堀尾吉晴によって開かれました。城を中心に武士が住んだ内山下(うちさんげ)と呼ばれる母衣町、内中原町、その外側に町方の住んだ末次本町などの町名が今も残っています。西に宍道湖が広がり、城を囲んで街を流れる堀川には遊覧船が走り観光客を楽しませています。

先人の遺産残す

 呼びかけ人の一人で「松江城大手前通り拡幅に反対し、美しい街並を保存する会」の三反田輝雄会長は、「先達が築いてきた遺産を残し、磨き守っていくことが城下町松江には必要」と話しています。

 結成の集いでは「大手前通り拡幅や城の前の再開発ビル建設は疑問。どういう街にするか一人ひとりが考え運動しなければ」などと八人が発言しました。

街を守る一点で

 日本共産党の尾村利成県議は、いま松江の観光名所となっているハーンの旧居前や堀川遊覧船が走る京橋川を埋め立てての道路拡幅事業が都市計画決定されながらも未着手なのは住民の反対運動の成果だと話し、「街を守るという一点で多くの市民の連帯と団結の輪を広げたい」と運動を激励しています。(島根県・桑原保夫)


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