2006年3月13日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

心にゆとり まちおこしに一役

農村にきた都会人


 “団塊の世代”の定年退職=いわゆる「〇七年問題」が話題になっています。社会の高齢化や働き手の大量退職という問題です。これを「地域活性化の好機」ととらえた自治体があります。スローライフに価値観を見いだした人々との連帯の姿を、福島、高知両県の町村に追いました。


福島県飯舘(いいたて)村

「森のレストラン」経営

地図

 阿武隈山系の北端に位置する福島県飯舘(いいたて)村の空は、とても広い。夜は美しい星空が広がります。人口六千七百人余の村に都市から移住し、田舎暮らしをする人が増えています。

 六年前、埼玉県所沢市から移住した小林彰夫さん(44)は、百八十羽のニワトリを平飼いしています。自然養鶏の卵は好評で、経営も軌道に乗りつつあるといいます。自宅前には五ヘクタールの山林と田畑が広がり、小川が流れ、夏はホタルが舞います。

 東京でサラリーマンをしていた彰夫さん。「ここはストレスもなく、村の人もいい人です」。妻の麻里さん(41)も「不安はありましたが、とてもすてきな所です。もう都会には帰りたくない」。

無農薬で野菜 無農薬の野菜や米、四季折々の食材を提供する「森のレストラン なないろの空」を近くオープンするのは、村上真平さん(47)、克枝さん(34)夫妻です。店の名前は克枝さんのネーミングです。

 「ここから見る日暮れの空は、いろんな色が交じり、とてもきれい。人の世界もいろんな人がいて一つになっている、と感じてつけました」

 真平さんは二十年間、アジア各国でNGO(非政府組織)の途上国支援の活動をしてきました。途上国の貧困と向き合う中で先進国の「快適な生活」が途上国から資源を奪い、浪費することで成り立っていることを考えさせられたといいます。

 帰国した二〇〇二年の春に開拓地跡の田畑と山林六・四ヘクタールを購入。水や空気を汚さない農業と、できるだけ化石燃料に頼らない生活を始めました。

 「ここは水も空気もすばらしい。自然のなかで育った食材を味わってもらいたい」と真平さんはいいます。

 職場を定年で退職し、一年七カ月前に東京・足立区から移住してきた横山正由さん(62)と妻のみち子さん(57)。地元の友達も増え、田舎暮らしを楽しんでいます。

医療生協班も

 リフォームした農家の居間には、まきストーブが燃えていました。「汗を流し、まきを割るのは楽しい」と正由さん。二百坪(六百六十平方メートル)の畑でつくる野菜は夫婦では余るほどです。

 「田舎暮らしで大切なのは、垣根をつくらず、地元に溶け込むこと。地域の行事にもすすんで参加すると友達ができます」とみち子さん。

 民医連の病院で働いていた二人は、日本共産党の佐藤八郎村議(54)の勧めで、地域に医療生協の班をつくる準備中です。

 飯舘村では田舎暮らしを希望する村外の人に、空き家や農地の物件情報を提供しています。「移住するならしっかり目的を持って」(村企画課)とアドバイスも。

 「効率主義、経済性にとらわれず、自然を大切にする移住者の生き方に教えられる」という菅野典雄村長(59)。合併せず、小さくても自立した村をめざす飯舘村にとって、都市住民の移住は喜ばしいといいます。

 村では飯舘村流のスローライフ、「までいライフ」運動をすすめています。「までい」とは“ていねい・ゆっくり・心をこめて”といった意味です。

(宮本敦志)


高知県梼原(ゆすはら)町

棚田オーナー手始めに

地図

 梼原(ゆすはら)町は高知県の中西部、愛媛県と接する山間の町です。町内で約千二百メートルの標高差があり、冬には町中心部でも五〇センチの積雪があります。人口約四千三百人。四割近くは六十五歳以上の高齢者です。

91%が森林

 同町の定住促進の取り組みで大きな役割を果たしているのは一九九二年から始めた棚田の「オーナー制度」です。同町神在居(かんざいこ)の「千枚田」と呼ばれる棚田を借りて、地元農家から手ほどきを受けながら米作り体験ができます。

 面積の91%は森林という同町では、急な山地をひらいて農耕作を行ってきました。高齢化が進むなか、機械を入れられない棚田は休耕田が目立ち始めていました。

 「田んぼは人の手が入らなくなるとすぐに荒れてしまいます。観光資源でもある棚田を守るために始めた制度です」と話すのは同町産業振興課の立道斉さん(29)。四国や関西地方の新聞に広告を出したところ、初年度には約百六十件もの応募があり、今でも毎年抽選になる人気だといいます。

 オーナー制度をきっかけに都会から移住して来る人も生まれました。同町商工会の事務局長を勤める加藤英二さん(53)は三年前に兵庫県川西市から神在居集落に夫婦で移住しました。

 「稲作の経験はなかったのですが、昔から田舎にあこがれがあった」という加藤さんは九三年から棚田のオーナーになりました。豊かな自然にふれ、地元の人と交流を深めるうちに自然と「移り住みたい」と思うようになり、勤めていた会社の早期退職募集を機に決断しました。

 「都会の煩雑さがいやだったせいか、移住して心にゆとりができた」という加藤さん。「人と人との結びつきが深く、強い。地域のみんなが気にかけてくれる。顔の見える安心感がある」と魅力を語ります。

住宅への補助

 現在十四世帯が住む同集落のうち加藤さん夫婦を含む三世帯が「Iターン」での移住です。「集落の平均年齢がぐっと下がりました」と笑う加藤さんも、今は棚田オーナーを迎える地元農家です。

 同町には定住促進のために、農林業を志す人の研修費用を補助する制度や、定住目的の住宅建築費を補助する制度があります。

 「これまでに三、四十人がIターンで町にやってきましたが、地域になじめなかったり、子育ての関係などで出て行く人もいます」と立道さん。農林業での自立の難しさなど課題も多いといいます。

 「もちろん子育て世代の若い方の移住もありますし、高齢化が進んでいますから、団塊の世代と呼ばれる方々はまだまだ若いといえます。ぜひ梼原に来てほしい。Uターン、Iターンを促進して、地域全体の活力につなげていきたい」。立道さんはこう期待を寄せています。

(佐藤恭輔)


 団塊の世代 一九四七―四九年のベビーブームに生まれた世代


人間らしい生活がある

 田舎暮らしの知恵と物件を紹介している「ふるさと情報館」(本部=東京・四谷)代表の佐藤彰啓さんの話 「バブル崩壊」以降、大きな流れになっている都市住民の農山村移住、田舎暮らしには、水、空気、食料、景観という農山村の豊かな環境、資源が見直され、そこに人間らしい生活があると気付いた人びとの意識変化があります。

 二〇〇七年からは、団塊世代の大量退職が始まりますが、この世代にも田舎暮らしの希望者が多い。さまざまなノウハウを持つ団塊世代が農山村に移住し、地元住民と協力すれば、農山村は大きく変わるにちがいない。地域再生に向けた、新しい都市と農山村の共同の時代が来るでしょう。


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