2006年4月30日(日)「しんぶん赤旗」

水俣病 公式確認50年

国、一度も全容調べず

多くの被害者を放置


表

 水俣病の公式確認から五月一日で半世紀を迎えます。今も多くの被害者が救済を訴えています。行政は何をして、何をしなかったのかが厳しく問われています。(青野圭)

 二〇〇四年十月に国や熊本県、加害企業チッソの責任を認めた関西訴訟最高裁判決が出て以降、水俣病の認定申請者は急増し、熊本、鹿児島、新潟三県で三千八百四人(四月十日現在)にのぼっています。

 昨年十月三日には、国と熊本県、チッソを相手どり損害賠償請求訴訟(大石利生原告団長)も始まりました。今月十七日の第五次追加提訴で、原告は千二十八人に。

チッソ擁護に終始した国

 大石団長の左腕には、約十センチのハサミの傷があります。感覚障害の大石さんが「痛み」を知ろうと、自分でつけたものでした。「初めて申請する人が大半です。申請希望は今も途切れることなく寄せられており、原告数はさらに増えそうです」

 一九五六年五月一日、水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患が多発している」と報告が入り、水俣病が公式確認されました。

 政府が原因物質をチッソのアセトアルデヒド廃水に含まれるメチル水銀と認め水俣病を公害病としたのは六八年九月。チッソなど全国の企業が新工法の工場新設で、四カ月前にアセトアルデヒドの製造を終えた後でした。公式確認から十二年もたっていました。

 水俣病被害者の会全国連絡会の中山裕二事務局長は「被害拡大を食い止める機会は何度もあったが、国はチッソ擁護に終始した」と指摘します。

 国がこれまでに水俣病と認定したのは二千九百五十五人(うち二千九人が死亡、三月末現在)。長年、水俣病治療に尽力してきた水俣協立病院の高岡滋医師はいいます。「水俣病を公式確認後、少なくとも四十年間、国は認定した二千人余りの人々以外は水俣病ではないといい続けてきた。国は意図的に被害実態を隠そうとしたわけです。その結果、水俣病に対する地域での差別が定着し、さらに苦しむ人々を放置してきた。このことに対する反省がないと、また同じことを繰り返すことになるでしょう」

補償と解明は解決に不可欠

 この五十年間、国は不知火(しらぬい)海沿岸で被害の全容調査を一度も行いませんでした。

 水俣協立病院名誉院長の藤野糺医師(現桜が丘病院院長)はじめ多くの医療関係者らの粘り強い調査で、「汚染魚を多食した事実(疫学的条件)と…感覚障害があれば水俣病」という福岡高裁判決(八五年八月)が確定し、最高裁はじめ多くの裁判所が、国の水俣病認定基準を否定する判決を下しました。

 しかし、国は「行政は司法と異なる」として判決を拒絶。「二つ以上の神経所見の組み合わせを要する」(七七年、環境庁環境保健部長通知)とした極端に狭い認定基準を、いまだに「見直す考えはない」とかたくなな態度に終始しています。

 「行政基準は“感覚障害、運動失調など複数の症状を持つ患者を救済せよ”というのではありません。“複数の症状がない者は切り捨てろ”という、まさに大量切り捨て政策」だと水俣病訴訟弁護団事務局長の板井優弁護士はいいます。

 原告患者が求める「被害者への補償と汚染実態の全容解明」は、水俣病問題の全面解決にとって不可欠です。

 大石団長はいいます。「今回、私たちが求めている司法救済システムと不知火海沿岸住民の健康調査、地域の環境調査を実現しなければ、私たちの後に出てくる患者たちが、また同じことを一から繰り返さなければならなくなる。この五十年間は、同じことの繰り返しだった。何としても今回で終わりにしたい」


全員救済は政治の責務

日本共産党

 日本共産党は二十四日、市田忠義書記局長が会見し、「水俣病は、過ぎ去った『過去』の問題ではなく、『現在』の問題」と指摘し、「一日も早く、すべての被害者を水俣病と認め、救済することこそ、政治に求められる最大の責務」と強調しました。

 そして、解決に向けて(1)発生当初からの資料を公開し、不知火海沿岸地域の健康・環境調査をはじめ全面的な調査研究を国の責任で行う(2)裁判所の判断で水俣病被害者として救済対象と補償内容を定める「司法救済制度」の確立に国が応じる(3)これまでの厳しい行政認定基準を改める、の三点を求めています。


水俣病の50年

1956年5月水俣病を公式確認
 57年9月厚生省(当時)は、食品衛生法による水俣湾内漁獲禁止・摂取禁止を照会した熊本県に、「明らかな証拠が認められない」と回答
 58年9月チッソが水俣湾側にあった排水口を水俣川河口に移し、汚染を不知火海全域に拡大。その後水俣湾に戻す
 59年11月厚生省食品衛生調査会・水俣食中毒部会が原因物質を「ある種の有機水銀化合物」と答申。厚生省は翌日、同部会を解散させる
 67年6月新潟訴訟(71年9月 原告勝訴)
 68年9月政府が原因をチッソのメチル水銀と認め水俣病を公害病に認定。アセトアルデヒド製造設備閉鎖の4カ月後、公式確認から12年後
 69年6月熊本第1次訴訟(73年3月 原告勝訴)
 71年8月環境庁事務次官通知で、感覚障害や運動失調などのうち、いずれかの症状があれば認定
 73年1月熊本第2次訴訟(79年3月 原告勝訴、85年8月 控訴審判決で原告勝訴が確定)
 74年9月公害健康被害補償法(公健法)施行
 77年7月環境庁環境保健部長名で水俣病の認定基準を改悪し、感覚障害と運動失調など症状の組み合わせを求める(77年判断条件)
 80年5月熊本第3次訴訟(国賠訴訟)
 82年〜88年新潟第2次訴訟、関西訴訟、東京訴訟、京都訴訟、福岡訴訟
 90年  東京地裁、熊本地裁、福岡高裁・地裁、京都地裁が和解勧告
 95年12月政府が水俣病解決策決定
 04年10月関西訴訟最高裁判決
 05年10月国家賠償請求訴訟(ノ―モア・ミナマタ国賠訴訟)

 水俣病 工場などから環境に排出されたアセトアルデヒド廃水に含まれる有機水銀(メチル水銀)による中毒症。チッソ水俣工場(熊本県)や昭和電工鹿野瀬工場(新潟県)が垂れ流した工場廃水で水俣湾・不知火海一帯や阿賀野川流域住民に被害が広がりました。水銀に汚染された魚介類を食べ、手足の感覚がにぶったり(感覚障害)、周りが見えにくくなる(視野狭さく)、からす曲がり(こむらがえり)、激しい痛みや全身麻痺、意識障害で狂騒状態となる劇症型など症状も程度もさまざまです。

 関西訴訟最高裁判決 国と熊本県知事が規制権限を行使しなかったとして賠償責任を認め、さらに、感覚障害だけで水俣病と認定した大阪高裁判決を支持しました。


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