2006年3月27日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

火山と共生、まちづくりへ

噴火から6年


 2000年3月31日の有珠山噴火で、多くの住民が避難生活を強いられた北海道虻田(あぶた)町、つづいて同年8月には東京・三宅島で雄山の噴火による火砕流が発生し、5年近くの全島避難生活を余儀なくされました。噴火から6年、住民のくらし、復興の現状を紹介します。


船祝い、成人式、運動会が復活

本格的な復興へ始動

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東京都三宅村

 「あーあーあー…三宅島かよ 緑の島かよ、小鳥さえずる歌の島よ」と古くから、祝いや宴席で親しまれ、歌い継がれてきた島節の歌詞にある緑も、二〇〇〇年の噴火と火山ガスの被害で六割の樹木が枯れて、いまは見る影もありません。

恒例行事が次々

 昨年二月一日、避難指示が解除され、私たちは火山ガスとの共生を覚悟して、四年数カ月の避難生活に別れを告げ、帰島を始めました。病気やその他さまざまな理由で帰島できない人たちがいて、帰島者は六割強です。帰島してみると高齢化率が37・92%となっており、避難生活は長かったというのが実感です。

 それでも、やっぱり三宅島の魚や野菜はおいしく、活気を取り戻そうと、毎年正月の恒例となっていた大漁と安全を願う「船祝い」が六年ぶりに行われました。「成人式」「運動会」「文化祭」など少しずつ復活し、元気を取り戻しつつあります。本格的に観光客を受け入れられる状態ではありませんが、今年が本格的な復興の一年目です。

 火山ガスは今でも毎日噴出を続けています。レベル4という最高値が出ることは少なくなっていますが、おさまる見通しはありません。

 農業は、五年間で荒れ果てた畑を現在開墾していますが大変遅れ、昨年一年間の農業収入はゼロでした。村に頼らず自力で開墾した人は現在、かなりの収穫をあげています。漁業は、土石流の流入で天草などの藻場が荒れ、漁は潮流とのかかわりがあるので、不安定です。

家の修繕から

 四年を超す避難生活で、家の傷みは想像以上でした。島民は帰島に当たって、まず家の修繕から始まり、火山ガスでさびたトタン屋根の張り替え、シロアリ、ネズミの被害、腐食した床やふすま、畳の張り替えなどでした。帰島に当たり東京都が一世帯百五十万円の住宅修理の支援をしました。家の修理には金額的には満足とはいえないものの、家を直そうという気にさせてくれましたし、勇気づけられました。

 島には職人が少なく、まだ修繕の終わってない家もあります。昨年の四月から八月まで、全建総連が延べ千二百人を派遣してくれ、大変感謝されました。

 火山ガスがこない時は島の空気はきれいです。避難中、酸素吸入をしていた人が、吸入器をはずして元気に散歩する姿も見かけられます。

 火山ガスは風下へ流れるので、その地区を高濃度地区と指定し、条例で居住を禁止しました。対象世帯は約百五十世帯です。この人たちは、帰島しても避難生活の継続で、村営住宅へバラバラで入居し、コミュニティーは破壊されたままです。家賃は〇六年三月までは免除ですが、四月から徴収する村の方針で、いま開かれている定例議会の争点の一つです。

(寺本恒夫三宅村議)


住宅再建 町が支援

観光客誘致に多彩な催し

地図

北海道旧虻田町

 有珠山周辺の観光地では、一時激減した観光客の足が戻ってきました。積極的な観光振興策を打ち出してきた北海道虻田町では、火山との「共生」が試みられ、噴火前とほぼ同じ年間三百万人台の観光客に回復しています。

観光施設を整備

 きょう二十七日に洞爺(とうや)村と合併する虻田町(新町名は洞爺湖町)は、観光施設や、「足湯」、「手湯」など温泉を楽しめる数多くの施設を整備してきました。

 洞爺湖温泉地区では、熱泥流によって洞爺湖温泉小学校が破壊されました。町民自ら「温小再建を考える意見交換会」を開催し、「原状回復」ではなく、将来においても安全な地域での学校教育のため四キロ離れた場所に再建し、スクールバスも実現しました。

 町おこしも活発です。ホテル、飲食店、土産店などの従業員や経営者らが大型の竜の「灯ろうを復活させる会」を結成し製作、噴火の二年後から湖上に浮かべ“灯ろう祭”を開催しています。「有珠山ガイドの会」も結成され活動しています。

 虻田町は、国の制度に上乗せし、七百一世帯の住宅被害者への支援として全壊家屋に五百万円、半壊には二百五十万円の見舞金を支給し、火口近くの宅地や建物への買い取り補償など、住宅再建を生活再建の基盤としてきました。一方、国と北海道の対策は、再建が困難な被災者への満足な補償もなく、不況と噴火災害による影響は地域の観光産業と雇用を減退させました。教育や保健・医療環境の悪化、避難生活に伴う地域社会形成の遅れなど、深刻な事態が続いているのも事実です。

三宅の小学生と

 全国からの支援を忘れず、火山と共生するまちづくりへ、温泉の事業者や従業員、教員、退職者、議員などで「有珠山噴火メモリアル委員会」が結成されました。〇二年から、毎年三月に「有珠山噴火メモリアル感謝祭」が開かれています。〇三年には三宅島の小学生五十四人を招待し、ホームステイや「火山とともに生きる子どもサミット」を開催しました。

 今年も、ホテルや飲食店、商店が感謝をこめた半額謝恩セールを企画しています。小学生による水蒸気爆発の模擬実験など、多彩な企画に総勢三百人を超える町民が協力し、参加します。

 湖畔でペンションを経営する雫正侑(しずく・まさのぶ)さん(63)は「地域の人と連携して多彩な企画を工夫し、行事をつくっています。活気ある町づくりのためにもっと行政の支援が必要です」と話します。

 噴火後、町民のきずなが強まり、災害を乗り越えて、火山と共生するまちづくりへの機運も高まってきました。それだけに、町民の活動を支えてきた日本共産党の町議として、こうした活動が大切と痛感しています。

(立野広志旧虻田町議)


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