2005年9月22日(木)「しんぶん赤旗」

『週刊新潮』での筆坂秀世氏の一文について

日本共産党中央委員会広報部


 一、今週発行された『週刊新潮』(九月二十九日号)に、筆坂秀世氏の一文「日本共産党への『弔辞』」が掲載されました。

 これに先だって、十六日、『週刊新潮』編集部から「共産党広報部」あてに、「小誌『週刊新潮』九月二十一日発売号において、筆坂秀世・元共産党政策委員長のインタビュー記事を掲載する予定です。つきましては、いくつか質問させていただきたく存じます」「お忙しい中、たいへん恐縮ですが、本日(九月十六日)中にご回答いただければと存じます」として、十項目の質問がよせられました。広報部は、その日のうちに、質問にそくして回答をおこないました。

 ところが『週刊新潮』編集部は、わが党の回答について一言もふれることなく、筆坂氏の言い分を一方的に掲載しています。筆坂氏の一文は、セクハラをおこなったという事実は認めているものの、その後、党がとった対応について、事実をゆがめる内容がふくまれています。そこで、わが党が編集部にあてた回答文を、ここに公表するものです。

 二、筆坂氏の“経過説明”には、事実に反する点が多く含まれていますが、主要な事実は、編集部あての回答文のなかで説明されているので、ここでは、筆坂氏が力を入れている処分決定の経過について、若干の補足的な説明をおこなっておきます。

 (1)この問題では、被害者から訴えのあったセクハラ問題については、事情を聞いた最初のときに、筆坂氏は、事実は被害者の訴えのとおりだと認め、提出した自己批判の文章で、過去にも触れながら、自分にそういう弱点があるという反省を書き、いかなる処分も受け入れると述べ、常任幹部会の会議でも、同じ態度をとりました。

 自分が事実を認め反省の言葉を述べたことは、筆坂氏も、否定できないようで、筆坂氏は、セクハラ問題の有無ではなく、もっぱら「処分の経過」を問題にしています。

 (2)筆坂氏は『週刊新潮』の一文のなかで、自らの処分の経過について、二〇〇三年六月九日の常任幹部会では警告処分とされていたが、その後、「筆坂氏のセクハラの事実を公表する」とした告発のファクスが党本部にとどけられたため、六月十六日の常任幹部会で、中央委員罷免へと処分内容が変更されたと述べています。

 しかし、筆坂氏の処分の事実経過は、回答文で述べているとおり、(1)常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分(具体的には警告処分)とすることを確認した、(2)しかし、これは、常任幹部会の規律担当者の思い違いで、規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、次の常任幹部会で中央委員罷免という処分をあらためて確認した――というものです。

 この経過のなかで、告発のファクスが党本部によせられたことをはじめ、筆坂氏の問題について、さまざまな情報や意見が常任幹部会によせられた事実がありますが、筆坂氏の処分は、回答文で述べているように、党規約の厳正な適用という立場からおこなわれたものです。

 ところが筆坂氏は、このいきさつについて、浜野副委員長から、「もし(告発者によって)公表されると常任幹部会が甘い処分をしたと批判される、そこで中央委員を罷免する」とつげられたと述べています。

 しかし、これは事実の正確な記述ではありません。浜野副委員長が、そこで述べたのは、「先の常任幹部会で警告処分を確認したが、党規約の運用について思い違いがあった。中央委員の処分は、中央委員会総会で決定しなければならず、その処分内容は内部にとどめることはできず、公表しなければならない。公表する以上は、筆坂氏の社会的責任の重さからみて、中央委員罷免とせざるをえない」ということでした。

 浜野副委員長の説明にたいして、筆坂氏は、涙を流しながら、「忙しい時にこんなことで何度も手をわずらわせて申し訳ありません。処分内容は全面的に受け入れます」と表明しました。

 さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいして、筆坂氏は、「事実はその通りであり、弁明することはありません」と答えました。これが処分の決定までの事実経過です。

■『週刊新潮』編集部の質問と日本共産党広報部の回答

 十六日に『週刊新潮』編集部から日本共産党広報部に寄せられた質問と、同日おこなった日本共産党広報部からの回答は、次の通りです。

 (1) 筆坂氏は「セクハラ」事件を理由に、二〇〇三年六月、政策委員長および国会議員を辞職しております。その経緯をお聞かせください。

 二〇〇三年六月、女性党員から党中央委員会に、筆坂氏からセクハラ被害を受けた旨の訴えがありました。常任幹部会として、必要な調査を行うとともに、筆坂氏を呼んで訴えが事実であるかどうかを確かめました。筆坂氏は、訴えの事実を認めるとともに、自己批判の文書を提出し、過去の問題にまでさかのぼって、自分のその弱点についての反省を述べました。その後開かれた常任幹部会会議でも、筆坂氏は、訴えられた事実を認め、自己批判を述べるとともに、いかなる処分も受ける旨、言明しました。常任幹部会は、こうした経過の上に立って、筆坂氏を党中央委員会から罷免するという規約上の処分を決定したものです。この処分は、幹部会を経て、中央委員会総会で決定されました。

