2006年3月13日(月)「しんぶん赤旗」
市民が示した歴史的意思
住民投票で山口県の岩国市民が「艦載機の受け入れノー」の意思を示したことは、岩国基地との「共存共栄」にがまんを強いられてきた岩国市の戦後六十一年の歴史の重みを感じさせるできごとです。
基地の沖合移設工事が終わり、厚木基地から艦載機部隊(FA18ホーネット五十七機・兵員千六百人)が移駐すれば、現在の五十七機とあわせ百機を超える米軍機が常駐することになります。
沖合移設が完了すれば滑走路が二本になり、世界最大規模の基地に変ぼうします。騒音被害に加え犯罪や事故の心配もあります。
投票成立は、基地との「共存共栄」を支持する人たちもふくめて、基地のあり方と岩国の将来を考える、市民のぎりぎりの気持ちのあらわれでしょう。
岩国基地は終戦の年の一九四五年、米海兵隊に接収され、翌四六年英連邦軍と米空軍が進駐。五〇年の朝鮮戦争を契機に、滑走路工事がおこなわれ、五八年から米海兵隊の航空基地になりました。ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争…。海外でのアメリカの戦争の出撃拠点となってきました。
橋から市民をいきなり川に投げ込む、基地労働者をゲリラナイフで刺し殺す…。戦場で心の荒れた米兵による犯罪が頻発しました。所属する戦闘機、攻撃機の事故もあいついでいます。
もともと、岩国基地は藩政時代に干拓した農地、宅地でした。戦前、航空戦強化のために日本海軍が収用し基地にしました。岩国の人たちは「国策」に協力せざるを得なかったのです。戦後も基地との「共存共栄」路線のもと、多くの市民にとって基地についてものを言うことは「異端」とされました。
しかし、今回は違いました。二〇〇四年七月以来、在日米軍再編をめぐり、厚木基地の空母艦載機部隊の岩国基地への移転案がたびたび報道され、岩国市民のなかで大きな問題になりました。市議会は〇五年六月、反対の決議をあげました。自治会や女性団体が六万人分の反対署名を集めるなど、艦載機部隊移転反対の声が大きく広がりました。
にもかかわらず、〇五年十月に日米政府は移転で合意しました。額賀福志郎防衛庁長官や安倍晋三官房長官が、住民投票の結果に関係なく米軍再編はすすめると、圧力をかけました。
しかし、今回の住民投票で、市民は初めて、「国策」にものを言ったのです。政府は市民の声を真摯(しんし)に受け止めるべきです。(堀 義人)