2005年8月26日(金)「しんぶん赤旗」

「足尾鉱毒唱歌」百四年ぶり復活


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(写真)「明治惨事」と題した足尾鉱毒唱歌本を手にする針谷会長=21日、藤岡町

 栃木県の足尾鉱毒事件の悲惨さを歌った「足尾鉱毒唱歌」が百四年ぶりに復活しました。鉱毒事件で廃村に追い込まれた谷中村の記録・保存運動に取り組む市民グループが、当時発刊された小冊子に載った歌詞と楽譜を基に再現しました。

 再現したのは、同運動をすすめている「谷中村の遺跡を守る会」の針谷不二男会長(79)。小冊子は一九〇一年に東京の文昌堂から出版後、発禁処分を受けたとみられ、歌われた事実が確認されていない幻の歌です。

 作詞したのは、南予時事新聞(愛媛新聞の前身の一つ)を創刊した小林儀衛で、作曲者は「こまのや主人」となっていますが、詳細は不明です。小林儀衛の孫にあたる高田泰子さん(78)=愛媛県在住=が七月、小冊子を「公害をなくす運動に役立ててほしい」と針谷さんのもとに送りました。

 「足尾鉱毒唱歌」は「汗を流して鉱夫等が/夜を日につぎて掘り出す/国の宝はよけれども/流るる毒を如何(いか)にせん」などと渡良瀬川流域の被害を告発、二十二番まであります。

 針谷さんは、知人の協力を得てピアノ伴奏をつけ再現。録音に携わった柳田ヒロさん(62)は「これまで歌った歌の中で、一番感動した歌です。歌うたびに涙が出てきます」と言います。

 針谷さんは「鉱毒被害を生々しくとらえたもので、天皇政府の責任を問うものもある。発禁にされず、民衆に歌われていたなら、運動が広がっていたかもしれない。今後、町民などに聞いてもらうことを計画したい」と話します。


 ▼足尾鉱毒事件

 明治初期、栃木県足尾町での「富国強兵策」にもとづく大規模な銅山採掘によって、発生した亜硫酸ガス、鉱さいで周辺の山林が枯れ、洪水や農地の汚染が渡良瀬川流域で発生。反対運動が広がりましたが、明治政府により弾圧されました。日本の公害問題の原点ともいわれています。

 田中正造は一九〇一年、鉱毒被害の救済を天皇に直訴。その後、政府に対する反対運動を村民とともに生涯続けました。


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