 なお、議員辞職は、規約にもとづく処分ではなく、常任幹部会が道義上の立場に立って筆坂氏に勧告し、筆坂氏がこれを受け入れておこなったものです。

 (2) 上記処分決定にあたり、共産党本部に一枚の「セクハラ」事件に関する「怪文書」が届き、それにより筆坂氏に対する処分が変更されたということはございませんか。

 常任幹部会は当初、ことが公表されたときに、被害者が受ける影響などを考慮して、常任幹部会の内部にとどめる処分とすることを確認しました。

 しかし、これは、常任幹部会の規律担当者の思い違いで、規約の規定によれば、党中央委員にたいする処分は、すべて中央委員会総会での決定を必要とするものであり、常任幹部会の内部にとどめる処分はありえません。そこで、次の常任幹部会で、(1)で述べた処分をあらためて決定しました。

 なお、処分の最終決定をおこなった常任幹部会会議には、筆坂氏は「体調不良」を理由に出席しませんでしたので、翌日、常任幹部会のメンバーが、確認した内容を伝えましたが、筆坂氏は、それを全面的に受け入れることを表明しました。さらに、この問題を報告・審議する幹部会会議および中央委員会総会で弁明を述べる権利があると伝えたのにたいしても、「事実はその通りであり、弁明するつもりはない」と答えました。

 処分の決定は、以上の経過によるものです。

 (3) 議員辞職にあたり、筆坂氏が記者会見を開こうとしたことに対して、共産党が何らかの指示をしたという事実はございますか。また、同時期、筆坂氏が外部の人間と接触することに対して、共産党から何らかの指示を出したという事実はございますか。

 記者会見をすれば、質問がセクハラ事件の具体的内容に集中することが予想されました。そうなると、被害者の人権とプライバシーの侵害という二次被害の危険が生まれます。それは避けるべきだという判断から、記者会見をしないこと、また記者との個別接触をしないように話しました。

 (4) 二〇〇三年八月に筆坂氏が共産党の政策委員会のスタッフとして職務復帰して以降、共産党は筆坂氏にどのような職務を与えていたのですか。

 政策委員会の一員としての仕事についてもらっていました。

 (5) 筆坂氏が共産党本部に職務復帰して以降、市田忠義書記局長が筆坂氏に対して、記者会見を開く意思があるか否か確認した事実はございますか。

 そのような事実はありません。

 (6) 筆坂氏が議員辞職して以降、暫くの間、どこの支部にも属さず、党費も納めていなかったというのは事実ですか。また、事実だとすれば、その期間はどれくらいで、その理由は何だったのですか。

 手続き上の手違いから所属支部が確定しないかのような状態がしばらくつづいていました。筆坂氏からその事実を指摘して改善の要望があり、ただちに所属支部を明確にする措置をとりました。

 (7) 筆坂氏が『前衛』(二〇〇四年十二月号)に論文を掲載するにあたり、同時に自己批判文の掲載を条件にしたというのは事実ですか。また、事実だとすればそれは誰の指示だったのですか。

 財界研究の論文執筆という問題は、最初、不破議長が筆坂氏に提起したことでした。論文が仕上がって『前衛』誌などに掲載することになれば、筆坂氏の党機関紙誌での、事件後初めての公的な発言であり、セクハラ問題について、筆坂氏自身がどういう立場に立っているかについての自己検討を述べることが、不可欠の前提になります。不破議長は、最初に研究問題を提起したさい、この問題をあわせて話し、筆坂氏がそれに同意して、論文の作業にとりかかったことでした。論文の冒頭に自己批判の文章が書かれたのは、こういう経緯によるものです。

 (8) 筆坂氏は本年七月に共産党を離党したわけですが、事前にその旨を告げられた志位和夫委員長と筆坂氏とのやり取りをお教えください。

 筆坂氏から、志位委員長あてに、離党と本部勤務員辞職の申し出があったので、志位委員長が会って意思を確認しました。離党の意思が固かったので、志位委員長はこれを了承しました。そのさい、筆坂氏は「離党しても、党を裏切ることはしない」と言明しました。正規の手続きをとった上で、七月十九日、離党と本部勤務員辞職が認められたことを、人事局から筆坂氏に伝えました。

 (9) 筆坂氏の離党は、新聞紙上で記事になりました。その際、共産党はその事実を新聞社の取材に対して認めていらっしゃいましたが、公表にあたり筆坂氏ご本人の許可は得ていたのですか。

 党は、一般的にいえば、離党した党員について個別に発表することはしていません。しかし、筆坂氏は、国会議員としてあるいは党幹部として公的な活動にあたっていた人物です。党の側から離党についての発表をすることはしませんでしたが、離党手続きがとられた翌々日の七月二十一日夜、マスコミから寄せられた「離党は事実かどうか」の問い合わせに、離党の事実を認める回答をしました。この場合に、本人の許可が必要とは考えていません。

 (10) 筆坂氏の離党が公表された後、不破哲三議長と筆坂氏との間で会話が交わされたことはありませんか。あるとすれば、それはどのようなやり取りだったのですか。

 筆坂氏の離党についてのマスコミ報道のあと、不破議長の自宅に筆坂氏から電話がかかってきたとのことです。不破氏は、筆坂氏の最後のあいさつかと思って対応したようですが、電話の内容は、「なぜ自分に断らず、マスコミに離党の事実を認めたのか、プライバシーの侵害だ」という“抗議”でした。不破議長は、これにたいして“そのような抗議には根拠がない”旨答えました。


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