2006年3月2日(木)「しんぶん赤旗」

核兵器廃絶へ 私も

ビキニデー 焼津市で平和行進


 ビキニ水爆被災事件から五十二年目を迎えた一日、被災したマグロ漁船「第五福竜丸」の母港だった焼津市で「献花墓参平和行進」や「3・1ビキニデー集会」がおこなわれました。赤やピンク色のバラの花を手に、「すみやかな核兵器廃絶」の声を広げようと千五百人が行動しました。

 「水爆実験で亡くなった『第五福竜丸』の久保山愛吉さんの『原水爆の被害者は私を最後にしてほしい』という言葉を墓前でかみしめました。私も私のできることで核兵器廃絶を訴えていきたい」と東京から初参加の女性(22)。

 同じく初参加の京都の女性(25)は「『第五福竜丸』の乗組員が被災後ずっと被ばくしたことを隠していたことを知り、こんな悔しい思いを私たち若い世代が引き継ぎ、運動していきたいと思います」と語りました。

 「3・1ビキニデー集会」(原水爆禁止世界大会実行委員会と被災52年2006年3・1ビキニデー静岡県実行委員会が共催)では、水爆実験がおこなわれたマーシャル諸島への訪問団と電話で中継し、「第五福竜丸」元乗組員の大石又七さん、高知県の「第二幸生丸」の桑野浩(ゆたか)さんが証言。チェルノブイリ原発事故の被ばく者、ナターシャ・グジーさんの歌に会場全員で拍手を送りました。

 主催者報告した河井智康さん(原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員)は、「アメリカへの追随を深める日本政府の姿勢・政策をただすことこそ、日本国民の世界的責務になっている」とのべ、「五十二年前の原点に返って、核兵器廃絶の新たな出発点にしよう」と呼びかけました。

 焼津市の戸本隆雄市長があいさつし、広島、長崎両市長のメッセージが紹介されました。海外代表、被爆者、宗教者、日本原水協の代表らが次々と登壇。「『すみやかな核兵器の廃絶のために』署名を大きく広げよう」と訴え、「ねがい」の歌を全員で大合唱しました。


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