2006年3月23日(木)「しんぶん赤旗」
沖縄新基地協議
政府の「微修正」
変わらぬ恒久化押し付け
額賀福志郎防衛庁長官は二十一日に引き続き、二十二日も沖縄の島袋吉和名護市長と会談し、在日米軍再編に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部への米軍新基地建設計画(沿岸案)の受け入れを迫りました。三月末までの日米協議の決着を目指す政府は、新基地の建設場所などで「微修正」を図ることで、名護市の同意を得たいのが狙い。しかし、その「微修正」なるものは、海兵隊の殴り込み拠点となる危険な恒久基地を押しつける点では何ら変わりません。
基本動かさず
「政府案が基本だ。だが、一センチも変えないというものではない」
防衛庁幹部は二十二日、政府が念頭に置いている「微修正」案をこう解説しました。「一センチ」という表現に、「修正」といえども、日米両政府で合意した計画をほとんど動かすつもりはない考えがにじんでいます。
これは小泉純一郎首相と額賀防衛庁長官との会談(二十一日)で確認した方針でもあります。
二十二日にも、小泉首相は重ねて「基本的な考え方を修正する気はない」と表明しました。
政府が「微修正」案として検討しているのは、(1)新基地の建設位置を沖合に数十メートル移動する(2)米軍機の住宅地上空の飛行を避けるため、滑走路の向きを変える――などとみられます。
しかし、もともと沿岸案とは、どういう基地建設計画なのか。
在日米軍再編についての日米共同文書(昨年十月)では、新基地について「緊急事態への迅速な対応能力」と位置付け、その「維持」=恒久化を打ち出しています。
一九九六年の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)に基づく新基地案では「撤去可能」をうたい、九九年に稲嶺恵一知事が受け入れを表明した辺野古沖案でも「十五年使用期限」が条件でした。「撤去可能」だったものが、沖縄に米軍基地を永久にしばりつけるという方向へ、新基地の性格が様変わりしてしまったのです。
それだけではありません。
――九七年の政府案に比べ、基地の長さは千五百メートルから千八百メートルに延長。桟橋まで建設され、軍港化の危険もある。
――辺野古沖案では、辺野古住宅地までの距離が二・二キロあったのに、沿岸案では、固定翼機の進入経路がわずか七百メートルにまで接近。
こうした沿岸案の危険が、わずか「数十メートル」の位置の移動や、滑走路の向きを若干変えたところで、一体、どこが変わるというのでしょうか。
県民の総意は
額賀長官は、島袋市長との会談後、「ようやく(名護市との)話がスタートしたところだ」と述べ、今後も県、市に受け入れを迫る「微修正」協議を続ける構えです。
しかし、県民が拒否しているのは、戦後六十年以上も押しつけられてきた「基地の島」という現実です。この県民世論があるからこそ、かつての海上案を容認する人々も恒久基地となる沿岸案など受け入れるわけにはいかないのです。
約三万五千人が結集した県民総決起大会(五日)は、沿岸案反対が「県民の確固たる総意」(大会決議)であることを示しました。その沿岸案と本質を変えない「微修正」案も、この「県民の総意」に逆らうものでしかありません。沿岸案にせよ「微修正」案にせよ、日米両政府が恒久基地を押しつければ、島ぐるみのたたかいを呼び起こさざるをえないでしょう。(田中一郎)