2005年10月24日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

私の夢奪ったのは誰?

25歳の原告

薬害C型肝炎訴訟で実名公表 福田衣里子さん


 「将来の夢、奪ったのはだれ?」――実名を公表して「薬害C型肝炎訴訟」のたたかいに挑む若者2人。長崎市の福田衣里子さん(25)と福岡県の小林邦丘(くにたか)さん(33)です。非加熱血液製剤を投与されてC型肝炎になった被害者。全国で93人が原告となり、国と製薬会社に「すべての肝炎被害者の救済策と薬害根絶」を求めています。2人の思いを聞きました。(菅野尚夫)


■被害者すべての救済を

 「薬害肝炎訴訟に勝訴することが、肝炎患者全体の救済につながります」

 十六日の午後、福岡市のJR博多駅前。福田さんがマイクを握って訴えます。まわりには、支援する学生や医療従事者が六十人以上。「国と企業は薬害肝炎の責任を認め、被害回復をせよ!」と書かれた横五メートル、縦一メートルほどの横断幕が街行く人たちの目に留まります。

 C型肝炎キャリアから、慢性肝炎に進行した福田さんですが、「メモなしでも、ようやく話せるようになりました」と明るく笑います。肝硬変、さらには肝がんへ進まないよう治療を続けながらの裁判闘争。その姿は、この日参加した支援者の胸を打ちました。

■安全なはずが

 「肝炎の検査をしてみたら」。五年前の二十歳になったばかりの時でした。福田さんは母親からC型肝炎ウイルスの検査を呼びかけた新聞記事を見せられました。「心配だし…」。母のいたわりのまなざしが今でも忘れられません。

 二十年前、福田さんが生まれた時に投与された非加熱血液凝固因子製剤。治療のために使った安全なはずの医薬品が命を脅かす原因となったのです。

 検査して一週間後、結果を聞きにいった母がいいました。「エイズじゃなかったよ」。慰めるように伝える母。「知りたいのは肝炎のこと。なぜエイズの話なの?」。福田さんは、不思議に思い、不安が頭をよぎります。「C型肝炎は陽性だった」。間を置いて言った母の言葉です。

■パリでの感動

 「パン屋になろう」。福田さんの将来の夢でした。大学時代、三カ月間ヨーロッパを一人旅したとき、パリで食べたパンの味に「感動」し、忘れられない出来事となりました。

 帰国後にパン屋でアルバイトし、仕上げ作業、焼き窯担当、製造係をこなしました。その体験は、パリでの感動から、さらにパン屋になる将来の夢へとはぐくんだのです。

 「上達した私が、心をこめて焼き上げたパンを、お客さまがお金を出して買ってくれる。喜びの連続でした」

 しかし、C型肝炎の告知は福田さんの夢を奪いました。治療で体力、気力が衰え、力仕事ができなくなったのです。

 昨年一月、長崎市で開かれたC型肝炎についての「医療講演会」に参加。そこで訴訟のことを知りました。「運が悪かった」と、落ち込んでいた自分からの「転機」をつかみました。

 支援活動に熱心に取り組む、同じ世代の若者たちの姿。「自分のことなのに一人もんもんと落ち込んでいるなんて情けない。恥ずかしい」。福田さんは、実名を公表して活動することを決意しました。

■いま求める夢

 福田さんは、今求めている夢を語ってくれました。

 「加害者が責任を認めて、被害者を救済する―。そんな当たり前のことが行われる社会であってほしいです。実名でたたかっていることで、みんなが固まれば大きな力を持つことを学びました。裁判の結果がはっきり見える形にしたい。それはすべての肝炎被害者の救済策が実現することです」


■家族にも話せなかった

 原告の小林邦丘さん(33)の話 小学校六年生の時に重い病気にかかり、フィブリノゲン製剤を投与されて感染しました。感染が分かったのは二十五歳の春のことです。

 心配をかけたくないという思いから、家族にも話せずに一人苦しんできました。四年前に結婚のことで家族と話す機会があって、初めて親に打ち明けました。

 母は私の異常に気付き心配してくれていました。「かえって心配をかけていた」と思い、治療をすることに正面から向き合うことができました。

 国や製薬会社は被害者を助けてくれて当たり前と思っていました。裁判に加わり、そうではないことを知り、ショックでした。弁護士や支援してくれる人たちと出会い「社会の中で生かされている」ことも学びました。

 若い被害者がいることを知ってほしいし、一刻も早く、患者が安心して治療ができるようにしてほしい。


■薬害C型肝炎訴訟とは

 血液製剤のフィブリノゲン製剤や血液凝固因子製剤を投与されて、C型肝炎になった被害者が国と製薬会社・旧ミドリ十字に損害賠償を求めた裁判です。2002年10月、東京、大阪の両地裁に提訴。その後、福岡、名古屋、仙台の地裁にも提訴が相次ぎました。5つの地裁がある各都市と長崎県には、学生の会が結成され、支援の輪が広がっています。

 血液製剤は、2000―1万人から集めた血しょうをプールして作るため、ウイルスに感染している人が1人でもいると汚染される危険性の大きいものです。フィブリノゲン製剤や血液凝固因子製剤は、コストがかかるため加熱をしないまま医薬品として承認。安全性より利益が優先されて販売され、HIVや肝炎ウイルス感染の被害を広げました。

 薬害エイズ事件、薬害C型肝炎訴訟ともに被告は、国と旧ミドリ十字。同社は、自民党や厚生族議員に多額の政治献金をしました。さらに、フィブリノゲン製剤が医薬品として承認申請した1963年当時、担当課長補佐が、翌年には同社に天下りし、その後副社長までのぼりつめています。政・官・業・医の構造癒着が被害を広げました。


■お悩みHunter

■受験競争のせいかも人との付き合い苦手

Q学生生活には慣れましたが、人付き合いがうまくできなくて悩んでいます。もともと人付き合いが苦手な上に、受験競争の中で“競争関係”が身についたことも大きいかもしれません。人と話して作り笑いするのがおっくうです。女性と話しするのはもっと苦手。部活などをして積極的にならなければと思うのですが…。(大学一年生、男性。東京都)

■競争意識は心の壁つくる

A私は学生時代にボート部に所属し、三年以上も仲間たちと合宿生活を送りました。彼らとは、四六時中一緒にいても楽なものでした。今でもそれは同じです。

 気を使わないから、というわけではありません。お互いに、無意識のうちに気遣い合っているのでしょうか。それでいて言いたいことを言いあえるのです。それが信頼関係なんだと思います。

 しかし、私は周りのすべての人たちと、そういう関係になるわけではありません。なんとなく「壁」を感じてしまう人もいます。

 受験競争をはじめ、今の世の中は何でも競争する社会です。「競争=進歩、発展」という考えがまかり通っているからです。しかし、それは競争のほんの一面にすぎません。

 ときに競争意識というものは、人と心の壁をつくってしまい、信頼関係がつくれなくなってしまうことがあります。本来、人は同じ目標を目指すとき、お互いを高め合い成長していくものだと思います。それは相手がライバル(敵)でも仲間でも同じです。

 学生時代に部活などに参加することは、仲間をつくるいい機会になると思います。目標や目的を持って仲間と活動しながら、お互いに信頼関係が生まれてくるものだと思います。

 思い切って、何かはじめてみてはどうでしょうか。


■第41代日本ウエルター級チャンピオン      小林 秀一さん

 東京工業大学卒。家業の豆腐屋を継ぎながらボクシングでプロデビュー。99年新人王。03年第41代日本ウエルター級チャンピオン。


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp