2005年12月3日(土)「しんぶん赤旗」

ワールドリポート

ナチスの総本山だったニュルンベルク

いま歴史の反省迫る資料館

ドイツ


写真

(写真)トイブリヒ館長(片岡正明撮影)

 ナチスの総本山ともいえるナチ党大会会場があったニュルンベルク。そのナチスの狂気のさまを記録し、資料写真や映像で伝えようと、ナチ党大会会場資料センターが開設されています。同資料センターは「ナチスへの批判がまったく許されなかった会場跡でナチ批判の自由で民主的な討論を広める」場ともなっています。(ニュルンベルク=片岡正明)


 ナチスはドイツを支配する前の一九二七、二九年にニュルンベルク南部のルイートポルトハインで党大会を開催。その後、中世の建物が多く残っていたニュルンベルクを「すべてのドイツ都市でもっともドイツ的な町」として党大会の常設会場とすることを決め、十五万人が収容できるルイートポルト・アリーナ、十万人収容のツェッペリン競技場、五万人収容の大会会議場などを次々に建設。三三年から三八年までの六年間は連続してニュルンベルクで党大会を開きました。今は広大な大会会議場の建物の一部が資料センターとして公開されています。

 展示場に入ると、ヒトラーが先頭に立ち、党大会で行進する様子や広場で参加者が右手を高く掲げ「ハイル・ヒトラー」と叫んだ様子が飛び込んできます。

 ナチ突撃隊(SA)やナチ親衛隊(SS)、青年組織ヒトラーユーゲントの写真と説明。続いて三五年のナチ党大会開催中、ニュルンベルクに議会が招集され採択されたニュルンベルク人種法の内容が示されます。

 同法ではユダヤ人とドイツ人の結婚を禁止しユダヤ人の市民権を奪いました。同法違反で首から「私はユダヤ人と関係しました」と見せしめにさせられる人々の写真と説明が展示されています。

■虐殺の写真…

 三八年十一月に全ドイツでおこなわれたユダヤ人迫害行動、「水晶の夜」に燃えるシナゴーグ(ユダヤ教会)、強制収容所や絶滅収容所でのユダヤ人などの虐殺の写真…。ナチスの総本山の町は四四年には連合軍の空襲で八割が破壊。最後はナチスの犯罪を裁いたニュルンベルク国際法廷でしめくくられます。

 所々に映像の展示もあり、ナチスがドイツ国民の中に狂気のように根をはった状況が網羅されています。

 ハンスクリスチアン・トイブリヒ館長は「ここはナチスのプロパガンダ(宣伝活動)の場でした。三三年からは毎年のように党大会が開かれ、ナチスの人種差別のメッセージが繰り広げられました」と語ります。

 ニュルンベルクに常設展示場が出来たのは二〇〇一年。「過去の克服」には時間もかかりました。

 「実は戦後すぐの世代はこのナチ党大会のことには沈黙を貫きました。党大会会場を取り壊す案やスポーツ会場やショッピングセンターに改築しようとする計画もありました」

 その沈黙を破らせたのは一九六八年の学生運動で中心になった若者たちだったといいます。「青年たちが初めてナチスの罪を両親に問うたのです。戦後四十周年の一九八五年に夏の間だけオープンする小さな展示場ができました」(トイブリヒ館長)

 二〇〇〇年のニュルンベルク市創立九百五十周年に、「国際的な注目を集めるナチ党大会会場跡をニュルンベルク市も相応に扱うべきだ」とナチスの全体がわかる常設展示が提案され、二〇〇一年に開設しました。

■年間18万人訪問

 現在、資料センターには学生・生徒を含め、年間十八万人が訪れ、イヤホン付きのガイドツアーを利用します。また、青年の討論会なども企画されています。

 トイブリヒ館長は「かつてナチスの独裁への批判が許されなかった会場で自由で民主的に討論の場を提供できることはすばらしいことです」と話していました。

 展示を見ていたダニエラ・バンコフスキさん(30)は「私は教師です。この展示では一つの民族が一人の指導者に従い、いかに他民族の人権を忘れさせ、他民族を脅していったかがわかります。戦争を繰り返さないためにも、この展示は大事です。子どもたちにぜひ見せたい」と語っていました。

 同資料センターはニュルンベルク裁判の法廷のガイドツアーも実施しています。数年後をめどにニュルンベルク裁判の法廷上部の屋根裏に常設の博物館を建設する予定です。


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