2005年9月24日(土)「しんぶん赤旗」
元ハンセン病患者
故郷金沢で浅井あいさん納骨式
人間回復へ思い新た
群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園」に住んでいた元ハンセン病患者の浅井あいさんが八月三日、八十五歳で亡くなり二十三日、金沢市の浅井家の墓の前で、納骨式がおこなわれました。浅井さんは金沢出身。二〇〇一年十二月には六十七年ぶりに金沢大学教育学部付属中学校から卒業証書を授与されました。
式はハンセン病支援・ともに生きる石川の会が主催し、群馬県からの療養所仲間や支援者、国賠訴訟弁護団の十二人を含めて約五十人が参加しました。
木村吉伸・石川の会会長が「戦前戦後の時代を戦争反対、らい予防法廃止のためにがんばった浅井さんの思いを大切にし、再発防止、人間回復めざしともに歩もう」とあいさつ。
鳥越順丸・真宗大谷派等願寺住職の読経が流れるなか、来賓の石川県、金沢市の代表や参加者一同が、浅井あいさんと夫の哲也さんの名前が刻まれた墓に向かって献花や焼香をしました。
納骨の後、谺(こだま)雄二・ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会長が「浅井あいさんは、念願の生まれ故郷の金沢の土に帰ることができました。しかし、全国にはいまだに故郷に帰れない二千四百人の人たちの遺骨が、各地の療養所の納骨堂に納められたまま、眠れぬ日々を送っています。国は、私たちの名誉をきちんと回復してほしい」とあいさつしました。
偲(しの)ぶ会で、浅井さんと同じ療養所にいる鈴木幸二さんが、「ともに八十歳を過ぎても、“あいちゃん”“こうちゃん”と呼び合っていました」と述べて、浅井さんの思い出を語りました。