2006年2月16日(木)「しんぶん赤旗」
カーリング女子・チーム青森
地域から「ケッパレ」
選手の負担軽減へ支援
十四日に米国を破り、トリノ五輪で初勝利を飾ったカーリング女子の日本代表チーム。選手たちは五人全員が北海道出身ながら、この三年間は拠点を青森市に移し、地域の熱い支援でトリノの地に立ちました。
■「終われない」
「このままでは終われない」
チームリーダーの小野寺歩選手(27)は四年前、ソルトレークシティー五輪で力を出し切れないまま予選で敗退。その屈辱を乗り越え、すぐにトリノを目指すことを決めていました。しかし、出身地の北海道常呂(ところ)町には、働きながら競技を続ける条件はありませんでした。
そこに声をかけたのが青森市。同市では三年前に世界有数のカーリングの施設をつくり、普及に本腰を入れようとしていたのです。
小野寺選手は、チームメートの林弓枝選手(27)とともに、市スポーツ会館の職員として迎え入れられます。「青森では私たちを快く受け入れ、最高の環境をつくってくれた」と林選手は語ります。その後、北海道の若手らも加わり、「チーム青森」を結成。昨年十一月には見事、代表権を獲得しました。
もともと青森には、市民が二十年も前からカーリングを普及する運動がありました。いま拠点となっているのがカーリング場のある市スポーツ会館。小野寺、林両選手がシーズンには毎週のように教室で指導し、地域の人から親しまれる存在になっていきました。ここではいま、子どもからお年寄りまで十四チームが活動しています。
■自分も頑張ろう
明の星高校カーリング部の濱舘睦美部長(17)は「身近にオリンピック選手がいると、自分たちも頑張ろうという気持ちがわいてくる。同じ場所で練習できるだけで幸せ」と五輪出場を自らのことのように喜びます。
選手らが地域から慕われる存在となっているのは、同館にある寄せ書きでもわかります。
「なまら、ケッパレ(すごく頑張れの意)」「一投一技心をこめて 完全燃焼」など、トリノ五輪への激励の言葉がいっぱいです。
地域の支援は、精神的なものだけにとどまりません。
選手らが負担する遠征費用を軽減するため、県協会が中心になり、応援グッズを作り、募金を呼びかけました。
選手の顔が入った一口千円の缶バッジを二千個以上普及するなど一千万円の目標額に手が届くところまで集めました。県協会の對馬忠雄会長(61)は「(苦労して競技を続けてきた)選手には一人ずつ物語があるんです。県民はそれに共感したんですね」と説明します。
これで選手たちは力をつけました。海外の強豪と互角にたたかい、「前回の代表に比べて数段上」と、ミキ・フジ・ロイ全日本コーチも太鼓判を押します。
小野寺選手はいいます。「北海道は、カーリングという夢を与えてくれた。青森は、トリノで夢をつかむ機会を与えてくれた。すべてを出し切りたい」
チームの目標は予選を突破し、上位進出を果たすことです。(青山俊明)
▼カーリング 四人一組で氷上に石を滑らせて「ハウス」という円内にいかに石を残すかを競います。得点は相手の石より中心に近い味方の石の数で決まります。五輪では一九九八年の長野大会から正式競技。

